本屋に行くとよく「××を10倍楽しむ方法」なるタイトルのノウハウ本が並んでいる。今回は私も負けずに「ストリップを10倍楽しむ方法」なるものを考えてみた。

 

1.     ヌード観賞を楽しむ

 

あたりまえのことだが、ストリップに行くということは女性のヌードを観に行くこと。

ここで大切なことは、楽しんで観ること。せっかくお金を払って劇場に入ったのだから、恥ずかしがってこそこそすることもなく、盆前でもどこでも気に入った席に座って堂々と観ればいい。また難しい顔をする必要はなく、楽しければニコニコして観ればいい。ニヤニヤ顔で見たって構わない。踊り子さんにはニコニコもニヤニヤも区別つかない(笑)。

 

 私がストリップに通い出した頃、相沢かれんさんという踊り子さんから「いつも、どうしてそんなにニコニコしているんですか?」と言われたことがある。それに対して私は「だって、楽しくてしょうがないんだもん」と答えた。それを聞いたかれんさんが嬉しそうな顔をして「それを聞いて、ますますヤル気が出てきたわ」と言ってくれた。

 

 踊り子さんが美しいヌードを披露してくれ、それをお客がまさに穴があくほど一生懸命に見て楽しむ、それを見た踊り子さんがまた張り切って頑張る。この「楽しさのサイクル(輪)」こそがストリップの基本パターン。「お盆は楽しさを回す輪(リング)」だといつも思っている。

 

 以前、ある劇場で見知らぬおっさんから「あんたはいい表情(かお)でステージを観ているねぇ。あんたの表情(かお)を見たら、踊り子さんはすごく喜ぶわな」と言われた。踊り子さんから「あなたの笑顔はとてもいい」とよく言われるが、お客さんから言われたのは初めてで驚いた。また、そのおっさんの言い方がとても粋な感じがした。

 ストリップを粋に楽しむ。そんな見方ができたら最高だなぁと思う。

 

2. ショーとして楽しむ

 

 一般にストリップというとヌード観賞ということになるが、単にヌードだけを楽しむのはエロの域を超えない。本当の楽しみは「ショーとして楽しむ」ことにある。踊り子さんは日夜ショー・アップすることに全身全霊を注いでいる。そこを評価し観賞できれば本物のストリップ・ファンになれる。

 

 ショーにはそれぞれの踊り子さんの個性が反映される。だから、踊り子さんの数だけショーが楽しめ、また1人の踊り子さんが努力して多くのレパートリーに挑戦する分だけ相乗的にショーの数が増える。

ストリップがファンの心を離さないのは、ひとえに飽きることなくショーが楽しめるからである。

 

 

さて、ここまでは常識だが、それ以上にストリップを楽しむ通としてのポイントを思いつくまま話してみたい。

 

3. 踊り子さんと仲良くなること

 

ストリップにはまる1つのきっかけは、特定の踊り子さんを気に入ること。せっせとポラを買ったり、中には出演する劇場を追っかけたりする(プライベートまで追っかけるとストーカーになるから注意!)。

今の私も、劇場を選ぶポイントは親しくしてもらっている踊り子さんが出ているかどうか、その踊り子さんの応援が主目的になっている。顔見知りのストリップ仲間はたいがいこの部類に入っている。

 

踊り子さんと仲良くなるためにはどうするかという点についてはたくさん話したいことがあり長くなるので別にまとめて話す。

ここでひとつ付け加えておきたいのは、踊り子さんと仲良くなるためには、ファンの努力も当然だが、踊り子さん側もいいファンを作るために努力がいるということだ。私が始めて劇場通いを始めたのは自宅に近い若松劇場だった。初めて、そこの所属のベテランの踊り子さんのステージを見たとき、彼女の美しさに感服した。まさに「一服の絵」を見ているようだった。そこでポラを撮り始めたが、何度ポラを撮っても彼女とは親しくなれる感じがしなかった。愛想ないのだ。自然に冷めていくものがあった。その点、対照的に同じ所属の別の踊り子さんのスマイルにはどんどんはまっていった。彼女も童話をかいたりしているらしく、私の手紙やエッセイによく反応してくれた。つまるところ、ファンに楽しいなぁ~と思わせる努力をしている踊り子さんの方がやはり魅力的。こういう方は私の顔を見ただけで嬉しそうにしてくれる。それを見て私も来て良かったな思う。ファンはそういうエネルギーに引き付けられて劇場に足を運んでしまうのだと思う。

