以上の花月さんの論文内容を踏まえて、「ストリップは違法ではない」というロジックを構築していきたい。結論は花月さんと同じではあるが、より熱烈なストリップ・ファンとして、ストリップの現状分析を進め、花月さんの意見をフォローすべく、論拠を作っていきたいと思う。

 まず最初に、「ストリップは違法ではない」という結論に導くために、現在の「ストリップの違法性」に反論するための攻略ポイントをランダムにあげながら、どういう話の展開をすべきか頭の整理を行っていく。

 

 

・花月さんの論文「法とストリップ」を一読しまとめさせて頂きながら、ひとつ私の率直な感想をメモしておきたい。

私が大学の法学部で勉強した刑法の基本中の基本のルールとして、刑法で犯罪が成立するためには三つの要件「構成要件該当性」「違法性」「有責性」が前提となる。

 花月さんの論文では、「公然わいせつ罪」が設立するための法律条文に記されたところの「構成要件に該当するかどうか」に終始した内容になっている。これはもちろん法律家として当然の論調ではあるが、一方「違法性」「有責性」からの視点も考慮できないものかなと感じた。

「有責性」というのは、責任能力が問えるかどうか。刑法では心神喪失や心神耗弱の人や責任年齢について、「心神喪失者や14歳未満の者に対しては罰しない」「心神耗弱は刑を軽減する」と明記されている。ストリップが直接これに該当するわけではないが、後に述べるように「ストリップは社会的弱者を救うもの」。法というものが誰にも平等のものであるならば、法の精神のもと社会的弱者を救うストリップに一定の配慮はできないものか

 また「違法性」というのは、法令又は正当な業務による行為(警察官の行為など)や正当防衛にあたるものは罰しないとされている。ストリップが直接これに該当するわけではないが、この法の精神を生かして、ストリップが犯罪を予防するものであること、さらにストリップがアートや文化として認知されるものであるならば、そもそも違法性はないという判断にはならないか

 つまるところ、私のこれからの論調は、法律専門家が語る個別の条文解釈論というよりは、一般人、特にストリップに理解のある一般人の視点から述べたいと思っている。

 

・現在ストリップが未だ社会的に「グレー」な業界であると評価・認識を受けているわけだが、私としてはなにがなんでもストリップを存続させたいと思う。そこで、現代社会においてストリップが必要であることを、ストリップの社会的存在意義果たしている役割という点から述べていく。これにより、ストリップの市民権を得たい。

 特に、ストリップのお客は女性に相手にされない独身男性が多いこと、高齢者が多いことなど社会的弱者である点を強調したい。

 ここが自論全体の主要なポイントになる。

 

・ストリップの違法性を議論するためには、これまでのストリップの歴史をおさらいする必要がある。

 過去の判例は昔のストリップに対するものであり、今のストリップの内容は昔と様変わりしている。これは風俗全体が時代とともに大きく変わってきていることが背景にある。こうした時代背景を抑えておくことが肝要である。

 できる限り、過去の判例、最近の検挙事例をあげながら、現在のストリップとの矛盾点を示したい。。

 

・海外、とくに欧米などポルノ先進国との比較をしたい。

日本のポルノは欧米など先進国の影響が大きい。戦後かなり厳格だった日本のポルノも、最近になり漸くヘアまでのポルノ解禁が認められるようになった。

 現時点では、日本は性器のみポルノ解禁していない。欧米などは当然のごとく性器表現まで含めてポルノ解禁しているのだから、このバランス感はどうなのか、また日本の遅れはどう影響しているのかを考察したい。

 

・また、ストリップのアート論を追求したい。

ストリップの本質はエロスにある。エロスはアートに結びつく。アートであればその表現は自由であるはずだが、ストリップにおける表現の自由はどこまで含むのか。性器を露出・表現するとアートではないのか。

 刑法の「わいせつ」と憲法の「表現の自由」の関係を見ていきたい。

 

・最後に、ストリップの犯罪論(犯罪性)について述べたい。

 これまでの議論から感じられると思うが「ほんとうにストリップは犯罪なの?」というそもそも論について述べたい。

 

 以下に、それぞれの攻略ポイントを章に分けて論じていきたい。

 

                                     つづく