子どもが大人になっていくとき、
親にも、ひとつの転機が訪れるのかもしれません。
これまで私は、家族のことを考えることが、自分の毎日の中心でした。

子どものことを心配したり、
家族の予定を気にしたり、
誰かが困っていれば手を差し伸べたり。

「家族が幸せなら、それでいい」

いつの間にか、そんなふうに生きてきたように思います。

でも、子どもが大人になり、自分の人生を歩き始めると、親ができることは少しずつ減っていきます。

それは、喜ばしいことのはずなのに。

なぜか心がざわつく。

「大丈夫かな」
「ちゃんとやっていけるかな」
「何かあったらどうしよう」

頭ではわかっているんです。

もう私がすべてを守る年齢ではない。

その人には、その人の人生がある。

どんな選択をするのかも、
誰と出会うのかも、
何を経験するのかも、

本人が自分の人生として引き受けていくこと。

それなのに、心配してしまう。

そして、気づけば自分まで苦しくなっている。

そんな自分に、少し疲れてしまいました。

私はもう、

誰かの人生の出来事によって、自分の心まで大きく揺れ動く生き方をやめたい。

そう思うようになりました。

「何が起きても動じない私になりたい」

大袈裟かもしれないけれど、今は本気でそう思っています。

もちろん、何が起きても平気な人になりたいわけではありません。

悲しくなることもある。

心配になることもある。

腹が立つこともある。

それは、人として自然なこと。

でも、

感情が動くことと、感情に連れていかれることは違う。

心配になったら、心配している自分に気づく。

でも、そこから先のことまで勝手に想像しない。

何かあったとしても、まずは一呼吸置く。

「これは、私の問題なのか?」

そう自分に問いかけてみる。

そして、自分の場所へ戻ってくる。

子どもには子どもの人生がある。

そして、私には私の人生がある。

この境界線を、これからの私の「新しい安心」にしていきたいと思っています。

今は、その途中です。

だから、時々苦しい。

今までの私は、家族のことを気にすることで安心していたのかもしれません。

気にかける。
支える。
先回りする。

それが、長い間の私の役割だったから。

そこから一歩外へ出ようとすると、

「私は何をすればいいんだろう」

と、少し心細くなる。

でも、心理学では、新しいコンフォートゾーンへ移っていく途中には、不安や居心地の悪さを感じることがあると言われます。

だから今の苦しさも、

「元に戻ったほうがいい」

というサインではなく、

「今までとは違う場所へ移ろうとしている途中なのかもしれない」

と思うことにしました。

だから、戻らない。

今までの私に戻らない。

誰かの幸せを自分の幸せにしてしまうのではなく、

自分で自分を幸せにする。

これからは、少しずつ自分の世界を広げていきたいと思っています。

行ってみたかった場所へ行く。

一人で旅をしてみる。

好きなものを、好きだと思う。

新しいことを学ぶ。

これからやりたい仕事を育てる。

そして、自分のために時間を使う。

まずは、一人旅。

伊勢へ行きます。

一人で旅をするなんて、以前の私なら考えなかったかもしれません。

でも今は、

「一人でも大丈夫」

を、自分の身体と心で感じてみたい。

その先には、京都や仙台にも行ってみたい。

知らない街を歩き、
自分の好きなものを見つけ、
自分で選んで、自分で楽しむ。

そうやって少しずつ、

「私は私と一緒に生きていける」

という感覚を育てていきたいのです。

子どもが自分の世界を広げていくように、
私も、自分の世界を広げていい。

子どもが新しい人生へ進んでいくのなら、
私もまた、新しい人生へ進んでいけばいい。

57歳。

人生の後半に差しかかって、

「もう遅い」ではなく、

「ここから、もう一度始めてもいい」

と思えるようになりました。

これまで家族のために使ってきた時間も、
誰かを心配してきた時間も、
決して無駄ではありません。

それらがあったからこそ、

「これからは自分も大切にしたい」

と思えるようになったのだから。

だから私は、娘や家族を手放すのではなく、

自分自身を、もう一度自分の人生へ連れ戻す。

そんな感覚で、これからを歩いていきたいと思っています。

何が起きても、動じない人になるのではなく、

何が起きても、

「私は私のところに戻ってこられる」

そんな人になる。

それが、今の私が目指している新しいコンフォートゾーンです。

暮らしを整える。
心を整える。
そして、人生を整える。

誰かのためだけではなく、

自分自身のために。

57歳から開く、第二の扉。