随分、長いこと、ピタゴラス音律、純正律、平均律のことをやってきたし、モードのこともやってきたが、改めて、このことが当たり前になるような時代はまだまだ遠い未来のような気がしてきた。
ママさんコーラスやアマチュアコーラスでは、常識の純正律のハーモニーが、弦楽の世界では、まだまだ当たり前ではない。特にヴァイオリンは、ソリスト志向でずっと教育が行なわれてきたから、圧倒的にピタゴラス音律である。でも、弦楽器の方々の中には無意識のうちいも、音律を使い分けている方々もいるに違いない。そこで、新しい教本を開発した。
 ここのところ、吹奏楽の話が多いが、吹奏楽を経験した後、管弦楽の世界に行った者としては、なんか懐かしく、吹奏楽での体験を振り返ってみたくなったのである。いま懐かしいと書いたが、実は、そう思えるようになったのは、最近のことだ。どちらかというと、トラウマのようになっていた節もある。
 吹奏楽が日本の音楽界に果たした役割、貢献は、本当に大きなものがある。吹奏楽が盛んになったおかげで、優秀な管楽器奏者が多く誕生したし、吹奏楽がきっかけで広く音楽の世界へ興味を持つ人も増えた。何しろ、吹奏楽は学校での活動が最もさかんであるから、そこで得られた音楽への興味というのは、おそらく一生持ち続けると思う。楽器をやめたとしても、音楽への興味は尽きないだろう。
 そもそも私自身が、その恩恵を受けている。
 ただし、吹奏楽から入った者は、うまく付き合っていかないと、トラウマになったりするので気をつけた方がいい。現に私がそうである。
 吹奏楽が盛んになったその最も大きな要因は、吹奏楽コンクールである。吹奏楽コンクールは、アマチュア管打楽器奏者にとっては、甲子園のようなものだ。地区大会、県大会、地方大会、全国大会とあり、どんどん勝ち上がっていかないと、先へは進めない。そして、全国大会で、金賞をとれば、一応の成功である。このコンクールというものが、虚栄心を見事に満たしてくれるのである。そのこと自体は別に悪いことでも何でもない。向上心をかき立ててくれるものとして、吹奏楽コンクールは大きな役割を果たしていると思う。尤も全国で金賞をとらないと、その虚栄心はいつまで経っても満たされない。だから、多くの団体は、その未知なる段階を求めて何度でも参加し続けるのだろうと思う。
 さて、これがオーケストラになると、このようなコンクールを設ける発想自体起きにくいと思う。それはいろいろな理由があると思うが、仮にコンクールというものを考えたとしても、その瞬間に他のオーケストラと競うことの無意味さを感じるからだと思う。
 吹奏楽の場合、その大半は中学、高校、大学であるから、教育という面からコンクールというものをとらえやすいのだと思う。良い意味で競うことの大事さを伝えることができれば、学校吹奏楽のコンクールは大きな意味を果たすだろう。
 ここ十数年ほど、吹奏楽コンクールを聴きに行ったことがないから、最近のレベルは知らないが、おそらくとても水準が上がっていることだろうと思う。
 最近の演奏を知らないので、以前聴いた演奏を思い出して書くが、いい演奏、いい音楽性を聴かせてくれたら、それは素直に素晴らしいと思えるだろう。だが、コンクールに勝つための演奏、そもそもそういうものがあるかどうか怪しいが、そういう演奏をしようとしている演奏に出くわすことがある。それは言葉では説明しにくいが、明らかに聴いていて、それと分かる。
 こういう演奏が最も私はいやなのである。先日、友人がそういう演奏を一語にして見事に表現してくれた。曰く「あざとい演奏」。
 であるから、吹奏楽は怖いのである。そういうあざとい演奏が音楽だと思ってしまったら、その後のひとりひとりの音楽人生はどうなってしまうのだろう。どこかで気づきがあるのかもしれない。その反面教師になればまだいい方だが、結局、吹奏楽やクラシックから離れてしまうということに繋がりかねないと懸念する。
 コンクールもいわばコンサートである。いろいろな演奏を聴くことのできる最も贅沢なコンサートであると思う。是非とも、正面突破の正統的なピュアーな演奏を聴かせてほしいものだ。
ギャルドレピュブリケーヌのことを書いたから、やはりイーストマン吹奏楽団のことを書きたい。イーストマンは、アメリカのイーストマン音楽学校の学生たちの吹奏楽団である。だから、とても若い人達ばかりで、瑞々しいサウンドがしたものだ。全てのパートが、洗練されたサウンドで、とにかく一人一人が、ハイレベルなソリストみたいな感じであった。ギャルドレピュブリケーヌとイーストマンとは、まったくタイプが違っていて、日本の学生バンドは、この二つの楽団をお手本に成長した時代があった。と思う。
イーストマンは、軍楽隊の雰囲気からは遠く、いずれオーケストラに行くような人達も多そうだったから、とにかく、個人技で聞かせるバンドだった。
どちらが好きかというと、わたしは、ブラン時代のギャルドレピュブリケーヌが好きだ、また、ソフィスティケイトされたイーストマンが好きである。

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