こんばんは。

 最近、体重が落ちたのでBMIが17か18ぐらいになるために、プラス2キロ程度を目標にご飯を頑張って食べています。Minです。



 さて、小学二年のとき、記憶にあるのは教室で近くに座る同級生と、授業中とかでも結構おしゃべりしたり、蹴り合いしたりめちゃくちゃやってました。。。

 給食を食べる班で、ワイワイやったり、あのころ、いつも笑っていたきがします。


 登校班の人たちと登校中遊んだり、下校時は下校時で、同じ方面で帰る同級生たちと、サバイバルゲームと称した、道のちょっと危険なところを選んで何箇所かあるポイントを制覇していく?みたいな事をやっていました。


 そんな二年生の最終日、私に修了式で通信簿をもらう役が回ってきました。
 あれって、何の基準で選んでいるのかわからないのですが、ま、運悪くきちゃったわけです。


 何で運悪くなのかと言うと、あれをもらうとき、色々なところに礼をしにいくわけじゃないですか、もしかして、もらいに行く行為自体、JW的にNGなんじゃないかと思ったわけです。


 どーしたらいいかわからず、親に言わずに当日をむかえ、いただいてきちゃったわけです。


 なぜか、ものすごい罪悪か~ん。
 耐え切れず、母親に恐る恐る確かめる。


 たいしたことじゃないわよー。と言われ、


 たいそう、ホットしましたww



 なぁ~んていう、あるあるねたでした。



 以上!ばいちゃ!!
 こんばんは、Minです。

 そういえば先日、食事招待がありました。我が家を場所として提供することになっていたのですが、
 話し合いのできない家族に代わりまして、なぜか、わたしが取りまとめをしてしまいました。


 いや、本当はノータッチで、知らんぷりしてやろうかと思ってたんですが、割って入らないとまた喧嘩が始まりそう(イヤーな空気が流れる)な感じだったので、やむなし。でした。



 さて、私のことについても、その③になったわけですね。


 今回は小学生編です。


 小学校に上がった私、保育園、幼稚園にいってなかった割には、割とすんなり溶け込めたようです。一クラス30人程度、一学年3クラスの近隣では一番大きな学校でした。


 ただ、よく話題になったのが、どこの園出身?みたいなことで、学校という場所に通っている以上、小から高までいつ話を振られてもおかしくないことでした。

 行ってないというと、色々詮索されるんじゃないかと思ったり、恥ずかしいという思いから、中学途中までは、ごまかしていたり、詮索しないような人にちょっと話したことがある、ぐらいでした。


 「私、行ってないのよー」と誰にでも普通に話せるようになったのは、高校生になってからなんじゃないかと思います。




 小学一年生の時、入学したてのころは、図書館に本を借りにいけません。理由は忘れましたが、一年生には数ヶ月貸し出しはしていなかったようです。


 それでも、色々な本がある図書館はかなりの魅力で、なぜか知らないけれど、解禁になるまで本を読みに、男の子2人と連れ立って休み時間に図書館へ通っていた記憶があります。


 そのころ読んでいたのが、ズッコケ三人組でした。


 「ズッコケ!」といいながら、ズッコケるしぐさをして、図書館へ走っていた覚えが……。
 小1のすることって、わからんわーww


 それなりに楽しくやっていたわけですが、1年か2年のとき、インフルエンザを引き金に、中耳炎やら何やらで、結構休んでしまい、学校が行きづらくなったことがありました。


 いいから、行きなさいと母にいわれ、そのときだけ、車で送ってもらい、時間としては結構ギリギリでした。

 昇降口に行くと、そこで同じクラスの子に会い、「大丈夫?」とか何とか、やさしい言葉をかけてくれて、一緒に教室まで行きました。その子がいてくれたおかげで、すんなりまたクラスに戻れた気がします。


 たまたまなのだけど、そのたまたまが、重要だったりすることもありますね。



 今日はこの辺で。
 ハーイ、コンバンワ!Minダヨ!!

