私たちは何故自然に触れると涙するのか?
桜が満開の季節になっている。
東京では散りつつあるが、今出張できている仙台は、満開である。
非常に美しく、年間何日もない貴重なタイミングで出くわせて幸せを感じている。
朝から散歩をしていると、なぜだかその美しさに涙が出てきた。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
神は何かと問われると、いろんな答えが出てきて困惑されることと思う。
西洋では神は「人」であり、個体として認識されている。
象徴はいつも「人」が中心だ
一方で東洋では神は何かと問われると、「自然」であると古くから認識されている。
そして、人間自身も自然の一部と考えられている。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
例えばそれは水の扱い方を見てもそれはわかる。
西洋では噴水を作り人間の力量を見せつける。
しかし、東洋ではししおどしのように、自重で落下するように自然の流れに逆らわない。
モノづくりの中に哲学や文化を感じることができるので、風景が違う場所からは違ったエネルギーを感じられるのだ。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
これは単なる思想の違いなので、何が正しい間違っているということを論じていない。
東洋では「自然」であることをとても重要視しており、先人たちは自然とともに脈々とその思想を受け継いできた。
主に日本で暮らす我々は、知らず知らずのうちに「自然」の恩恵を受けている。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
しかし、私たちはある程度のキャリアを重ね力量がついてくると
「ああしたい」「こうしたい」という意図が通用するようになる。
例えば、嫌いな人は遠ざけたり、関係を絶ったりすることができる。
嫌な仕事は遠ざけ、好きな活動だけをすることができる。
ここには人のエゴを存在させることできる。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
一方で自然は、何も拒まない。
例えば、公園のケヤキの樹木はここに生えていたくないと拒むだろうか。
伐採されるときに拒むだろうか。
自分自身でそこに生息したいと決めているだろうか。
すべては、流れに身を委ねている状態だ。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
人が自然になることが素晴らしいことと、良い悪いを言いたいわけではない。
そこから学べることがあるのだとすると、人の次元があがるであろうという話です。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
あなたが美しい風景を見て、涙を流すのは決して自然が美しいからではない。
美しい自然を通して、あなたの心の中にその美しさを投影できたから。
その美しさを自分の心の中に見たからだ。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
私たちは本当に自然になったときに、放つエネルギーが変わってくることを感じられる。
前向きでも後ろ向きでもポジティブでネガティブでもない。
元気は「元の気持ち」、ポジティブなことが元気なのではなく、自然とわいてくるものが元気なのだ。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
足るを知る。
すでにこの世の中の自然と一体化している私たちには何も不足していることは無く
全てがちょうどいい状態なのだとすると、どんな風景が見えるだろうか。
ㅤ ㅤ
ㅤㅤ ㅤ
ㅤ
そして、私たちは自然から何を学ぶことができるだろうか。