次に、海外、とくに欧米などポルノ先進国との比較をしたい。
日本のポルノは欧米など先進国の影響も大きい。戦後かなり厳格だった日本のポルノであったが、1990年代初めに入り事実上ヘアやアナルのポルノ解禁が認められ、一大ブームを巻き起こした。
ただ、日本は性器のみポルノ解禁していない。欧米などは当然のごとく性器表現まで含めてポルノ解禁しているのだから、このバランス感はどうなのか、日本の遅れはどう影響するのかを考察したい。
最初に、一般常識として、ポルノの歴史を見ていこう。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
性は本来人間の根源にかかわる問題で、哲学や芸術(文学、絵画、彫刻等)的探求の対象になり得るものであり、性的表現の歴史は人間が芸術表現を始めた洞窟壁画や土偶の時代まで遡るであろう(多産・豊穣の女神像や生殖器崇拝など)。
その表現形態の中には性的興奮を起こさせることを目的としたもの、すなわちポルノもある。
文明社会においては、ポルノ表現は社会秩序を保つ理由などから、政治的・宗教的に何らかの規制がかけられるのが常であった。しかし、それでもポルノは人々の風俗の間で表現され続けてきたであろう。新しい表現媒体が発明されるごとに、新しいポルノが開拓されてきた。版画では春画やイ・モーディなどが知られ、写真ではポルノ写真やポルノ雑誌、映画ではポルノ映画、ビデオではアダルトビデオ、インターネットではアダルトサイトと、発明とほぼ同時にポルノに利用された。
明治時代以降の日本においては、わいせつ物頒布罪(刑法175条)により、性的興奮を起こさせる表現のうち、更に、通常人の羞恥心を害し、かつ、善良な性的道義観念に反するものは、わいせつ表現として法的規制がかけられている(性器描写に対するモザイク処理など)。しかしながら、わいせつな表現であっても、思想性や芸術性の高い文書については規制の対象から除外されるという議論が沸き起こることが少なくない。また、刑法175条自体が現状にそぐわない不合理な規制であり廃止すべきとの批判もある。日本では、わいせつな小説として伊藤整翻訳のD・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』や澁澤龍彦翻訳のマルキ・ド・サド『悪徳の栄え』が、映画としては、日活ロマンポルノ事件、武智鉄二監督の『黒い雪』(1965)、大島渚監督の『愛のコリーダ』が猥褻性をめぐり裁判にまで発展した。大島渚は有名な知識人を多数動員して、裁判に勝訴した。寺山修司はハードコアの映画『上海異人娼館 チャイナ・ドール』(英語タイトル・Fruits of Passion、1981年) を監督した。
近代社会においてポルノが公権力によって解禁されるのは、1960年代の世界的なカウンターカルチャームーブメントの一環としてであった。
日本では日活が71年からロマンポルノを制作し始め、東映も東映ポルノを発表した。フランスの映画界は、ソフトコア・ポルノ『エマニエル夫人』と『O嬢の物語』を制作した。特に『エマニエル夫人』はフランスにおいても、日本においても女性客がつめかけるヒット作となった。
ただし、日本国内では結合部を見せることは違法となっているため、モザイクをかけている。これは日本のポルノやセックスのあり方が、イスラム圏や途上国と欧米先進国の中間にあるためと見られる。日本とは異なり、世界のポルノグラフィは結合部を見せるものであり、この点からもかなりの相違点がある。
AVの審査機関・日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)の前身である「成人ビデオ自主規制倫理懇談会」が設立されたのは、1972年のこと。当時のわいせつ基準は「ヘアもアナルもNG」「モザイクは濃いめ」。ピンク映画やAVでの性交シーンやオーラルセックスシーンでは、何をしているのかわからないような状態だった。
漸く1990年代初めに入りヘアとアナルは完全に解禁され、モザイクは限りなく薄くなった。慶応大学法学部教授で日本コンテンツ倫理協会の評議員会議長も務める小林節氏は2050年のわいせつ基準をこう予測する。
「アメリカではFBIの調査でポルノと犯罪の因果関係が明確に否定されたことを受け、モザイクなしが解禁になりました。日本もアメリカにならって徐々に解禁に向かい、2050年には完全に自由化されているでしょう」
そもそもネットではすでに無修整動画が簡単に見られてしまうご時世である。日本におけるポルノ解禁もそう遠い未来ではないと思える。
2. ポルノ解禁と犯罪性について
ネット記事(2010/6/14、by dancingdog)に、興味深いものが紹介されていた。
『本邦ストリップ考まじめに』小沢昭一座談(3)/晶文社/2007年
一条さゆり裁判の意見書『デンマークにおける「公然わいせつ」ならびに「わいせつ表現物」に関する規制について』(石渡利康)を再録した部分から抜粋:
ポルノ解禁で一番問題となったのは、解禁によって性犯罪が増加するのではないかといった心配であった。
