イスラム国とかいうテロリストによる日本人の拉致事件を知り、あれこれと似たような事件が過去にもあったような……。
2004年に、アルカイダと思われる武装グループが日本人青年を拉致して、イラクから自衛隊の撤退を要求して、その要求に応じなければ、拉致した青年を殺害するという事件があった。
2001年に、アメリカで、9・11事件があり、アメリカとの同盟関係にあることもあると思うが、「テロには屈しない」と日本政府は要求を拒否。
それより以前に、「悪魔の詩」という本が出版され、その内容がイスラム教を冒涜するとして、作者と翻訳関係者に処刑宣言が出された。
作者はたぶん、現在も逃亡生活をしていると思いますが、日本語版を翻訳した大学教授が殺害されるという事件が起きた。
犯人は逮捕されないまま、事件は時効はむかえました。
フランスでは、イスラム教を冒涜したという理由で、新聞社に対して銃撃事件が起きた。
自分は馬鹿なので、イスラム教徒の中には、イスラム教を冒涜した相手には死をもって償わせるという価値観があるのかと思ってします。
全てのイスラム教徒がこういう価値観を持っているわけではなく、一部の人たちの価値観だとは思いますが。
フランスの風刺画に対しては、やり過ぎというような意見もあり、いくら表現の自由があるといっても、それを理由に差別というか侮辱が込められていたような感じがします。
これはあくまでも、紫苑という馬鹿の個人的な考えです。
日本人の殆どが宗教に対していい加減なので、自分の信仰する宗教が冒涜されたと感じてもなんとも思わないような気がします。
ヒンズー教では、カースト制が絶対であり、カースト制による差別は否定されていますが、はいカーストの人たちは、ローカストの人たちを差別しているような感じが、いまでもします。
クリスマスって、キリスト教の行事ですが、クリスマスを当たり前のイベントしてとらえています。まあなかには、うちはキリスト教徒じゃないから、クリスマスなんて関係ないという人もいますが、クリスマスという理由で、おもちゃをねだる子供を戒める為にだけやっているような気がします。
歴史をみてみれば、宗教が理由で戦争は起きているので、 こういう事件が起きることは当然なのかもしれませんが。
ある宗教を冒涜したからという理由で、その人が殺されても仕方がないとは思えないです。
これは、紫苑という馬鹿が日本人だからでしょうね。
他の国に生まれた場合、自分の信仰する宗教を冒涜した人間には、死を持って償わせるということが当たり前のことだと思うのかもしれないです。
無神論者の考えというかもしれませんが、神に対するイメージが違うと思います。
神は慈悲深い存在だとは思いません。
神というのは、自分の退屈を紛らわす為に、自分を信仰する人間を弄び、それの様子を見て笑ってるような存在だと思います。
自分が困難に苦しんでいる時に、救いの手を差し伸べてくる存在よりも、自分が困難に苦しんでいる姿を見て、その姿を、見て笑い、更にどんな苦しみを与えてやろうと考えるような存在、それが自分にとっての神という存在だと思います。
自分の信仰するがする宗教が冒涜されたとしても、冒涜した人を殺すことが正しいとは思わない。
自分の信仰する宗教以外jは冒涜してもいいとは思わない。
自分と違う価値観があって当然だし、自分の信じている価値観が絶対に正しいなんてことはない。他人からみれば間違った価値観をただ自分は正しいと思っているだけだと思う。
自分で自分は間違っていると思っていたも、その間違いを貫き通すことはあるし、それはそれでいいと思うけど。
でも、人を殺したくはないです。
自分で自分は間違っていると思いつつも、間違いを貫いて、他人を傷つけてきた。
人を殺したことはないけど、人の心は殺してきたと思います。
そう思うのなら、そんなことしないといいのにと思うけど、馬鹿なので、なおらない。