ある新人さんが華々しくデビューした。

 ステージに現れた瞬間に、彼女のもつ若々しい可憐さに私は目を奪われた。

まさに「ストリップの妖精」という表現に相応しいイメージ。そこに登場する踊り子さんは、まさにメルヘンの世界にて、穢れなく、永遠のかわいさを持ち、衰えや年齢を感じさせない存在。

 

 私はいつもステージ正面の盆前、ステージ全体が見渡せる一番いい席に座っているのだが、たまたまその日、私はステージ前方に座っていた。従って彼女がステージに現れた瞬間は一番彼女に近い位置にいた。そのときの感想を先に書いた。

 その新人さんが盆の方に進むと、私は後方から彼女を眺める形になった。そのとき、ふと彼女の背に淋しさを感じた。とてもおどおどしている動き。緊張もあるだろうが、きっと自信がなく不安でどうしようもないんだろう。それが淋しさとなって彼女の背中から発せられていた。

なんて脆い存在だろうと思った。華やかな妖精の裏には実はこんな淋しさがあるのか。

 

 その新人さんのステージを観ながら、金子みすずの詩を思い出した。

「さびしいとき」

  わたしがさびしいときに、よその人は知らない。

  わたしがさびしいときに、お友だちは笑うの。

  わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。

  わたしがさびしいときに、仏さまはさびしいの。

 

 私も仏さまのように彼女の淋しさを一緒に感じてあげようと思った。彼女の淋しさを紛らわすことは今の私にはできない。ただ、ステージの側にいて、その淋しさを一緒に共有してあげるしか出来ないけど・・・。

 

 イギリスの童話に出てくる妖精というのは、人間が自然から感じた美しさ、不思議さ、壊れやすい脆さみたいな感じを象徴するもの。だからメルヘンとは儚い世界。

 妖精とは触れたら壊れてしまう弱い存在。ストリップも触れてはいけないもの。だからこそ、守ってあげないといけない、支えてあげないと壊れてしまう、そんな気持ちにさせられた。