「法廷医審議会」は、有害説を否定する意見書を提出した。
1、ポルノグラフィーをみせると子供の性衝動がゆがめられるという意見があるが、学童年齢の年少者はポルノグラフィーのような外的刺激によって性的衝動の向きを曲げられることはない。
2、したがってポルノグラフィーが子供を精神的苦痛へいざなうこともあり得ない。
3、成人の場合も性生活に害をおよぼすことはあり得ないと考えられる。
1967年に文書ポルノグラフィーが解禁された結果、68年には性犯罪が約25%減った。1959年から69年までの10年間に、近親相姦および売春に関係する犯罪は63%も減少している。もっとも減少率のいちじるしいのは少女に対する性犯罪である。また、のぞき見も急激な減少を示している。クチンスキーによれば、この種の性犯罪(の減少)はポルノグラフィーの解禁やライヴ・ショーの出現と大きな直接的関係がある。ポルノグラフィーの解禁は、性犯罪減少の要因となったことが証明されたわけである。
※ライヴ・ショーとは、オナニー、ペッティング、ストリップ、レスビアンなどをショー的にみせ、本物の性交をも観客の面前で演じるセックス・ショーのことである。
これはまさしく当然のことだと思う。
問題にすべきは、青少年の健全な育成のために、どこまでエロスを抑制すべきか、その一点だけだと思う。
そもそも、性器の表現を含めたポルノが本当に青少年の育成に悪害になっているのだろうか。
私は個人的に、青少年にポルノを抑制しすぎるのは逆効果だと思っている。青少年はある年齢に達すると自然と異性に興味を持つようになる。そういう時期にポルノを見るなと言われれば言われるほど興味がわいていき隠れてでも見たくなるものだ。そんな中で変な妄想の世界が広がってしまう。健全であるべき青少年の性意識を歪めるのは親や教師たちからの強い社会的ポルノ抑制である。むしろポルノが当然のごとく解禁されていれば、青少年は夢中になるほどに興味がわかなくなる。
思えば、私の若いころは普通に性器の写真なんて見れないから、図書館の医学書で性器の写真を見て興奮していたものだが、今の子供たちはネットで検索すればいくらでも性器の写真が出てくる。家の中で子供がプリントして置き忘れていたのを見て苦笑いしたこともある。彼らには性器の写真なんて、ふぅーんてな感じだと思えた。自分の大学時代にビニ本が大流行し、ちょっとでもヘアが見えただけで異常に興奮していた自分がほんと馬鹿げて見える。時代というのはそんなものだ。
議論しなければならないことは、犯罪に結びつくエロスである。
過剰なエロス(エログロとでも言うか)は犯罪を呼び込む恐れがある。たとえば、レイプ・監禁など性暴力に関わるもの、幼少女を使うロリコンもの、盗撮・覗き・下着泥棒などの軽犯罪に結びつくもの、などなど。これらはAVで氾濫しており、容易に見ることができる。AV以外でも雑誌・漫画やゲームの影響が大きい。こうした異常な性ばかり見ていると、これが当たり前のように思えてしまうだろう。これこそが性異常者であり変態である。ふつうに真面目そうでインテリな学生などがこうした犯罪を犯してしまう土壌はこうした過激なAV等による影響が大きい。
犯罪に結びつくものは警察も徹底的に捜査し罰していくべきだと考える。
また、AVの内容はどんどん過激になる。綺麗な可愛い女の子がデビューしても、ふつうのSEXは最初だけで、すぐにアナル、SM、さらにはスカトロまで進んでいく。たくさんの女の子がデビューするため飽きられやすく内容を過激にしないと売れないというAV側の事情があるのだろう。それでも生き残れるのはほんの僅かであり、ほとんどの女の子は使い捨ての状況である。AV業界からたくさんのAV嬢がストリップに流れ、AV業界とストリップ業界がタッグを組んでシナジー効果を出そうとしている。現在これが成功している。ストリップ・ファンから言わせてもらうと、AVで過激な路線に行く前に、早めにただ見せるだけのストリップの世界に来たらいいのになと思う。踊りに自信がないとなかなかストリップの敷居は高いのだろう。
それにしても、アナルは見せてもいいが前のほうはダメというのは絶対におかしい。こういうAVを見すぎて育った青少年が、いざ恋人や奥さんができた場合、通常のSEXに飽き足らず、アナルやSM嗜好に走ったらと思うとゾッとする。女の子がかわいそうである。本来アナルはSEXに使うもんじゃないだろ。またアナルでは子供はできないから少子化が進んじゃうよ。
こうしたことは、ポルノ解禁が遅れている弊害だと思える。ふつうに性器の美しさを青少年に教えてあげないといけないのだ。ストリップは間違いなく、生きた教材になるはずだ。
最近とみに目につくのが、幼少女を監禁し妊娠させる‘孕ませゲーム’なるものが日本で発売され一部の人に人気となっている状況だ。しかも、その異常性についてイギリスなど海外から批判されていると聞く。日本は漫画・アニメ・ゲームなどが先進国であるにもかかわらず、ポルノ解禁が欧米などに比べて遅れているせいか、逆にこうした性異常的なものが欧米より多い傾向がある。日本人は変態の国じゃないかと馬鹿にされている。これこそ日本がポルノ後進国である弊害なんだなと感じられる。
