が亡くなられた。
映画『子猫の涙』に、わざわざ大阪から
出向いていただき、出演して貰った。
撮影の合間には楽しい話をたくさん
訊かせていただいた。
こいし師匠、映画ではお世話になりました。
ごゆっくりお休み下さい。
合掌。
(2006年10月7日のblogより)
喜味こいし師匠登場。師匠にお願いしたのは、
2005年にNHKのドキュメンタリーで
原爆について語られていたのを見たからだ。
その時は他の脚本の参考で見ていたのだが、
その佇まいが忘れられず出演をお願いした。
七海との掛け合いはテンポが良すぎて
まるで漫才を見ているみたで楽しかった。
「特攻隊や天皇陛下が出てくるセリフは
笑顔では言えません」と仰ったのが印象深かった。
実兄の故・夢路いとしさんとのコンビで
60年以上にわたって活躍し、
上方漫才界の最高峰といわれた喜味こいし
(本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが
23日午後1時38分、肺がんのため、
大阪市内の病院で死去した。
83歳。埼玉県出身。通夜は26日午後7時、
葬儀・告別式は27日午前11時半、
大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、
大阪市立葬祭場やすらぎ天空館で。
喪主は長男の敏昭(としあき)氏。
こいしさんは約1年前から、
肺がんの治療を受けながら
昨年末まで仕事を続けていたが、
ここ数日体調を崩していたという。
平成15年、いとしさんが亡くなった時
「いと・こい漫才は終わりです」と宣言。
西川きよしさんと即席コンビを組んだ以外、
漫才をすることはなかった。
両親の旅回り一座の子役をへて、
昭和14年に上方漫才の荒川芳丸に入門、
「荒川芳博(いとし)・芳坊(こいし)」でデビュー。
23年に「いとし・こいし」に改名後、
近代漫才の父と称された漫才作家、秋田實さんに師事した。
タレントとしてもラジオでは、
25年にNHKの「気まぐれショーボート」で注目を集め、
テレビでは司会、舞台役者として活躍した。
平成5年に漫才コンビとして初めて紫綬褒章。
15年に菊池寛賞。
代表作に「交通巡査」「わが家の湾岸戦争」など。