とても静かで、安らかな死だった。
病を受け入れ、死を受け入れて、自宅で最期の時を過ごしていた。
つくしが食べたいと言っていると聞いて、つくしを山ほど採り、処理をして、母に託した。
美味しいと喜んで食べたと聞いて、次は何を持って行ってあげようかと考えていた。
結局、一度お見舞いに行ったきり、叔母には会う事ができなかった。
もうダメかもしれない・・
そんな連絡を受けて数日後だった。
痛み止め以外の治療はせず、自宅で家族とともに、最期を迎えた叔母は、全く苦しむ事もなく、静かに息を引き取ったという。
癌が見つかって、9ヶ月ほどだった。
娘二人をいつも厳しく、叱っていた叔母。
ずっとそばについて、看病してくれる娘たちに、「病気になって良かった事はあなたたちの優しさに気付けた事よ」と茶目っ気たっぷりの笑顔を見せたと従姉妹が話してくれた。
小さい頃、良く泊まりにいった流山の自宅からほど近い葬儀場で、本人の希望により、身内だけで葬儀を行った。
叔母の顔は、眠っているかのように、綺麗だった。
叔母は、その当時あまり多くはなかった、今でいう年の差婚。
年老いた父親の代わりに、娘である従姉妹がしっかりと喪主を務めた。
気丈な二人の娘たちが、出棺の際、「産んでくれてありがとう」と涙している姿がとても印象的だった。
その言葉を聞いて、ああ、叔母はいい人生を送ったんだなぁと感じた。
火葬場で、とても、小さく小さくなってしまった叔母を見て、悲しいというよりも、無性に寂しかった。
もうあのさばさばした話し方、よく真似したクセのある笑い方、私の名前を呼ぶ声、悪戯っ子みたいな笑顔・・もう会えないと思うと寂しかった。
もう一度、会いたかったよ。
叔母は、最期まで、叔母らしく生きた。
とても素敵な人だった。
どうぞ安らかに。