先日、長男と話しました。


長男はもう結婚してて、孫もできました❤️


小学校1年生の時に離婚して

私はこの美容業界で生きていくと決めて

離婚を決意したわけですが

まあ、色々ありました。


子供が小さいうちは、母が来てくれて

子育てしてくれました。


私はね、子供を育てるためというか

自分のやりたいことに爆進してきた感じです。

やりたい事をやってきました。


私の子育ては、とにかく早く自立してもらわないといけないので、全部子供に考えさせる事をしてきました。


自分の将来や、目の前にあるやるべき事や、

全部。


学校をサボりがちな息子には、

中学校にも行かないでいいから、今から丁稚奉公に

修行に入りなさい。

その方が、20歳になるまでには立派な職人になれると笑


それが嫌で、学校にも渋々行ってましたね。


勉強が好きな子は、親が何も言わないでも

勉強するじゃないですか。


自分の未来は自分で作る。


これが私の信条だから。


さらに高校までは面倒を見る。

でもそれ以降は、親の義務がなくなるから

この家を出て働きなさい。


2人の息子たちは、勝手に進路を決めて

親には何の相談もなく

事後報告で、それぞれシナリオライターと柔道整復師の専門学校を決めてきました。


お母さんがアドバイスして決めた道なんか

後で、お母さんを責められても困る。

だから、自分で決めなさい。

とだけ伝えていました。


今は、その道に行ってるかと言えば

行ってなくて全然違う道を選んで生きてます笑


やりたいと思った事をやっておかないと

人生に後悔をしてほしくないと思っていたからです。


彼らにとっては、幼少期はサバイバル人生だったと思います。いつも親はいない。

手伝ってくれていた母も中学生に入る頃には

福岡に帰り、2人の息子たちは親不在の家で

生きてましたから笑笑


私は私の夢を叶えるために

もちろん生活もありましたが

80%は自分の人生のために仕事してました。


何か問題が起こると、必ず家族会議。

3人とも正座してお互いの目を見て話す。

それで全員で問題解決をしてきました。

子供を子供と思ったことはありませんね。

1人の人間として、長原家のチームとして

話し合いを持ってきました。


2人ともバスケをやっていたことは良かったなと思ってます。なぜなら、思春期はエネルギーのぶつけ先が必要で

それをスポーツにぶつけまくってくれたからです。


働いていても、自分のやりたい事をやっているので

お金もありません。

お金のために働くというよりかは、

やりたいと思うことに忠実に行動してただけ。

超サバイバル人生です。


電気代も払えなくてロウソクの灯りで過ごした夜もありました。この時代、ありえます?笑

あの夜は最高の思い出です。


家賃も払えなくて滞納してたこともありました。


それでも、やりたいと思うことに子供達は 

着いてきてくれましたね。


「オカンは、止めても聞かへんやろ。」


家族会議の時に言われました。

子供が1番の私の理解者でした。

それは今でもそうです。


ある時、次の挑戦をしようとする私に高校生の長男が言いました。


「まだ早い。オカンは何か新しい挑戦をしようとする時が1番イキイキしてる。でも、それからが続かへんねん。その挑戦をするのなら、オカンの右腕左腕を使ってからや」


と止められたんですよね。


私も「確かに。その通りやな」と

その挑戦を諦めたことがあります。

もう、10年以上前の話です。


私よりも大人やなと感心しましたね。


子供は勝手に育ちます。

親の手助けなんかいらないんです。


話が大分それましたが、元に戻します。


先日、長男が久しぶりに家に来て話をしたんです。


「お母さんな、来年はやりたいこと全部やるつもり」


と言ったら


「オカンの人生はずっとそうやん。俺、ずっとオカン見てきてるから、俺もそんな人生送っとるわ。我慢できひん。人に迷惑をかけることさえしなかったら、やりたいと思うことしかやれんのやわ」


うわー。めちゃ共感するわ笑い泣き


息子は楽しそうに人生送ってるみたいです。


ど貧乏時代の長原家の青春期を過ごした仲間は

何があっても動じない楽しい仲間になっています。

ど貧乏で苦労かけたなというと、息子は、


「貧乏やったという記憶はないで。やりたいことやらせてもらってきたで」


と言ってました。


長原家にまつわる話は、山ほどあってここには書ききれません笑笑


この子供達に出会えたことに、神様に感謝します。