現在ストリップが未だ社会的に「グレー」な業界であると評価・認識を受けているわけだが、私から見たストリップの社会的存在意義、果たしている役割について述べていく。
ここが自論の主要なポイントになる。
① .ストリップが多くの社会的弱者を救うという福祉面にもっと配慮すべき。
まず第一点は「ストリップは多くの社会的弱者を救う」ということだ。
男たるものは女を伴侶にし家庭を作り子孫を残さなくてはならない。ところが世の中には、恋人がおらず結婚できないでいる淋しい男性がたくさんいる。男なら誰しも女を欲するわけだが、さまざまな事情があってそれが可能でない男性もたくさんいるんだな。そういう独身男性にとって、ストリップは心地よい居場所になっている。小遣い程度の安い入場料を支払いさえすれば、一日中でも女性の裸体が眺められる。こんなにコスト・パフォーマンスがいい居場所はない。
結婚している男性でも、家族に相手にされなくなった人にとってはお小遣い程度で遊べるストリップは楽しい場。そうした女性に相手にされない男性弱者を救うのがストリップ劇場なのである。
以前、ある踊り子さんが話したことを思い出す。2008年、トラックで歩行者天国になっていた交差点に乗り入れ、次々にナイフで切り付け、死者7人、負傷者10人を出した通り魔事件、いわゆる秋葉原無差別殺傷事件が起こった。加害者の加藤智大(ともひろ)(当時25歳)は元自動車工場派遣社員で、携帯ネットに「彼女ができない」とこぼす淋しい青年だった。私はこの事件が起こった直後にある踊り子が話した言葉を忘れられない。「この人、ストリップに来ていたら、こんな事件を起こさないですんだと思うわ」。
独身をとおす男性にも様々な事情があると話した。男であれば当然のことながら女に興味をもつ。そんな中、自分の容姿などにコンプレックスをもち性格的に女性に縁がないものと諦めている男性が圧倒的に多いが、中には身体的な方にコンプレックスをもつ男性もけっこう多い。スト仲間と話していてインポテンツであることを伺ったこともある。また聾啞者など身体に不自由なものをもつ方も多い。こうした身障者にこそ、是非ともストリップを観せる環境を整えたいと思う。ところが、車椅子で入場しようと考えても、そうでなくとも狭い場内で邪魔になると思う客が多いのと、そもそも建物の設備的に車椅子で入場できる劇場が極めて少ない。多くの人の手を借りて入場している車椅子の方を見ると気の毒に思う。ストリップ劇場は昔から地下にあったりして、車椅子のことなんか全く想定にしていない。ストリップ劇場にこそエレベーターやバリアフリーを考えるべきだと思うが、ストリップが社会的に認知されていない現状下ではそうした投資はなかなか進まない。こうした中で、ときに身障者に対する踊り子や客の優しさが垣間見えると本当に心が和む。
また、今のストリップは多くの男性高齢者を救う。若い人はどうしても直接的な刺激を得られる風俗を求めてしまうが、性的に弱くなった50~60代の客層には若い女性の裸を眺め、女の子を適度にからかって相手してもらう遊びの場としてストリップは最適な場所。
だから、若いうちはソープランドのような風俗にはまっていたが、高齢になるにつれ、直接的なものは卒業して、小遣い程度で遊べるストリップに流れてくる高齢者がたくさんいる。ある意味、ストリップは高齢者の遊びと言っても過言ではない。
土日は若い客層が多いが、平日は圧倒的に高齢者が多い。老人は毎日が日曜日なので、混雑する土日はできるだけ避け、空いている平日にやって来るわけだ。「今日は白髪率が高いわね」と笑っている踊り子もいる。舞台の上からは客の髪の毛がよく見えるのだろう。
平日は、ストリップ劇場のラウンジで入場早々にスト仲間が集まって昼食をとっている情景をよく見かける。その中には高齢者のグループが多く、まるでストリップ劇場が高齢者のコミュニティ・サロンになっている。趣味も同じストリップだと話題も共通し話が盛り上がる。仲間うちで食事したり話したりしていればお互いの健康状態がわかる。だから急に劇場に来なくなると病気などで身体を壊していないか、へたすると死んでいないかと心配している。これは地域のコミュニティと同じだ。このように劇場は高齢者にとって街のコミュニティの役割を果たしているのだと感ずる。
さらに、進めて考えると、今後ストリップは高齢化社会の性福祉に役立つかもしれないと感ずる。高齢者にストリップで性的な刺激を与えることで、近年社会的な大問題となっている認知症の抑制や、健忘症・痴呆症の予防につなげられる。
先ほどの場内での高齢者スト仲間の会話を聞いていると、踊り子の名前などがよく飛び交う。さらに踊り子の誕生日、周年イベント日などにプレゼントする。自分の孫娘をかわいがる老人の気持ちだね。これらが高齢者を元気づける。大切なのは、こうして数字まで自然に頭に入るようであれば頭の病気には決してならないのだとつくづく思う。
話はちょっと変わるが、以前、大きな地震災害などがあったとき、チャリティ・ストリップを考えていた踊り子がいたな。被災地でストリップができたら男性陣はどんなに喜んで元気になることだろう。ただ、女子や子供のことを考えたらチャリティ・ストリップの実現はなかなか難しいだろうね。それにしても、こういうことを考える踊り子さんは本当に心優しいなと感じた次第である。
② . ストリップは性犯罪の防止につながる。
第二に、ストリップは性犯罪の防止につながることを真剣に訴えたい。
警察には、ストリップがどれほど性犯罪をなくすことに貢献しているかを是非とも認識してほしい。
