私たちはどうして不安という感情に、支配されてしまうのだろう?
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感情を大きくわけると、「快」と「不快」の2つに分けることができる。
その中でも「不快」な感情は多くの人が避けたい、遠ざけたい、見たくない、と思うものですね。
嫉妬、恨み、憎悪、罪悪感、恐怖、不安、恥、恨み、怒り、悲しみ。
どれも、目を伏せたくなるような単語だと思う。
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この中でも特に、「不安」という感情にフォーカスしたい。
原因がわかる不安は、取り除けばよいが、漠然とした不安は時に私たちを苦しめ、支配してしまうことがある。
ここに、原因を見出せないことが特に厄介だ。
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そんな時に、不安はイリュージョンであることを覚えておくとよいだろう。
不安はイリュージョン、つまり「虚現象」であり、「実現象」とは違い実態がないものであるという意味だ。
では、目に見えないものを、どうやってとらえていくのか。
その答えは、「概念」としてとらえていくことにある。
言葉で切り取り、イメージ中にタグ付けをしていくことで、分解ができていく。
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さて、「慧可断臂図」という雪舟の水墨画をご存じだろうか?
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だるまさんがころんだ、でおなじみの禅宗の祖である達磨(だるま)和尚に慧可(えか)という僧が弟子入りをするときの様子を絵にしたものである。
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雪の中に立ち、慧可は達磨に入門を志望するも、なかなか入門を許されない。
慧可は戸惑いと同時に考えた。
苦しいときに、楽になる手段をとっても、悩みは消えない、つまり短絡的な在り方がずれていることを見抜かれているので、入門を許されないと気づいた。
達磨の教えは古い自分を捨てること、つまり「既成概念」だ。
古い自分と決別することを理解した慧可は左腕を自ら切り落とし、差し出したところ。
切断された断臂から雪上に鮮血がぽたぽたと落ちている、それを見て達磨は入門を許可した。
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なかなかショッキングなストーリーだが、これは実話である。
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さて、入門を許可された慧可は達磨に教えを乞うた。
「私の心は不安でいっぱいです、どうかわたしを安心させてください。」
「では、その不安な心をもっておいで、そうすれば安心させてあげるよ」
「しかし、その心を探した見たのですが、どうにも見当たらいません。」
「じゃあ、安心させてあげたよ」
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そんな一説が残っている。
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このストーリーからも、不安は幻想でしかないことを教えてくれている。
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不安な人は顔が下を向いている、これは無意識に鬱に向かう方向なので、あまり望ましくない。
坂本九の歌にもあるように、顔はできるだけ上を向いていきたいものである。
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私たちの視線は、どちらを向いているだろうか。
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今日もありったけの愛をこめて。