「高田馬場」と「山手線」と熟字訓について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

ボラQ207:山手線の駅「高田馬場」の読み方を聞かれたので、「たかだのばば」と教えてあげたら、なぜ「たかだ」と「ばば」の間に「の」を入れて読むのか聞かれて困っています。以前にも、なぜ「山手線」は「やまてせん」ではなく「やまのてせん」と読むのか聞かれたことがありますが、そのときもわかりませんでした。どういうときに「の」を入れて読むのでしょうか。

 

ボラとも先生A207:まず、「山手線」の読み方については、山手線誕生』(中村建治、イカロス出版、2005)に次のような説明があります(p.106-8)。(◆から◆まで引用)

 

◆当時(1900年ごろ)『山の手』は本郷・青山・赤坂などの旧市街地を中心にかなり幅広い範囲を指していた。『下町』という商業地である銀座や神田などの城東部に対比する地名として、定着していたのである。(当時の「日本鉄道」の社長)曽我は、新しい線名を声に出しながら繰り返した。

 

「やまのてせん、山手線…。語呂もよくて呼びやすい。なにか上品な語感が残る」

…(中略)…

 

ところで、山手線の呼び名を『やまて線』と聞きなれている人も多いのではないだろうか。開業時から約半世紀にわたって『やまのて線』の名称で走っていたが、終戦直後の昭和20年(1945年)に進駐軍から「電車の路線名をローマ字で表示するように」の指令が出された。そのとき担当者が、国鉄部内で業務上使われていた略称の『やまて線』をそのままローマ字で『ヤマテ・ループ・ライン』と誤表記してしまった。訂正の機を失ったまま四半世紀にもわたって使われていたのだ。

 

その後、国鉄が『ディスカバー・ジャパン』のキャンペーンを展開するのを機に、「この際、親しみやすくわかりやすい本来の線名に戻し、線路各線にふりがなを付し読み方を統一する」の発案があり、昭和46年(1972年)の三月(日本国有鉄道公示第76号)、開業時の正式路線名『山手線(やまのてせん)』に改めて戻したというわけである(根岸線にある『山手(やまて)駅』と区別する理由もあったという説もある)。◆

 

ちなみに、『広辞苑』(第四版)の「やまのて【山の手】」という見出し語には「-せん【山手線】」という項目があり、1972年までは「やまてせん」と読んだ、という説明がありました。

 

ところで、以前の記事(No73:「渋谷」と「世田谷」の「谷」の読み方について)では、「世田谷」という地名は以前「世田ヶ谷」と書いていたことがあることを紹介して、この「ヶ」は、「ケ」「カ」「ヵ」「が」など表記にはいろいろなバリエーションがあるけれど、省略されてしまうこともあると説明しました。

 

そして、この「ヶ」は古い日本語の名残の助詞「が」であり、意味は現在の助詞「の」と同じであって、「AがB」(つまり、「AのB」)という形で2つの名詞(A、B)をつなげることで、AがBの名詞を詳しく‘限定’(説明)する働きがあると書きました。

 

言い換えれば、「世田谷」は「世田の谷」という意味になります。「世田」の意味は不明ですが、世田谷区内にある同じ読みの「瀬田」(せた)という地名と関係があるとすれば、「川辺にある田」という地形から名づけられた可能性があります。

 

さて、本題に戻って、「高田馬場」と「山手線」の場合も、「世田谷」の「ヶ」が省略されたのと同じように「の」が省略されたものだと考えることができます。語源を調べれば「高田馬場」は『高田の馬場』、「山手」は『山の手』という地名だったということがわかるからです。

 

「高田馬場」の「高田」はWikipediaによると、越後高田藩主だった松平忠輝の生母、高田殿(茶阿局)の遊覧地から名づけられたとする人名説と、この一帯が高台である地形の俗称の高台からきたとする地名説があるそうです。

 

また、「高田」という漢字の読み方も、Wikipediaには、『…史跡の高田馬場は慣習的に「たかのばば」と呼ばれ、付近の通称地名もこのように呼ばれていたが、駅名等の浸透により「たかのばば」が一般化している』と書かれています。

 

それに対して「山の手」はWikipediaによると、「手」は方向を表し(上手―かみて・下手―しもてと同じ)、山側(山の方向)にあたる台地を山の手というそうです。

 

つまり、「山の手」は「山のほう」という意味になりますから、この「の」は「机の上」の「の」のように位置関係を表していることになります。

 

今回のボラQ207さんの質問は、どういうときに「の」を入れて読むのかという質問でしたが、こうしたことを考えてみると、この問題は、実はそれとは逆の視点、つまり、どういうときに地名の「ヶ」や「の」が省略されるのかという問題だということがわかります。

 

というのも、そもそもその土地に住んでいた人は、「の」を省略しない「たかだのばば」や「やまのて」と呼んでいたのであって、「の」を省略した「たかだばば」や「やまて」ではなかったはずだからです。

 

つまり、「高田馬場」や「山手」という漢字表記が先にあったわけではなく、「たかだのばば」や「やまのて」という呼び名が先にあったのです。

 

