クラウド・コンピューティングという概念がいよいよ現実的なものになってきた。
自分のパソコンや、会社のパソコンに依存しない仕事というものだ。
例えば、DTP(デスクトップパブリッシング)が普及した頃、全てが自分でバンドリングできると思って、これはグーテンベルク以来の革命だと思った。理論的にはそうである。だが、現実は、ソフトの問題、ハードの問題、データの問題があって、全てをバンドリングすることは無理である。というより、例えば、会社の自分のデスクだけでしか仕事ができなければ、これは不都合が生じるであろう。そのコンピュータが壊れる可能性を考えれば、こんなリスキーな話はない。
そこで、考えられたのが、クラウドである。クラウドとは雲。雲の中に全てはある。雲をつかむような話であるが、実際、雲をつかむのである。どこにいようと、仕事はできる。安心立命の心境である。
我々は目の前にあるコンピュータを使って、雲に行き、そこが仕事場になる。
我々の知らないところで、我々の仕事が保護されているのである。もしかして、我々は我々の知らない世界から管理されているのかもしれない。
今日、印刷所でIT関係の担当の方から、いろいろなことを教わった。
今、電子出版ということが盛んに言われている。アップル社が、iPadを発売して、いよいよ現実味を帯びてきた。アップル社は、個人の登録も認めているから、理論的には、作家が直に電子出版をすることが可能になる時代が来たことになる。
紙媒体は無くなるのか? もし、完璧に紙媒体がなくなったら、それはグーテンベルクどころでなく、パピルスの誕生以来の大変革である。
資源を大切にするという意味では紙を無駄にするのはよくない。だから、紙媒体は本当に必要なものだけに限られてくるのではないか。本当に必要な紙媒体とは何か。新聞は、iPhoneで読める。小説やエッセイも読める。しかし全部が全部、すぐに電子出版に移行することは、現実的ではないようだ。棲み分けも行なわれるのだろう。
しかし、言うまでもなく、世の流通は、ITと無関係ではいられなくなっている。今日も様々なアイディアを頂戴した。彼は、本や雑誌を眺めるだけでいろいろなアイディアが浮かんでくるという。我々が編集したものなのに、彼のようなアイディアは私には浮かんでこない。いかに編集バカか思い知らされた。
今の状況を踏まえ、将来どのような展開になっていくのか、ここが見極めどころであろう。
もう少しで下版です。編集は前頭葉の肉体労働なのか。
一度に、頭のメモリーを超える判断力が必要になります。
こういう場合、女性の方が、切り抜ける力はどうも強いようです。
歳とともに我慢がきかないのか、何かあると、大騒ぎしてしまいます。
以前でしたら、やせ我慢でもなんでも、じっとしていたのですが、今は自制が効かないようです。

私は、歳をとれば、もっと大人になったり、悟ったりするのかと思っていましたが、若い頃の方が、もっと自信があったように思います。怖い物知らずだっただけなのかもしれませんが。

世の中の親父たちは、あまりしゃべらないように思います。自分が親父になってその気持ちがだんだん分かってきたような気がします。つまり、しゃべらない方が安全だ、ということです。