病院で患者が着る白い寝巻き姿。病のせいで真っ白になってしまった長い髪。そして、亡くなった時と同じ優しい笑顔でこちらの方を見ている。
「……春音。……春音」
僕はゆっくりと彼女に近づいて行った。
驚いたから?信じられないから?違う。嬉しかったから。
足はしだいに速くなり、気が付いたら走っていた。彼女に触れようと手を伸ばす。
だが、
「・・・ごめんね」
手は、彼女の体を透かし、虚しく空を切る。何度やっても、僕は彼女に触れることができなかった。
「やっぱり、ダメなんだね・・・」
考えてみれば当たり前だ。彼女は、鳴海 春音は死んだのだから。僕も彼女の最後に立ち会った一人だ。
「そ。私の体はもうないの」
悲しそうな顔で、彼女は僕の方を見た。
「でも、あなたに伝えたいことがあったから、もう一度会いに来たの」
「僕に、伝えたいこと?」
うん、と頷くと彼女はゆっくりと月を見上げ、次に桜の木を見る。
「私、死にたくなかったの。体が弱くても、立てなくなっても、病院から出られなくなっても全然いいから、生きていたかった」
「春音」
それは、毎日彼女が僕に言っていたことだった。僕はどうしてかいつも尋ねていたが、彼女は笑って答えてくれなかった。だから、今度も僕は彼女に尋ねる。
「どうして?」
ゆっくりと、彼女は口を開いた。
「それはね・・・・・・・・・・・・」
桜の花びらが、まるで雪のように零れ落ちた。僕と春音を包み込むように。彼女の言葉は、僕の耳に響くように聞こえた。
「本当なの?春音?」
「うんホント。これを、私はあなたに伝えたかった」
どうして気付いてあげられなかったのだろう。僕は、彼女が望んでいたのがなんだったのか今わかった。彼女はきっと、生きているときに気付いて欲しかったに違いない。
「ごめん。・・・・・・ごめん春音」
僕は彼女をまともに見ることができずにうつむいて涙を流す。
「公人」
彼女は、僕の目の前まで近づいてきてくれた。触れないのをわかっているはずだが、僕の頭をなでるよように手を動かす。
「私は、満足よ。こんな姿になっても、あなたが私のことを思っていてくれたから」
僕も顔を上げて彼女を見る。
「私はこれからもあなたを見守っているわ。だからあなたも、自分の未来を生きていって」
「春音」
僕の見ている目の前で、彼女の姿は徐々に薄くなっていく。同時に桜も、美しい花びらを落としていく。僕はもう泣いていなかった。最後の言葉を伝えに来た彼女を見送る。
彼女が消えた時、桜の花びらは消え去り、目の前には一本の木が残るのみだった。いや、もう一つあった。僕が見上げた空に、最初よりも輝きを増した月が。
気が付いたら、僕は自室の机に突っ伏した状態だった。もう四回目になる、この起き方。いつもならこのまま何もせずに部屋に閉じこもり泣き続けるのだが今日は違う。
部屋の扉を開けて、今日は外に出る。
彼女の願いは、僕が未来に向かって歩くことなのだから。
玄関を出た時、家にある桜の木から、行ってらっしゃいと言われた気がした。