「傘をさす」と当て字、異字同訓について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

ボラQ137:私の相手の人から「傘をさす」という表現について、なぜ「さす」と言うのかと質問されました。たぶん「剣やナイフを刺す」ように傘を(上に)突き出すからだと説明したのですが、漢字は「刺す」ではなくて、「差す」と書くようです。そのあたりを説明してくれるとありがたいです。


ボラとも先生A137:「傘をさす」という表現は「傘を開く」「傘を広げる」などとも言うことができますが、その反対の動作についてもいくつか異なる表現があり、和傘と洋傘、または折りたたみ傘では表現が微妙に違うようです。詳しくは「傘をさす」「傘をたたむ」をネットで検索してみてください。


ちなみに、英語では雨傘を「アンブレラ」(umbrella)、日傘を「パラソル」(parasol)と呼んで区別しますが、umbrellaは「影を作るもの」、parasolは「太陽から守る」という意味で、語源的にはどちらも「日傘」という意味だそうです。また、英語では「傘をさす」をput up an umbrellaと言います。


さて、日本語の「傘をさす」ですが、例として、以下のサイトで「傘をさす」の「さす」はどんな漢字を使うのが正しいかのという質問のベストアンサーに選ばれた回答を見てみましょう。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1066440035


環境依存文字ですが、「撐」です。

本来なら「支()す」「支()さえる」という表記があり得ました。(cf. 「押す」「押さえる」)

しかし「支」は「支(ささ)える」と使われ、「支()す」は使われなかったのです。

なお「刺す」「指す」「挿す」「射す」、さらには「注す」なども、それぞれの漢字に和語「さす」に相当する意味が含まれています。

「差す」には含まれていません。完全な当て字です。


非常に専門的な知識による回答で、この字「撐」(手ヘンの右に「掌」の「手」を「牙」に換えたもの)は①「(つっかい棒で)支える」②「(舟を進めるために)さおで水底をつく」という意味があります。


「傘をさす」ときの動作(つく)と目的(支える)を合わせ持っているので、確かに「傘をさす」状況を表すには正確ですし、この字を使わないのなら「支す」と書いたほうが正しいと思われます。


平成26年(2014年)に文化審議会国語分科会(以前の国語審議会)が『「異字同訓」の漢字の使い分け例(報告)』として提出されたものを見ると、「さす」には①「差す」②「指す」③「刺す」④「挿す」の4つの異字同訓が取り上げられていて、それぞれ次のように簡単な説明と用例が書かれています。


①【差す】挟み込む。かざす。注ぐ。生じる。

腰に刀を差す。抜き差しならない状況にある。傘を差す。日が差す。目薬を差す。

差しつ差されつ。顔に赤みが差す。嫌気が差す。魔が差す。


②【指す】方向・事物などを明らかに示す。

目的地を指して進む。名指しをする。授業中に何度も指された。指し示す。


③【刺す】とがった物を突き入れる。刺激を与える。野球でアウトにする。

針を刺す。蜂に刺される。串刺しにする。鼻を刺す嫌な臭い。本塁で刺される。


④【挿す】細長い物を中に入れる。

花瓶に花を挿す。髪にかんざしを挿す。一輪挿し。


ここには「撐す」はもちろん、「射す」も「注す」も「支す」も取り上げられていません。「撐」は常用漢字ではありませんし、「射」と「注」と「支」は常用漢字表であってもその訓読みとして「さす」が採用されていないからです。



つまり、「射」の訓読みは「いる」だけ、「注」の訓読みは「そそぐ」だけ、「支」の訓読みは「ささえる」だけだけだからです。ただし、「支」の備考欄には「差し支(つか)える」が示されています。



①を見ると、「かざす」という意味と「傘を差す」という用例が出ているので、何の問題もないようですが、「差」という漢字は、本来は穀物を表す「禾」(のちに羊に変形)と発音を表す「左」(さ)から出来ていて、不ぞろいの稲の穂の意味から「差がある」とか「違う」という意味になったので、「かざす」という意味はありませんから、「差」を「かざす」の意味で使うのは正しくない、つまり「当て字」であるというのが上記のベストアンサーの回答の趣旨だと思われます。


ベストアンサーの回答の最後には「完全な当て字です。」と、少し非難めいた表現がありましたが、このようにすでに市民権を得ている「当て字」の使用をやめることは不可能ですし、非難することはあまり意味がないと思います(非難というよりも諦めかもしれませんが…)。


『当て字・当て読み漢字表現辞典』(笹原宏之(編)、三省堂)の序にも次のように書かれています。


「…当て字はよくないとか、好きではないという声が一般に聞こえる。しかし、その中にはすでに私たちの日常で、慣用が定着して摩擦感のなくなったものがある。学校で習った「時計」も、「土圭」に対する当て字だと知ったとき、中国古典のそれにもどそうと思うだろうか。…」


日本語には①~④のように同じ発音のことばに対して異なる漢字を書く「異字同訓」(または「同訓異字」)がたくさんありますが、その理由としては細かな意味の区別をするためだと考えられているようです。一般的に和語は抽象的な意味、漢字は具体的な意味を表すという性質があるからです。


しかし、和語の「さす」が表す「直線的な動きや作用」という抽象的な意味は、「傘をさす」という具体的な場面で使うのには何の問題もありません。日本語の「あし」は漢字では「足」と「脚」のように区別して書けますが、具体的に「あしが痛い」という場合は「足」と「脚」を区別する必要はないからです(医療関係の場合は別ですが…)。


「異字同訓」が使われる主な理由は2つあります。1つは読みやすさの問題(日本語は分かち書きをしないため、漢字が単語の始まりを表すことが多い)、もう1つは気持ちの問題(一般常識だから漢字で書かなければ恥ずかしい)です。


しかし、「傘をさす」のような一種の熟語のようなものは読みやすさの点では漢字で書いても平仮名で書いても読みやすさは変わりませんから、できればひらがなで書くことをおすすめします。


お詫びです。前回の記事(No.136)の最後に書いた、「熊本地震」の被災地の日本語ボランティアにあてたお願いで、「日本語が不自由な方々のお手伝いも、余裕があればよろしくお願いいたします。」と書いてしまいましたが、「余裕があれば」という表現は日本語が不自由な方々に対して配慮を欠いた表現でした。お詫びして訂正(削除)いたします。