3. ポルノの多様性
ポルノ批判家の中には、そもそも性行為自体が「男性が女性を支配する」という男性優位的な構造を持っているという極端な主張をする方もいて、思わず笑ってしまう。現実の夫婦生活のパワーバランスは女性が圧倒的に強いんだよ。SEXを求めるのは男性の方で、YES・NOの選択肢は女性にある。つまり女性の方が主導権を握っているのである。男性は女性のご機嫌をとりながら夫婦の営みが行われているのがほとんどの現実であろう。
仮にそうでないとしても、ストリップという世界は、まさしく女性崇拝の聖地である。我々は踊り子を女神のように崇拝する。ステージ上は雲の上の世界であり、われわれ地上の客はステージに上がるなんてことは許されない。腰掛けることすら許されない。ストリップの世界ではそれが暗黙のルールとして成り立っている。だから、ストリップを推進すれば自然に、先ほどの女性蔑視の考え方は矯正されるわけだ。
私は個人的には、愛にも性にももっともっと自由があっていいと思っている。男女間だけにとどまらず、LGBTも全て含み、愛や性は自由なんだと感じている。私は女性が根っから好きだからストリップに来ているが、女性が好きな女性客がいていいし、男女どちらもOKという人がいていいのである。自由で平和な世の中というのは選択も自由であるべき。そういう考え方を推進していくのもストリップの役割だと思っている。
その好例がある。最近の若い女子の間では、レディースコミック・ティーンズラブ・ボーイズラブといった形で女性向けのポルノ表現が定着してきている。少し前に、このボーイズラブを題材として、ストリップで女性でありながら男装してホモ(レズ?)ショーを演ずるチーム「TEAM BOYS LOVE」が大ブレイクしていた。。平成28年2月頃新宿TSミュージックでSMパフォーマンス系の栗鳥巣さんと京はるなさん、そして渚あおいさん(東洋)と美月春さん(渋谷道劇)とが一緒にチームショーを演じたことがきっかけ。それがTwitterで漫画家(たなかときみ)に紹介され、人気が爆発した。彼女たちの男装がかわいい&かっこよく、特に女の子の心を激しく掴んだ。熱心なストリップ女子が連日劇場に通うほどだった。
つまるところ、愛の形に絶対なるものがないのと同じく、性の形にも絶対なるものなんて存在しないのだと思う。
4. ポルノ解禁とストリップについて
もう一度、先のストリップの歴史について振り返ってみよう。
ストリップというのはもちろん海外にもある。ところが、日本のストリップは海外のものとは違い、非常に独特な進化を遂げている。昔は外人ストリッパーもたくさん日本に招聘され、ストリップを華やかなものにしていた。とくに本番まな板ショーでは外人の方が人気があった。金髪のすごい綺麗な女性がたくさん出演していたので性欲盛りな日本人は夢中になっていた。ところが風営法で本番行為が厳しく規制され出して一気に外人はいなくなった。今ではポラ撮影を中心とした踊り子と客のソフトな触れ合いがメインとなってきて、踊り子と客はフレンドリーな関係となり、日本語で会話のできない外人は馴染まなくなってきた。
先のストリップの歴史で見たように、風営法の改正から、本番なま板ショーや白黒ショーなど本番行為はストリップから一掃された。またピンク個室など直接的なサービスもなくなってきた。合わせて、ストリップからエログロ企画はどんどん排除されてきた。
なお、エログロの中でも、特殊な刺激をもつSM系については一部の趣味の方に人気がある。これも愛ある行為である限り、一定の理解を示し、SMショーやSMクラブなど別のアングラ世界で継続していったらいい。ストリップでもマンネリ解消からSM企画がよくやられ客入りがいいと聞く。しかし、ストリップでSM企画をやるのはどうかと思う。
ストリップはあくまでクリーン路線を進めて健全なるイメージとして生き残りをかけた方がいい。昔のように刺激を求めてなんでもアリということは今後はできるだけ避けた方がいい。
こうしたストリップの流れを鑑みれば、単に「ストリップで性器を露出した」からといって、警察が取り締まるというのはどうかと思う。
私の結論としては、女性が傷つくポルノには反対だが、道徳的な観点からポルノを問題視する必要はないと思える。ストリップもその延長線で考えればいい。
最後にもう一度繰り返すが、要は、犯罪に結びつかなければいいのである。警察権力が取り締まるべきは犯罪になるものに限定すべきなのである。
つづく
【参照文献】ネット記事
・ポルノグラフィ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・米国AVモザイクなし解禁 日本でも2050年完全自由化の流れか
・「先進国はみんなポルノ解禁してるのにどうして日本は遅れているのですか?」亀山尚輝の日記2018-08-03
・ストリップと法律・警察・司法 dancingdog 2015年10月26日