綺麗な言葉で内省をしていますか?
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私たちは、言葉に力があることは知っていても、自分が発する言葉には気を付けようとしない。
何気なく日本語を話しているような気になっているが、本当の意味で日本語を使いこなせている人は少ないと感じている。
かくいう私も、慣れ親しんだ言葉だけを使っていて、最適な言葉を選んでいなかったことを突き付けられた体験をしたときに愕然とし、そこから徹底的に言葉の見直しをした時期がある。
例えば、どんな事を考えてもOkであると許可を出したり、自分自身で自分のを応援する様な言葉使いに変えるなどである。
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私たちは日々、どんな言葉を使い、どんな行動をし、どんな結果を生んでいるのか。
改めて自身を客観的に見てみると面白いものが見えると思う。
また、それは果たして自分が望んだ姿だろうか?
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言葉遣いは五徳(仁義礼智信)でいうところの、礼徳にあたる。
言葉は精神の始まりであると定義もされている。
逆に言うと他者から見たときに、私たちの言葉遣いから、内面を見抜かれているといってもよい。
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また、不二という言葉がある。仏教用語で「あなたと私は二つであらざる者」という意味である。
憎いと思った他人は実は自分自身の一側面を相手に見ているに過ぎない。
肉体的にも精神的にも、この自然界ではもともと一つだったものが分裂をし統合をすることを繰り返している。
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特に家族は感情で強くつながっており、不二であることをまざまざと見せつけられる。
家族の嫌だと感じる側面は、自分自身の内面にそれを見ているに過ぎない。
全ての物事はつながっており、始まりと終わりは私たちが決めただけであって、自然世界の中では常に連続体なのである。
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そう考えると、汚い言葉を使うことの意味は全くなく、綺麗な言葉を使うこと合理的は判断であることもお分かりいただけるだろう。
綺麗な言葉を自分の「外側」にも、自分の「内側」つまり心の中ででも使うことをお勧めする。
特に、心の中「インナーカンバセーション」と呼ばれる内的会話に特に目を向けてみたい。
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無意識に発動しているがゆえに気が付きにくい部分である。
これを変えるには日々のトレーニングが有効である。
自分の言葉を日々見直し、最適な言葉遣いにチューニングしていく。
多くはモノの見方、考え方によって感情が伴った上で言葉を紡ぎだしていくので、最初は複雑に見えるかもしれない。
どの部分がずれているかを把握できれば、修正はたやすい。
後は練習量が質に変わっていく。
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よく「私なんて・・・」と控えめな人を見かけることがある。
内なる自分に対して汚い言葉で傷つけている本当の意味は、自傷行為によって誰かに助けを求める姿(多くは親に助けられたい)がいつの間にか拗らせてしまった結果、無意識に発動してしまっている。
気が付いたのなら、今から変わればよい。
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アインシュタインの言葉で私の好きなフレーズがある。
「なぜ失敗を反省しないといけないのですか?他人が責めてくれるからそれだけでいいじゃありませんか。」
不二を理解し、バランスを取ろうとする意図を感じさせられる。
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あなたと私が不二であるならば、常にきれいな言葉遣いを心がけたいものである。