最後に、ストリップの犯罪論について述べたい。

 これまでの議論から感じられると思うが「ほんとうにストリップは犯罪なの?」というそもそも論について述べたい。そこでは常識人としての‘バランス感覚’が大事なポイントになる。

  

 

まず、ストリップには被害者がいない。この点がふつうの犯罪と異なる。

 あえて言わせてもらうと、被害者は加害者であるところの劇場経営者や踊り子になる。彼らは逮捕されて拘留され(身体的自由を奪われ)、さらに懲罰(罰金か懲役)をくらい、加えて前科がつく。前科がつくと就職や結婚など今後の人生に大きなマイナスとなる。彼らの精神的・肉体的・金銭的被害は計り知れない。なによりも営業停止処分により仕事を奪われる被害は甚大である。であれば、彼らは被害者であり、加害者は警察側になる。

そもそも劇場経営者や踊り子にはストリップを営業するにあたり、悪いことをしている感覚はないと思う。今回の上野ガサ入れの報道でも<容疑者は「取り締まりを受ける覚悟で営業していた」と供述。ダンサーら5人も「生活のためだった」などと全員容疑を認めている>なんて書いてあるが、これは警察のお決まりの誘導尋問に過ぎない。ストリップはお客を喜ばせる立派な商売なのである。警察だってふだんは黙認しているじゃないか。こんな風に仕事を奪っていいのか。私から見たら、警察のやり方は鬼より質(たち)が悪い。

 

 

 ストリップを「公然わいせつ罪で取り締まる」ことにより、どういう被害者が救われるというのか。

 万一、嫌がる女の子を無理やり衣服を脱がせストリップをやらせるとしたら、これは大問題である。しかし、そんなことはありえない。踊り子はみな、納得してストリップという仕事をやっている。天職と思って喜んでやっている踊り子も多い。最近では堅気の仕事を辞めてまでも、憧れであるストリップの世界に転職してくるOLさんもけっこういるほどに、ストリップを魅力的な仕事と思っている女性も多い。特に、スト女が多くなってから、客の立場から踊り子になるケースが後を絶たない。

客はそういう踊り子さんと触れ合い、素晴らしいダンスパフォーマンス、そして美しいヌードが見れるわけで、男性客として幸せこの上ない。踊り子も客も、どちらもハッピーなのである。そして劇場経営者はそれで儲かる。

客の立場として少し補足させてもらう。熱心なストリップ客は生活のリズムとしてストリップを楽しんでいる。平日は仕事に勤しみ、たまったストレス解消に、土日のみストリップに行く人が多い。年金暮らしの高齢者になると、混雑する土日は避け、平日に劇場に通う。みんなストリップのおかげで元気に暮らしている。ストリップは小遣い程度なのでまさしく庶民の遊びなのである。こうした客の楽しみを奪っていいのだろうか。

ストリップを楽しむ人にとって、ストリップは生活のリズムであり、趣味の世界である。かっこよく言えば自由恋愛の世界でもある。実際にはモテなくても、本人が勝手にモテていると思えるのだからそれでいいわけだ。昔から「人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死んじまえ」と言われる。ストリップを邪魔するというのはそういう類だと思える。

ストリップには、どこにも被害者なる感覚はない。ストリップを楽しむ人はみんなハッピーなのに、どうして犯罪なのだろう。

 

 昔から、酒、煙草、麻薬、売春、博打などが、人間を堕落させるもの、社会の秩序を乱すものとして取り締まりの対象になってきた。もっと酷い話としては、歌やダンスをはじめ、様々な出し物の公演なども、労働の妨げになるからと規制の対象になってきた歴史もある。しかし、人間は労働だけでは生きていけない。楽しみや慰みがなくては生きていけないのだ。聖書にも「人間はパンのみで生きていけない」とはっきり書いてあり、神様も承知している。

 だから、いくら禁酒法などで規制したとしても、人は抜け道を求める。結局、残るものは残る。また、人間の本能なる欲求につながるものはいい商売になる。今ではそのほとんどが娯楽産業として栄えている。

 いま厳しい取り締まり対象として残っているのは麻薬だけであろう。これは確かに人間をダメにする。こうしたものは取り締まるしかない。

なんでもそうだが変に規制したりすると、人は抜け道を求め、それは暴力団など反社会的勢力とつながっていく。規制対象は高価になり、それらの資金源とされるからだ。現在では麻薬などが完全にそうだ。

だから、麻薬以外のものは本来は「悪」かもしれないが、社会的に必要とされる「必要悪」として正式に認められている。これは誰もが理解できるだろう。

何度も繰り返しているが、結論としては「ストリップは必要悪なのである」。私個人としては、ストリップを悪だなんて全く思っていないが、仮に悪だと言う人がいても、それは必要悪として認めていかないといけないものなのだ。

 

 売春や不倫は本来は「悪」であろう。そのため昔から規制の対象になってきた。

 ところが、男の生理的欲求は本能であるがゆえ止まない。あまり厳しくすると暴動が起きかねない。そこで社会的秩序を守るため、ある限定的な場所を決めて認めてきた。そこでは「くろうとの女性」が相手をしてくれる。それが廓(くるわ)の起源である。

