「学校に歩く」と「学校まで歩く」について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

ボラQ179:私の相手の人は大学生ですが、どうやって学校に行くのか聞いてみたら、30分ぐらいかけて歩いて行くそうです。そのときの話なのですが、以前、学校の先生に学校歩くを「学校まで歩く」に直されたことがあったそうです。なぜ「学校歩く」は間違いなのかと聞かれました。よろしくお願いします。

 

ボラとも先生A179以前の記事(No.2)で、方向を表す「へ」と「に」について書きましたが、そこでは、「へ」は「方向」direction)を表し、「に」は「目的地」(destinationgoal)または「目的」(purpose)を表すと説明しましたが、「まで」については触れませんでしたので、今回少し触れておきます。

 

以前の記事(No.2)の説明は助詞の「に」と「へ」の違い、つまり、「学校行く」と「学校行く」の違いでしたが、今回は「学校に行く」と「学校に歩く」という動詞の違いについてです。

 

単純に考えると、「行く」も「歩く」も似たような意味の動詞なので、それほど大きな違いはないように思えますが、日本語としてはかなり大きな違いがあるのです。

 

英語では、I go to school.ともI walk to school.とも言えるので、英語を話す人には「学校歩く」という日本語の何がおかしいのか理解しにくいと思いますが、日本語の「歩く」という動詞には「移動方向」の意味が含まれていないのです。

 

つまり、英語の walkにはgoと同じように「移動方向」の意味が含まれているため、方向を表す副詞(home)や前置詞句(to school)をそのまま続けて、 I walk home. とか I walk to school. と言うことができるのですが、日本語の場合は「うちに歩く」や「学校に歩く」とは言えないことになります。

 

では、なぜ日本語の「歩く」には「方向」の意味が含まれていないか、その理由を調べるために古語辞典を見てみました。

 

そこには「あるく」は「ありく」の会話体で、「動き回る」という意味だと書いてありました。また、行動しやすいように、はかまの上からひざの下あたりを結ぶひもである「足結ひ」(あゆひ)から作られたと思われる動詞「あゆむ」という動詞もありました。

 

「ありく」と「あゆむ」の意味の違いとして、「ありく」が広く移動一般をさすのに対して、「あゆむ」は「徒歩で行く」という意味だそうです。つまり、現代語の「歩く」は「動き回る」という意味を引き継いでいるから「方向」の意味が含まれていないのだという説明ができるのではないかと考えられます。

 

以上のことから、「学校歩く」がおかしいのは「歩く」には「移動方向」の意味が含まれていないからだという説明はわかったと思いますが、では、次に、「学校歩く」の代わりに「学校まで歩く」と言うのは本当に問題ないのかを考えてみたいと思います。

 

もちろん「学校まで歩く」という表現は日本語として文法的に問題はありませんが、学校までの移動手段について説明するためならば、「学校歩く」という表現と同様にあまり適切ではないと思われます。

 

たとえば、日本では「自転車」や「オートバイ」や「自動車」、あるいは公共交通の「電車」や「バス」などが一般的な移動手段ですが、こうした移動手段の場合は「学校に~で行く」または「学校に~に乗って行く」と言うのが普通ですから、その場合は「学校徒歩で行く」あるいは「学校歩いて行く」と言うはずであり、「学校まで歩く」と言うのは特別な場合だと思われます。

 

「まで」はある動作の開始点から最終点を表す「~から…まで」のような表現に使われることが多いため、「学校まで歩く」と言うと、「歩く」という動作の最終地点が「学校」であり、本来の目的地はそれより先にあるのだけれど、少なくとも「歩くのは学校まで」であり、そこから先は「歩く」以外の手段(たとえば、「バスや電車に乗る」)で行くという意味(含意)が出てきます。

 

さて、本記事の最初のところで、「歩く」には「移動方向」の意味が含まれていないことを「歩く」の歴史的な意味から説明しましたが、実は①~⑥のように「歩く」以外にも「移動方向」の意味を含まない移動動詞があります。

 

①A)「ゴールに走る」(×)

B)「ゴールまで走る」(〇)

C)「ゴールに向かって走る」(〇)

D)「悪の道に走る」(〇)

②A)「北海道に飛ぶ」(×)

B)「北海道まで飛ぶ」(〇)

C)「北海道に向かって飛ぶ」(〇)

D)「現場に飛ぶ」(〇)

③A)「向こう岸に泳ぐ」(×)

B)「向こう岸まで泳ぐ」(〇)

C)「向こう岸に向かって泳ぐ」(〇)

④A)江の島に運転する」(×)

B)「江の島まで運転する」

C)「江の島に向かって運転する」

⑤A)「パリに行進する」(×)

B)「パリまで行進する」(〇)

C)「パリに向かって行進する」(〇)

⑥A)「湖に散歩する」(×)

B)「湖まで散歩する」(〇)

C)「湖に向かって散歩する」(〇)

 

ただし、①「走る」と②「飛ぶ」には「目的地」として「に」を取ることがありますが(①Dと②D)、これは具体的な場所ではなく、比喩的な「目的」の意味になっているからだと考えられます。

 

こうした動詞はすべて方向を表す「に」の代わりに動作の最終地を表す「まで」に代えるか(①~⑥B)、「~に向かって」という明確に方法を表す表現(①~⑥C)にすればおかしくなくなります。

 

さて、では、「歩く」や①~⑥の動詞に共通しているのは何でしょうか。

 

「歩く」と「走る」は両足を交互に出して移動しますし、「飛ぶ」と「泳ぐ」は空中と水中という経路を移動します。「運転する」は機械を使った移動であり、「行進する」は多数の人間が整列して行う移動ですし、「散歩する」は目的を持たないで移動自体を楽しむ移動です。

 

つまり、こうした動詞では、移動そのものというより、移動手段や経路、あるいは移動形態や移動目的のいろいろな違いを表すことが主要な意味になっているため、そうした特徴を表す方が重要になってくるために、「移動方向」という意味を表す働きがほとんどなくなってしまった、と考えられるのです。そうしたことから、これらの動詞を使った場合、移動方向を表すのには「に」や「へ」だけでは不十分になってしまうということになるのです。