 すいません。Minです。はい。




 私のことその②というわけで。年代を追って書いてゆこうと思います。



 私が生まれたとき、母はバプテスマを受けて一年。父はまだ研究生だったそうです。(これちょっと前に間違えたかもしれません。)

 母は二回目の出産ではありましたが、高齢出産の部類に入っていて、何度と無く輸血の問題があったようです。手術の同意書にサインしてくださいといわれて、読むと、輸血承諾の旨が書かれている紙だったとか。そんなことが何度も繰り返され、輸血はしないでください。ということで押し通したようです。


 そんなこんなで私は無事に生まれたわけです。



 小さいころの記憶はほとんど無いのだけれど、小学校に上がる前までは、開拓奉仕をしていた母に連れられ、奉仕三昧の日々でした。


 いつごろから開拓を始めたのかは定かではありませんが、4,5歳の時にはもう毎日奉仕に出てた気がします。


 もちろん、保育園や幼稚園には一切通いませんでした。

 それでも、すんなりと学校に溶け込めたのは、母曰く、第一に小学校の担任の先生が、偏見を持たずに扱ってくれたことにあるのだそうです。

 確かに、できないといえばわかりました。と返してくれるし、差別された覚えは一切無かったです。

 ほかには、音楽をグループでレッスンしてくれるところに入れてもらったこととか(そこでも、いろいろあったのだけど。)母親が研究しているお家の子供さんと遊んだりとか、そういうことをしていたからなのかもしれないですね。


 後は、学校に入ってからはなるべく早くクラスの人の名前を覚えるようにしてました。


 それと、少ないながらも、同じ会衆の2,3歳年の違う人たちとそれなりの交流があったこともあります。週一で午後、家に預かってた子とかもいました。


 母の再訪問についていっても、車を降りるて、家まで行くこともありましたが、車で待ってるということもありました。
 次の家に行くまでの時間、車で寝て、着いたらぱっと起きるとか、得意技だったらしいです。


 まぁ、そうやってついていくからには、研究しているところでも、お行儀よくしてないといけないわけで、集会ほど厳しくは無いけれど、当時はそこまで緊張してやっていたという記憶は5,6歳ぐらいからだったと思うのですが、あるいきさつがあって、大きくなってからは一切ついていかないと決めてました。

 私が、頓珍漢に母の権威に逆らうようなことを、研究生の前で言ってしまって、直そうとしなかったからですが。。。
 私(母)が嘘を教えていると思われたらどうするの!という感じのことをいわれたと思います。今思えば、子供の戯言、気にする大人いるんか?と思いますが、きっと必死だったのでしょうね。




 あと、私の家は、巡回監督だったり、地域監督だったりの宿舎として使うことが結構ありました。いろいろ遊んでもらった記憶があります。もう顔もほとんど覚えてないので、わからないですが。。。



 思えば、学校に上がる前から、家はちょっと壊れてたのかも。

 私が4歳ぐらいのとき、お兄ちゃんたちが中学生だから、反抗期真っ盛り?だったのかな? 

 テレビけって後ろの壁に穴開けたり、バットでドア打ってみたり。とかがあったかな、このころは、
 どこでもあるよね?
 ま、でも私は少なくともそのころ、そんなことしないけどww当たり前か。


 父母の、夫婦としての機能もきちんと働いていなかったと思うし、それのゆえに振り回される小さいときの私。結局安全パイとして、母親に意見聞いてやっておけばひとまず、悪いことして
しかられることは無いかな、と考えてました。

 おそらく、これがずっと続いてしまったから、今大変なのかもしれないね。いや、間違いなくそうだと思う。


 今考えると、私、小さいのに、みんな過激すぎだよ。なんて思います。



 まぁ、奉仕や集会に出れば、周りの姉妹たちにホヤホヤされる立場だったりでしたが、その中で生きてきたのだから、年の割りに社交力があったのかもしれないねww





 あ、そうそう、当然、読み書きは小学校上がる前にできてましたよ。

 漢字なんかも振り仮名いらずに読めるぐらいにはなっていました。大文字のものみの塔を使いたかったけれど、使わせてはもらえなかったのが、ちょっと残念だったかな。
 読めるのに、振り仮名ついたやつ要らないでしょう!と、また父母の争いww

 お前らきちんと話し合いせい!ってね。


 啓示の書を4歳ぐらいのときにやったらしく、答えが自分の字で書いてあったりしました。
 おぉ!まねして書いてるけど、カタカナ書けてんジャン。とか、アルファベットかよっ!とか。きっと予習中に怒られたんでしょうね、水でふやけてにじんでるところとか、あるあるですわ。二世にウケル?





