駅で乗り換えで歩いていたら、ちょっとした出っ張りに躓いて思い切りダイビングして傘も雑誌も放り出して転んだ。以前にも同じような転び方をしたことがある。そのときは、エスカレーターに躓いてダイビングした。かなり衝撃は大きくしばらくは痛くて立ち上がれなかったのに、人々は横を歩いていくだけでした。転んだことよりも、そのことの方がショックでした。
今回も、誰も助けてくれないな、と思ったら、一人の美しい女性が文春を拾ってくれました。傘を杖代わりに起きがった自分は、手負いの戦国武将かと思いました。
どうも、一年に一回くらいは転びます。今度リニューアルするヤマハ銀座店ですが、昔のお店の時、地下の楽譜売り場に行くとき、思い切り階段で滑って転びました。背中から臀部にかけてダダッと強打し、ウギャーと叫んでしまいました。周りの女性は、救急車、救急車、と騒いだので、私もそのつもりでいたのですが、意に反して、だんだんと痛みが引き、起き上がってしまいました。
歳を感じます。
玉木宏樹先生の都電コンサートが、12チャンネルで放映されるというので、夜の八時から見ていたのに、エンディングでちょろっと、出ただけだった。取材は一時間もかけて、これはちょっと酷い。もったいなすぎる。しかし、テレビというのはこんな取材をするのか。いや、編集をするのか、と言った方がいいかもしれない。
トランペットで高い音を出したり、強い音を出すときには、どうしても力が入ってしまうが、これはいいことは一つもない。何十年もやっているのに、このことに気づくのに何十年もかかった。ある上手いトランペット仲間が、リハで、力が入っているのに、本番は何故か、すべて上手くきれいにいく。これは何か秘密があるに違いないと思って、よく観察していたら、彼は本番では脱力しているのだ。脱力しているから音は綺麗だし、外さないし、確実である。それを聞いてみたことがある。確かに、脱力しているのだという。

よく、どのような楽器でも脱力ということはよく言われる。しかし、これは、簡単なようで実は簡単でない。脱力という概念は分かっていても、本当に脱力しようとしているとは限らない。観念的に理解するだけで、実行しないことも多い。

そこで、実験的に、意識して脱力することをやってみた。これは本番でないと意味がない。ところが、これが実に勇気がいるのである。脱力して、音が外れたら困る、とか思ったらももうできない。であるから、本番で脱力するには、決心が必要である。そうでなくても、緊張する本番では、脱力することはこんなんである、であるから、トランペットを吹き出す直前に、意図的に脱力するのである。これを私は、意図的脱力奏法と名付けた。本当にふっと全ての力を抜くのである。抜くといっても意識のなかである。本番では、完璧に力を抜くことはまずできない。でも、意図的に脱力すると、ちょうどいい具合の力加減になるのである、と私は想像している。
やってみた結果、成功する確率は高い。力を入れていたときよりもはるかに確率は高い。
しかし、これは、なんども言うようだが、勇気がいる。力抜くと、音が出ないような気がするからだ。しかし、それまで、さんざん練習をしてきたのだ、絶対出るはずである。この体験を繰り返すようになれば、確実さが増す。

このように私は脱力に力を入れてきた。