最近のストリップでは、パンティ・プレゼントが人気。このイベントがあるとたくさんの客が集まる。特にTS系の劇場では週に2~3日はパンプレDayになっているほど。他には、蕨ミニでも週3日、大阪晃生は5のつく日をパンプレDayにして月3日実施など。これにより、下着泥棒などの軽犯罪がどれほど減っているか計り知れない。他にも、性的に鬱屈した男性のストレス発散にストリップは最適。ストーカーなどの犯罪防止に大きな役割を果たしている。
大切なことは、ストリップはギャンブルと同じく、社会において必要悪な存在と捉えるべきものであることだ。
③ . ストリップは経済の活性化に資する
前に京都遠征したときの私の日記から。
「改めて、ここ京都は観光の街であることを感じた。私は、京都観光ではるばる来たわけではなく、ストリップで好きな踊り子さんを追いかけて遠征してきたわけだが、京都にDX東寺劇場がなかったらここに来ることはなかった。まさに私にとってDX東寺こそが観光先。
そう考えれば、『ストリップも観光である』と云えなくもない。観光とは産業として客を呼ぶことに意義がある。ストリップのお陰で、たくさんの客が劇場に集まってくる。交通機関を始め、劇場近くのスーパー、花屋さんは潤い、その経済効果は小さくない。だから、踊り子さんは貴重な観光資源なんだと思う。近年、地方の劇場が閉鎖に追い込まれているが、地方こそ、まさに地域振興のひとつとして劇場を残してもらいたいものだと考えずにいられない。」
この日記では、京都に来てストリップ以外の観光はしなかったと書いてあるが、京都は中学時代の修学旅行から始まり何度か観光に訪れているので、あえて観光をしなかったに過ぎない。私はストリップの遠征とは云え、初めて訪れる土地では必ず観光をして観光レポートを残している。例えば、広島第一劇場に行った時は原爆記念館や厳島神社など、岐阜まさご座に行った時は岐阜城、またニュー道後ミュージックに行った時は道後温泉をはじめ松山城や坂の上の雲ミュージアムを回っている。
とくに道後温泉の湯につかりニュー道後ミュージックでストリップを観劇したときの気分は最高だった。観光と温泉とストリップの組み合わせなんて最高に贅沢な気分を味わえる。思えば昔は温泉街には必ずストリップ劇場があったものだ。今では温泉地にあるストリップ劇場としてはニュー道後ミュージックと芦原ミュージックの二か所だけ。そう考えると、淋しい限りだし、なんか日本人として大切なものを失ってしまったような喪失感を感じてならない。
熱心なストリップ・ファンは必ず遠征する。遠征を厭うどころか、嬉々として実行する。こうして、多くのストリップ・ファンが全国を行き交えば経済的効果も大きい。
そういえば前に、大阪の晃生ショー劇場が警察のガサ入れにより八か月の営業停止処分をくらったとき、近所の商店街が「ストリップ劇場が閉館になり客が来なくなると町全体の商売が打撃をくらう」として営業停止期間を六か月に短縮させたという話を聞いたことがある。私が晃生の近くで定宿にしている旅館のママも、劇場があるお陰でたくさんの宿泊客が来てもらっていると話している。劇場の元気が町全体の元気につながっているのである。
ストリップ劇場が果たす地域経済への貢献は大きい。「地方の再生をストリップで!」
④ . ストリップは大切な文化遺産
最後に、ストリップを大切な文化遺産として残していくことを考えたい。
少し前には新宿には三軒のストリップ劇場があった。多くのストリップ・ファンが毎日のように新宿に集まった。そこでは毎日、多くの外国からの観光客が新宿のストリップ劇場に押しかけていた。男女のグループがぞろぞろと入ってきて一気に場内が満杯になる。海外ツアーの進路に組み込まれているようだが、日本のストリップはちょっと独特なのでかなり興味津々そうにしている。楽しそうに観劇している彼らの姿を見ていると、ほんとストリップに国境はない!と思わざるをえない。悲しいかな、今や新宿にはストリップ劇場は一軒しかなくなった。
また大劇場である浅草ロックにも海外客が多く押し寄せる。浅草ロックは当然ながらストリップ劇場であるが、ショーを見せることに徹しているストリップ劇場なのでこれまで一度も警察のガサ入れの対象にはなっていない。こういった劇場からコント55号やツービート、その他浅草芸人、作家の井上ひさし等を輩出した。ストリップ劇場は文化の発信基地でもあったわけです。警察に全く摘発されない昔ながらのストリップ劇場は沢山あることも知っておく必要があります。
ストリップは日本に昔からある大衆文化。
男が女のヌードを好きなのは本能。今日の疲れを癒し、明日への活力を培うのにストリップは最高の場。しかも小遣い程度で楽しめるという庶民の娯楽場なのである。
今は趣味・嗜好が多様化しているが、東京は人口が多いためストリップ・ファンも多く、たくさんの劇場が賑わっている。問題は地方。昔は地方の大きな都市には必ずストリップ劇場があった。今や100万人都市でさえ、名古屋にも博多・札幌・神戸・仙台にもストリップ劇場がないという信じ難い事実。
娯楽の殿堂であったストリップも今や人気低迷。ストリップ劇場がどんどん減っている。娯楽や風俗の多様化で、ストリップ人口がどんどん減っているからであるが、もう一度ストリップの良さ・意義を見直してほしい。ストリップは単なるエロではなく、むしろアートであり、大切にすべき庶民文化である。気楽に楽しめる娯楽場としてもっとストリップに足を運んで欲しい。
以上、こうしたストリップの社会的存続意義が極めて大きいことを認識してほしい。
つづく