そんなところで、私の幼少期を少し書かせていただきました。

読み取りづらいところは適当に流してください。
 どうも、こんばんは。Minです。


 なんやかんや、ありますが、私の生育暦をちょっとまとめて、自分を振り返ろうかなと思います。そのうち来るであろうカミングアウトに向けてのリハビリ?です。

 ここ最近、入眠状態がよろしくなくて、あぁどうしたものかなと思っているのですが、心配事を何とか片付けなければ改善は無かろうね。ギリギリ6時間は眠れてるし身体的にはおkでしょう。

 つーことで、私の自己満にお付き合いいただける方は、この先の記事を読んでやってください。m(_ _ )m


 自己を振り返るといいつつ、ちょっと寄り道、こんな質問集がありましたので、使ってみたいと思います。



☆JWと関わりのあったあなたに30の質問☆
(できるだけ簡潔に答えてね。)

Q1.お名前(ニックネーム)を教えてください。

  Minです。由来は、歌手にそんな名前の方がいたので、いいかなーと思ってつけました。

Q2.よかったら性別も教えてください。

  女です。

Q3.差し支えなければ、お年の頃を教えてください。

  二十歳。今年、二十一歳になってしまうのが、なんか悲しい。


Q4.JWとどのように関わりがあったか教えてください。
(1世・2世・3世・配偶者・研究生など)

  バリバリの二世です。生まれたとき、すでに両親ともにバプ受けていました。
  ちなみに、兄2人もバプ済みです。


Q5.JWの中で、どのような立場でしたか?
(バプテスマの有無・伝道者・開拓者・僕・長老など)

  バプテスマは、中一の夏受けました。
  高校卒業後、アルバイトをしながら補助開拓しましたが、8ヶ月ほどで挫折orz



Q6.JWに関わっていた時期を教えてください。

  現在、半現役w


Q7.関わっていた会衆はどちらの地方ですか?

  うーん。ナイショ


Q8.今現在、JWと何らかの関わりがありますか?


  はい、集会に出てるのみですが。


Q9.身近にJWに関わっている方はほかにいらっしゃいますか?


  家族全員。


Q10.どのようにお付き合いされていますか?

  当たり障り無く、いつか無くなるかもしれないから、偽物でも、今のうちに味わっておこうと思って、お付き合いしてます。



Q11.JWと関わって良かったこと、あったら教えてください。

  人前に出てしゃべるのが苦じゃない。
  何かと、度胸がついた?
  人と表面上の付き合いができる。


Q12.JWと関わって悪かったこと、あったら教えてください。

  あげたらきり無いなぁ笑…かける限り書きますか。

  国歌、校歌歌えない。
  年末年始の挨拶できない。
  イベントのたびにできないことが何かしらある。
  学級役員、投票制で選出されると、なれない。(←これは、苦労した…)
  運動部できなかった。(←これは、家によって違うんですけどね。)
  JW以外のことにのめり込みがちになると、怒られました。(有名な「家でてけ」はここら辺で使われました。)
  簡単に言うなら、孤独?
  大人の、大人気ない世界を小さいうちから教えられました。
  JWがらみの家庭内不和。
  変な性癖がありました。ええ。
  大変なときに頼れる人がいない。

  大雑把にこんな感じ。


Q13.集会中、何してましたか?(ぇ?)

  まじめに聞いてましたよー。でも、あれだな、ノートのとり方は、耳に残ったフレーズを片っ端から書くだけだから、あんまり見やすくなかったと思う。

  まぁ、聖書を引くとき意外はうわの空、見たいな事はしょっちゅうありました。(ちゃんと聖書開いてないと親に見咎められるので。)



Q14.伝道(奉仕活動)されてましたか?

  してました。
  年が上がるにつれ、嫌いになりました。ww


Q15.大会の思い出、あったら聴かせてください。

  特に無い。
  行って帰ってー、寝たら怒られてー。って感じ。でも、やっぱり午後のプログラムは寝ちゃうんだなぁ。


Q16.好きな聖句はありますか?