 

4.「創造の喜び」を感じること

 

 ストリップを通じて「創造の喜び」を感じるというのは究極の楽しみ方だと思う。

 どういう方が「創造の喜び」を感じるかというと、もちろんストリップに関係する方々は当然だろうが、例えばダンサー、振付け師、デザイナー、脚本家などの仕事をしている方なんかは職業柄ストリップを通じて刺激されるものがきっとあるだろう。

 

 以前、絵描きらしき人が、ストリップを見ながら即興で踊り子さんの似顔絵を書いて、踊り子さんに渡しているのを見かけたことがある。絵心のある人は絵を通じてストリップから「創造の喜び」を感じることができる。ただ、踊り子さんにとっては絵に夢中になっていてステージをちゃんと観てくれないのは嫌だろうね。

 

 私の場合は文章で表現しようとする。大好きなストリップを通じて感じることを文章にまとめたいという願望が沸々と湧き上がってくる。よく踊り子さんに手紙のネタが尽きませんねと感心されることがあるが、どんどん湧き出してくるのでネタには全く困らない。

 

 クマのプーさんのお話の中に、うららかな春の日差しの下でプーさんがのほほんと唄を歌ってて、それを見た忙し好きのウサギが「プーさんはいつものんきに唄なんか歌っていていいね」と小馬鹿にするシーンがある。そのとき、プーが「ぼくは唄を歌っているんじゃないんだ。唄が勝手に僕の中に飛び込んでくるんだ」という。なるほど、いい唄というのは、作曲家が死に物狂いで作り上げるというのでなく、むしろ作曲家の中に自然に入り込んできたメロディをそのまままとめただけということが多いという。

 私もストリップを見ているとリラックスした気分になっているので、いろんな声が飛び込んでくる。それを「書いておけ」という神の声に従ってまとめているだけ。仕事でもないから全然苦痛にならないし、それどころか楽しくてしょうがない。正直、私はこれに嵌まったからストリップの魅力から抜けられなくなった。

 

 以前「人生において必要な知恵は全て幼稚園の砂場から学んだ」という本が大ベストセラーになったが、まったく同様に私には「人生の大切なものが全てストリップの中に見える」気がしている。真理が見え、物語がある。それをそのまま文章にしてみたいと常々考えている。

 

 最近、ストリップに関する自分のブログを作っている方も見かける。情報の提供、データの整理、日記風のコラムなど。これも典型的な自己表現のひとつ。

 こうしたファンや踊り子さんが作ったブログを通してストリップを楽しむことも可能だ。

 

 踊り子さんも自分自身でステージを創ろうという域に達してくると、単にいわれるがままに踊るのとは全く違った喜びを感じ出す。

「創造の喜び」の世界は無限である。これを知ってしまうと抜けられなくなるほど楽しい。

 

 

5.「自己実現の喜び」を知ること

 

 ステージというのは踊り子さんの自己実現の場。いうまでもないが、本来持っている美、それに加え、培った演出の美をステージという場を借りて表現する。それは神が踊り子さんという特別な人に与えたもうた特別な世界だと私には思える。

 

このステージという特別な場で、唯一お客の立場で自己実現の喜びを感じている方がいる。それはリボンさん。

 リボンさんを見ていると、大好きな踊り子さんのために嬉々として奉仕している。踊り子さんが喜ぶだけでなく、観客も喜び、なによりもリボンさん自身が喜んでいる。

リボンさんにとっては、そこが自分の腕・技を披露できる場でもある。

 

仙台ロックでは常連さん達がコスプレを楽しんで場を盛り上げている。コスプレ自身が楽しいものであるならば、それも自己実現のひとつと言えよう。

お客さんの中には、踊り子さんにお金をばら撒いている方もいる。遣い切れない老後の余資を大好きな踊り子さんに奉仕するのも老人のひとつの自己実現とも云えるだろう。他人にものを与えるというのは快感である。彼はGIVEの喜びを得て満足しているのだから、踊り子さんも遠慮することはない。

それぞれ、このステージという場でいろんな喜び、楽しみを感じている。

 

 以上、私が勝手に思いつくことを記したが、他にもストリップを通じていろんな楽しみ方があると思う。また、いろんな楽しみ方があって欲しいとも思う。

 ひとりでも多くの方が、ストリップの世界に触れ、その魅力を楽しんでほしいものだ。

 

                                                 おしまい