毎年この時期になると、この話題になるのがどうも苦手でした。
それが10年経った今年、やっとモヤモヤした霧のようなものが晴れた気がします。
あくまでも、自分の中で、ですが。
あの日、わたしは関東にいましたが震度5くらいの地震を体感しました。
震度5の地震でも相当な揺れ、恐怖だった、ということすら忘れていました。
その直後、ふるさとが津波に襲われたことで、自分が体験したものは大したことがない、と思い込んでしまっていたからです。
わたしは、沿岸部では津波に注意してください、というニュースを見てもピンと来ませんでした。まさか本当に来るわけない、と思っていたからです。
過去にも津波注意報はありましたが、実際に来たことはなかったです。甘く見ていました。
津波の映像を見た時には信じられない、現実として受け入れられない状態で、実際に震災の1ヶ月後に地元に帰ってこの目で見てもその景色は脳の奥まで届かない、理解できない感じでした。
避難所などで歌わせて頂いて、みなさんに元気になってもらおう、と口では言っていたし思ってはいたけど、それもまた心の中ではこんな私がやっても意味があるのかな?と、不安に思うばかりでした。
宮古市、被災地、出身地、ふるさと。
親戚家族は無事、自分も無事。
ありがたいことですが、でもそれはたまたまそうであった、運が良かった、でしかないと思っていました。
でも、たまたまだと思っていたことも、10年経って気付くこともあります。
実家は海からは10キロ以上離れたしかも高台にあって、安全性はわかって親が建てた家です。安い買い物じゃないですから、危険な場所をわざわざ買うわけがありません。
震災当日も、父や母はこの地震は津波が来るぞ、とご年配の方からの口添えもあり仕事を切り上げ自宅へ帰ったと聞いています。
なので、たまたまではなく、しっかり非難して無事だったと言えます。
最初に書いたモヤモヤ、というのは、うまく伝えられないのですが、
自分は東日本大震災に関わっているのかいないのか、なんだろうという思いや、
震災を忘れない、風化させない、そのために伝えていく、それはどの立場でかがわからなかったということです。
実際にその場で体験したものを伝えていく、それをできる人は限られています。
自分の経験したことが全て、ではなく、知識として身につけたものも伝えていくことはできるし、それでいいのだ、とやっと思えるようになりました。
これは震災に限らず、戦争なども同じですね。
少なくとも、自分の子供たちには東日本大震災について伝えられることがあるように、と今は思っています。
〜津波てんでんこ〜
そして大事なものを守るために、震災に対してもっとしっかり対策をしようと思います。
3.11からはだいぶ過ぎてしまいました。
これまでなかなか整理がつかずに言葉にできることがなくてすみませんでした。
10年も経ってこんなことしか気づけないのか?と思われるかもしれないですが、思い切って今の思いを吐き出してみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
3月に入ってから体調不良が続き、あっという間に1週間も2週間も過ぎてしまいました。
体が元気でないと、充実した毎日が送れないですね。
1日1日を大切に、楽しく過ごしましょう!!