捨てながら思ったこと。
私って、
何者かになりたいんだな。
例えば、
有名な占い師。
あるいは、有能な政治家、
有名な翻訳家、有名なコラムニスト。
もしくは、大人気の手芸作家。
そんな生活をしたくて、
集めて取っておいた服や小物が
ワンサカと出てくる。
過去の栄光らしきものも、ワンサカと出てくる。
過去に掲載された雑誌、本、勉強しまくった証のある教科書、ノート、、
でもその後、1度でも勉強したことある?
掲載された本を読み返すことは?
今の自分に何も必要ない。
過去を振り返って自分を認めることにつながるのは、悪いことではないけれど、過去に縛られる必要もない。
特に、こうなりたいと思って買ったワンピースは、捨てて良かったのかなと思う
でも、かなりスッキリしています。
私、何者かになりたかったんだ。
でも、それに、なれていない。
何者にもなれていない自分を知るのが怖くて物を捨てられない。
モノを捨てたら、さらに、
何者かに遠ざかる気がして捨てられない。
でも、
何者かになりたかったけど、
何者にもなれていない自分を見る
これって、凄いことだなと思いました。
捨てなかったら、分からなかった。
なぜなら、
何者かである必要なんて、
本当にあるの?
と、言う思いも出てきたから。
それまでは、
早く自分の得意技を身につけなくちゃと、
色々焦ってやっていたのに、、、
あつ森でもしようかな。笑。
↑最近作った、あつ森のマリンルックワンピース。
って思いました。
モノを減らして隙間が出来たら、
私の心にも少し隙間が出来ました。
ブログのタイトルを、どうしてもコロコロと変えてしまうし、今また変えたいと思うのは、
軸がブレているというか、
そもそも、どうありたいのか?
に、迷いがあるんだろうなあと思います。
ただ、迷いがあるなら迷っていても、
実は迷い=悪いこと、
迷い=未熟
とか、ジャッジしているんだろうなとも思います。
迷いがあるうちは、迷っているで、保留で良いのに。
迷いから焦り、
焦りから何かを変えたいと言う気持ちになり、
それがブログタイトルを変えたり、
手芸用品を買い漁ったりする動機になっているような気がしています。
迷っていても良い。
焦っているんだなと感じる。
焦りは、何者かになりたいと言う思いから来ていたと言うことが分かった。
これだけでも、収穫なんだなと思います。
ちなみに、私が6袋捨ててから、丸2日。
昨日は主人が1袋。娘は不要なモノを漫画を中心に出し始めました。
そして今朝は、早起きした息子が散らかっていた机の上をきれいに片付けていました
これが噂の片づけの連鎖、、?!
私、本当に何も言っていないのに。
私ももっと捨てたい