では、「ヶ」や「の」が省略されるのはどういう場合かというと、基本的には慣例・慣用に従うとしか言えませんが、歴史的に見ると、政治的な力(国土交通省・文科省などの公的機関の通達や告示)が決定的な要因になっていることが多いようです。

 

「山の手」を「山手」と書くように「の」を省略する漢字表記は、地名以外でもよく見られます。たとえば、「井上」という人名は「いうえ」ではなく、「いのうえ」と読みますし、「木下」は「きした」ではなく、「きのした」と読みます。慣れてしまえば、「の」が省略されていることには気が付かないのが普通です。

 

歴史的な例を探してみれば、大化の改新で有名な「中大兄皇子」(なかおおえおうじ)や歌人の「山上憶良」(やまうえおくら)では「の」が2回も省略されていますし、「紀貫之」(きつらゆき)や「在原業平」(ありわらなりひら)、「阿倍仲麻呂」(あべなかまろ)など、百人一首に出てくる貴族たちの名前にはこうした無表記の「の」が数多く見られます。

 

さらに遡ってみると、古事記に出てくる場所や神々の名や天皇・皇族・豪族の名前は、無表記の「の」のオンパレードです。興味深い例は「高天原」です。「たか(あ)まはら」と「たか(あ)まはら」の2つの読み方があるからです。また、国名の「日本」も訓読みでは「ひのもと」と読みます。

 

現在でも皇族の称号である「宮家」の読み方はすべて「〇〇宮」というように読みますが、書く場合は「〇〇宮」と表記され、「の」は省略して無表記になります。たとえば、「秋篠宮」は「あきしのみや」と読み。助詞の「の」は無表記です。

 

こうした歴史的な地名や人名に無表記の「の」がよく見られることから、『山手線誕生』に出てくる曽我社長の「なにか上品な語感が残る」という感想が生まれる遠因があったのではないかと考えられます。

 

こうした無表記の「の」は基本的に慣例・慣用に従うものですから、その土地(たとえば、日本や東京)で生活している人は日常的に見たり聞いたりしているものなので、どのような漢字表記であっても疑問を持たずそのまま受け入れてしまうのが普通です。

 

ですから、「御茶ノ水」は「ノ」があるのに「高田馬場」や「山手線」にはどうして「の」がないのか、という疑問を持つのは、初めて日本に来た(仮名や漢字が読める)外国人か東京の地名をあまり知らない地方出身者の人たちに限られるのではないかと思われます。

 

それでは、そういう人たちに理解してもらうにはどうしたらいいでしょうか。それには最初に、「今日」(きょう)や「今朝」(けさ)、「昨日」(きのう)、「一日」(ついたち)、「二日」(ふつか)、「お父(とう)さん」、「お母(かあ)さん」、「大人」(おとな)、「上手」(じょうず)、「下手」(へた)、「今年」(ことし)、「時計」(とけい)などの「熟字訓」のうちの一つでも読めるかどうかをまず確認します。

 

「熟字訓」というのは「熟語」全体に「訓読み」を割り当てたものですから、構成要素の一つひとつの漢字にそれぞれの漢字の「訓読み」を割り当てることはできないことを理解してもらいます。

 

たとえば、「今日」は「きょう」と読むけれど、「今」が「きょ」で「日」が「う」と読むのではなく、「きょう」全体が“today”という意味であること、つまり、「今日」という漢字は“now”と“day”という意味の2つの漢字から構成されている1つの「熟語」(特殊な単語)だから、構成要素に分けて読むことはできないということです。

 

もし、上で挙げた熟字訓を何も知らなければ、「煙」(smoke)と「草」(grass)で構成されている「煙草」がtobaccoやcigaretteという意味で、「たばこ」と読む「熟字訓」だということを教えてあげればわかりやすいかもしれません。

 

ちなみに、「今年」や「時計」の場合は間違いやすいので注意が必要です。

 

「今年」は、「今」の音読み「こん」の「ん」が省略されているように見えますが、「これ」や「この」を意味する「こ」に「年」の訓読み「とし」から作られた熟語ですし、「時計」も、「時」の訓読み「とき」の「き」が省略されているように見えますが、本来は中国古代の方角や日影を測る磁針を意味する「土圭」と表記したそうです。

 

今回のボラQ207さんの質問に対する最終的な結論は、「高田馬場」や「山手線」という漢字表記は一種の「熟字訓」であり、本来は「の」を入れて呼んでいた地名に対して、慣習的に「の」を省略した表記が使われるようになった、ということになります。

 

つまり、「熟字訓」というものは覚えていなければ読めないものですから、一つひとつ覚えなければならない、ということです。

 

覚えていなければ、普通の漢字の読み方しかできないことになりますから、「山手線」が(地方出身者が多い)国鉄部内で『やまて線』と呼ばれたり、「たかのばば」と呼ばれていた「高田馬場」が「たかのばば」と呼ばれるようになったのも、「熟字訓」であることを知らない人たちが普通の読み方で読むようになり、それが一般的になったためだと考えられます。

 

最後に、お詫びです。前回お約束した❹規則【四】の説明については次の機会にさせていただきます。