  フリであっただけ。
  今は無い。


Q17.輸血禁止についてどう思われますか。

  分画OKなのは昔から疑問だった。

  最近輸血関係の話を読んでいて、輸血禁止は確かに病気とかを結果的に、防ぐことができたけれど、聖書ではそういっていたわけではないのではないか、と感じてます。今のところね。



Q18.排斥についてどう思われますか。

  もう一度、JWに戻ってこさせるための拷問?

  

Q19.ハルマゲドンは来ると思いますか?

  来ると思う自分もいるし、来ないと思う自分もいる。
  たとえ来たとしても、生き残りたいという気持ちは、無い。


Q20.今現在、宗教(一般)についてどうお考えですか?

  かかわりたくない。

Q21.本当はしたかったけど我慢したこと教えてください。

  JWのことを考えずに、ひとつのことに没頭すること。
  運動部
  友達とワーイって遊ぶこと。
  高等教育(JWじゃなかったとしても、経済的に無理だったかな汗)
  流行のファッション
  思いっきり家族を罵倒すること笑


Q22.JW的にはいけないけど、してしまったこと教えてください。

  すいません、自粛で……。男性なら皆通る道を……。
  あ、最近でいえば、仕事で誕生会やりましたww
  あと、ネットで社交してます?

Q23.鞭されたこと(したこと)ありますか?

  あります。小学生のころまで。


Q24.差し支えなければ、鞭の話聴かせてください。
(お話できる範囲で)

  うーん。私のうちでは、鞭はガスホースでした。

  あれ、叩かれると泣くのがいやで、きっと痛いのが無く原因だと思って、痛さに慣れればいいのだ!と思って、試してたことがありましたwww

  そう、アホやねん!



Q25.トラウマになっていることってありますか?

  JWをしない私はもう、この家族に邪魔な存在なのだと思っていることです。
  あからさまに他人と比較されたこととか。(小さいときからそういうのは日常茶飯事)

  会衆の人同士のめちゃくちゃな人間模様。
  ハブられ続けたこと。



Q26.壊れたこと、ありますか?

  あります。危ういところまで行きました。
  無理解な家族や周りの人の反応にあい、自分のことは自分で守らねばと改めて思ったしだい。私の周りには何を言っても無駄だと、確信するようになりました。


Q27.あなたは今、幸せですか?

  うーん。微妙だと思うけれど、前よりはマシだから、幸せかしらね。


Q28.よくいくJWサイト(ブログ)を教えてください。

  アメーバのJWブログは結構行きます。


Q29.あなたは統治体のメンバーです。「新しい光」をひとつ。(笑)

  JW、日本支部を排斥します!


Q30.お疲れ様でした。最後にひとこと。

  長々とお付き合いありがとうございました。

  なんとなく、書ききった気がしてきちゃった。
  また思いついたときに、回顧録、書きますので、よろしくです。


30の質問はこちらからいただきました。
勿忘草 http://blog.livedoor.jp/wasurena_so/

ども、Minちです。

昨日ですね、辞めるのかどうか聞かれました。親に、母に


前にも辞めるよって言ったので、考えは変わってないと伝えました。

(内心ひやひや でも、隠そうが、何しようが関係ないのかもと思い…)


で、話を聞いていると、どうやら昨日母は長老に相談したらしい。

したら、話し合いの機会を作ってほしいとの電話があり、

母は、少し待ってくれるよう言ったらしい。



母も、父も、話をあわせている訳ではないがどうやら、考えは一緒で、

私が正社員の仕事を見つけて家を出て行くことに反対はしない。

でも、出て行った先の集会に交わって、JWとしての最低限の活動をしろと。


都会の雰囲気はぜんぜん違うからって。


私はそれでもやだって言いました。

奉仕なんて、JWに人を引き込もうとする活動になぞかかわりたくない。

集会や大会のために仕事を休まなければならないとか。

はっきり言って、本当にありえない。



何で辞めようと思っているのか、理由をいえって言うので、

必要ないからって言った。

エホバも聖書もJWも、

でも、食い下がってくる。


生きている時点で、すでに神に生かされているの、必要ないも糞もやらなきゃいけないことでしょ。

ってね。

ご飯を食べないと生きていけないのと同じで、霊的なものも無いと生きていけないんだよ。

「人はパンだけによらず、、、。」

とも……。


じゃあ、お母さんはどうしてそう思ったの?