 江戸時代には吉原などの遊郭が有名だ。日本では、ちょっと昔まで遊郭が合法だった。戦争中、兵隊がレイプばかりするので慰安所を作った。米軍が占領すると米軍用の売春施設をすぐに作った。日本の警察権力の一部は、売春は必要だと思ったのではないか。こうして正式な売春が認められた。ソープランドなどはこうした流れをくんでいる。

私も個人的に売春業は必要だと思う。しかし、素人売春が蔓延するのは衛生上問題だ。売春業を認めた上で、規制や安全対策や女性の保護を考えたほうがいい。しかし、ストリップ劇場で個室サービスや本番ショーが行なわれるのは好きではない。ストリップとは別のものだと感ずる。

 そのうえでこう主張したい。思うに、売春が認められているのに、ただ観るだけのストリップがなぜ違法なのだろうか。このバランス感覚がとても理解できない

 

 私には、こうしたバランス感覚という視点から、おかしいなと思うことがたくさんある。

まず普通の常識人として考えてみよう。ストリップは海外では認められているのに、日本では厳然として警察のガサ入れの対象になっているのはおかしいと思わないのかな。どう見ても日本は国際的に遅れている。世界基準に近づけるのがまともな方向付けと思うのだがどうだろう。

次に犯罪という面から問う。

 万一、ストリップ劇場が暴力団など反社会的勢力とつながっていたら問題だ。昔はストリップ劇場にヤクザやチンピラがたくさん出入りしていたと聞くが、いまやそんなことはない。お客はふつうのサラリーマンである。劇場が社会的勢力とつながっているかどうかは私にはわからないが、その点こそが警察のお得意の分野だ。警察の仕事はまさしくそこにある。

 それ以外で、公然わいせつ罪として劇場関係者や踊り子を検挙するなんて、弱い者いじめじゃないか。警察権力をもって弱い者いじめするなんて、それこそ犯罪である。

 ふだんは黙認しておいて、不意打ちをかけるように突然に豹変して襲い掛かる。そんなやり方が許されるのか。そうでなくても今やコロナ禍でみんな生きるのも大変なご時世である。ストリップ関係者も同じである。そんなときにガサ入れなんかやるか!?  劇場関係者や踊り子たちに死ね!と言っているのか!?

 劇場関係者や踊り子たちから生きる糧を奪い、我々庶民であるささやかな楽しみを奪う。憲法で守られる人権はなんなのか。こんなことが許されるのか。弱い者いじめする警察のやり方は問題視されなくてどうするのだ。

私には、今の日本の警察のストリップに対する検挙が、まさにアメリカの白人警察が黒人容疑者を必要以上に攻める情景とダブって見えてしまう。それほどに今の警察のやり方はバランスが悪い。

 

 バランス感覚というのは、常識の話ではあるが、たしかに微妙でグレーな部分がある。

こういうグレーであるものこそ、みんなで議論すべきだ。

ストリップもそうだが、他にもたくさんある。例えば、愛のあるSM、スカトロなどの特殊嗜好は認めるべきだろう。好きでやっているのだから、本人たちも変態と呼ばれてもいいと思っている。これはアンダーグラウンドでは大好評。客入りがよいため、時々ストリップでも特別企画としてやっているが、私個人としては、これはストリップと別物にしてほしい。ストリップをあくまでクリーなイメージにしたいからね。

愛のない暴力的なものは強姦と同じだ。

AVなどでは少女もの、女子高生もの、暴力SMもの、レイプもの、痴漢もの、不倫もの、さまざまな変態的なものまで認めているのに、ストリップなどの性器露出のみ目の色を変えて規制するのはバランスが悪い。

子供や女性の人権を侵害するような、犯罪に結びつくものを徹底的に取り締まるべきだ。

 などなど

すべてにおいて欧米先進国をお手本にし、日本でもこれを議論すべきだと思う。

 

 

以上、私が考えていることを長々と述べてきた。ストリップ熱が大きいので時に過激な言い方になっている点があるかもしれないが、それを差し引くにしても、一般人から見て「どうしてもバランスが悪い」と思えるものは正していくべきだろう。

今こそ、みんなの意見を集め、世論に訴える時期に来ていると思える。特にストリップ女子の声は貴重である。こうした声を大にして訴えていかなければならない。

いま仮に「ストリップは違法か。公然わいせつ罪に該当するか。」が裁判になったら、間違いなく勝てると思う。いい弁護士を付けること、できれば外国の弁護士にも協力してもらったらいい。

 

私の声がどれだけ届くか分からない。こんな私の声なんか相手にされないのかもしれない。それでもストリップ・ファンとして、長年お世話になってきたストリップへの恩返しとして微力ながらも貢献したい。今回の原稿をはじめ、今こそ、これまで書きためてきたストリップにおけるエッセイ、童話、小説などをなんらかの形で公開したいと思っている。みんなの声の形成に少しでも役に立ちたい。

 

                                    おしまい