それでも生きて行く…… | 森岡利行オフィシャルブログ「監督日誌」powered by Ameba

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脚本家
舞台演出家
映画監督
プロデューサー
文教大学情報学部メディア表現学科非常勤講師

今日、新作『幸せになるために』の顔合わせと本読みがあった。

 

おいおい、昨日公演が終わったばっかりで、

なんで今日は休みにしなかったの制作(笑)。

 

そんなに芝居が好きか?

みんな、休みたいだろうに。

 

そんな文句を誰一人垂れることなく、

顔合わせは行われた。

 

新宿梁山泊で一緒だった村松恭子も参加してくれた。

死ぬまでにもう一度、村松と一緒にやりたかった。

若い時、よく精神的に助けられたものだ。

 

話は変わるが、最近、ますます霊感が強くなっている。

わたしは上京する前に車を大破させたことがある。

それがきっかけで上京したのだが……19歳の時だ。

一度、幽体離脱とゆーものを経験してから、

直感とか、何か感じたり、降りてくることがある。

 

作家なら、みなさん経験してるだろうが、

階戸も、天国に行く前に会いに来てくれていた。

 

8月28日に広島で里世と奈保と劇場で階戸が主演した『嫌われ松子の一生』の

舞台のビデオをスマホで観て、「いいなぁ、瑠李」とか話していた。

 

ホテルに帰ると部屋のドア口に誰か立っている気配がした。

それを里世に伝えると「あのホテル古いからね」とか言っていたが、

それがきっと瑠李だったのだろう。

 

次の日、広島公演の打ち上げの最中で電話が鳴り、

瑠李の死を伝えられた。

 

知り合って、7年間で9本、映画や舞台を一緒にやった。

わたしの文句もたらたら言っていたと思う(笑)。

最後は、

「わたし、森岡さんと一緒に映画やるんだったら、

一肌でも二肌でも脱ぎますよ!」

なんて言ってくれていた。

 

だから共演者やファンのみなさんを代表するつもりで、

元いた事務所の方にお願いして、

実家に行き、ご霊前に手を合わさせてもらった。

 

それでも、親友と呼ばれている人が手を合わせられないのは

酷だと思い、お母さんにその子だけでもとお願いした。

お母さんは快く、電話番号を教えてくれた。

お母さんの名前を聞いた。

 

かずみと言った。

どういう字ですかと訊いたら、「一美」と……仰った。

 

一美はわたしがはじめて瑠李と一緒にやった

舞台『悲しき天使』で瑠李が演じたヒロインの役名だ。

 

「雨は降るがままにせよ……」

 

そう言って、一美を演じた瑠李は彼方を瞶めた。

 

また、涙が止まらなくなってしまった……。

 

合掌。