霊的な必要を自覚するって書いてあるけど、お母さんはどうしてそう思うようになったの?


と聞いてみました。

でも、こうこうこういうことがあって、霊的必要を自覚したわという事を言うのではなく、

なんか、ずれたことを言ってて、よくわからんかった。


で、こんなことも言ってた。

JWという良い環境で、友も作れない人が、一人で世に行ってやっていけるわけが無いでしょ。


友がいないのが原因の一つだ的なことを言ってました。

心から心配してくれている人たちが、少なくてもいるのに、そういう人たちがいる中でさえも、本音を出せない。そして親とも友になれない、どうしようもないんじゃないの。

って。

これには返す言葉もありません。

だって実際、誰か人に向かって本音をぶちまけた事ってなかったから。

人の本音をぶちまけさせたことはありますけれど、自分のことはそういう機会もなかったし、傷つくの怖いし、受け止めてくれるかどうかわからないのが嫌だったから、したこと無い。


でも、これからそうできるとも限らないわけじゃない。

これからそうできるかも知れないじゃないか。

とは思ったけど、よくわからないな。

私が、こういうブログとか、ネットのつながりでJWを辞めた人たちとかかわっている事は誰も知らない事だから。きっと親たちからすれば、そんなバーチャルな世界なんか当てにしてとか、そんな関係なんて、って言う事なんだと思う。


だけど、私はネットがなければここまでこれなかったし、結局JWでうまくいかなかった自分にはどこにいってもうまくいかない、どうしようも無い、もう死ぬしかないとかっていう思いにずっととらわれ続ける事になっていたのかもしれない。

当然、これからの私次第で、どう転ぶかは不確定だし、JWにいるより大変な事が色々待ってると、認識してる。



んで、結局まあ、何で思い通りにならないの!

ムキーーー!って母はなったんです。


いままでJWとして、母親としてたくさんのものを犠牲にしてがんばってきたのに、何も残らない。

バカな亭主とバカ息子とバカ娘しかできなかった。

もう、悔しい悲しい。


母がかわいそうになってきました。

でも、母はそういう憐れみや同情を子どもからされるのは嫌な人、どうしようもないではないですか。

私には何にも残らないって。


でも、それだけいわれてもあんまり心が揺さぶられない私もどうかしてるかな。


ああ、脅しの次はすかしか、お母さん本当にそう思ってるのかな。

とか思ってしまう私は、結構冷酷。


兄とか、母には、結局親を困らせたいだけだろ。っていわれましたけれど、どこからそんな発想が出てくるのか、あきれすぎてポカーンとしてしまいました。

今までそんな事したこと無いし、

そんな考え、一つも頭を掠めた事はない。

そもそも、私の眼中に親は無いので、、、。


アウト オブ 眼中


私、かなり子ども扱いされてるなーと。

ちょっとへこみ。



って、そんな事がありました。


だから、もしかしたら、これから色々変化が訪れるかもしれません。

明日にも、話し合いすることになるかもしれないし、今日かもしれないし、

ひとまずは、今日集会に行くのかどうか、ですね。

今日から集会やめようか、

家出てけーには、何とかして耐えるとして。



ちょっぴ難しいかな。

でも、そういうの隠して集会に行ったとしても、それは、周りの人をだましている事で、実際、親もそれでだまされていたらしく、

そーやってだましてたのね!って逆に怒られ……。


ショボーン。



なんだか、最近疲れとストレスで、体の各部が痙攣するのですが、そしてご飯がのどを通りにくい。


でも、ご飯はちゃんと食べますよ。そうしないとまた精神やられるから。

疲労とか、痙攣とか、体に疲れが出ている分には、まだ大丈夫。

休めば良くなる!

しかも、これから、やっと週休二日になりそうで、八月は結構ゆったりめ。

だから、やれる事は八月にやっておこう。

ツウことで、



Minちまだやれます。


でも、今日の地震はビクッたー久しぶりの緊急地震速報でたたき起こされましたがな。


また寝ようと思ったんだけど、思った以上にびっくりしてたみたいで、一時間ぐらいうだうだしてたー。



今日中にまた更新するかも。


じゃ。