猛烈な暑さの三連休の最終日。
予定が流れてしまったので何をしようか?と考え巡らせていたときに、ジェーン・バーキン逝去のニュースを見ました。
実際は英国人ながらも、ジェーン・バーキンといえば、肩ひじが張らないオシャレさとコケティッシュなフランス人女性のイメージを思う方も多いのではないでしょうか?
彼女の名前で世界的に知られているバッグを思い出す方も多いでしょうね。
実際にニュースではそういう切り口だったし…。
私はというと、女優としての彼女の作品はもちろん何本も観ているけど、歌手としてのイメージも強かったりします。
実際にCDも持っていて、ドライブ中によく聴いておりました、はい。
本当に不思議な役者さんで、型破りな役やタブー的な役どころでも観ている者にすとんと腹落ちさせる魅力がありました。
演技力ではなく、彼女のもつ不思議な魅力によるものです。
パッと思いつくところでは、"Kunfu Master"とかB級のフランス映画がそう。
確かあれは、小学生の子供の同級生が相手だったような??。でも、ちゃんといた恋愛映画として成立していましたものね~、本当に不思議
彼女の唯一無二の魅力を確認するために、撮り溜めておいた作品を改めて鑑賞しました
同じタイトルの曲も大ヒットしましたよね
映画の内容がエッジが立ちすぎてしまっているので、むしろこのタイトルを聴いて歌を思い出す人も多いんじゃないかしら
Je t’aime moi non plus
邦題もそのままカタカナだしです。
ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ
画像はお借りしました。
当時は1976年製作の本作品。
セルジュ・ゲーンスブールはその後のエロティックなシーンが多く、セルジュ・ゲーンスブールがこの作品で訴えたかったポイントがすぐに分かるという類ではないため、国によっては上映されないということもあったそうです。日本もそのうちの1か国。かなり遅れての公開となりました。
そのため、アングラ的な人気となり、時を経て、遂に完全無修正版がでました
その公式サイトがありますので、ご関心がある方はこちらにどうぞ。
その公式サイトからあらすじを引用しました。
殺伐とした、暴力が満ち溢れた世界。
運命の愛は、すべてを超える―――。
トラックでゴミ回収を生業とするポーランド人のクラスキーと、イタリア人のパドヴァン。
2人は、仕事仲間以上の強い絆で結ばれていた。
ある日2人は、立ち寄ったカフェバーで、男の子かと見間違うほどのショートカットでボーイッシュな女の子、ジョニーと出会う。
彼女は、飲んだくれでパワハラ気質の主人に反発しながらも、ほかに行き場もなく働いていた。
その夜、クラスキーとジョニーはダンスパーティで意気投合。しかし、実はクラスキーはゲイだった。
それでも惹かれ合う二人は身体を重ねるが…。
セルジュ・ゲーンスブール監督・脚本で、恋人で後の妻になるセルジュ・ゲーンスブールが少年のような体格ながらも魅惑的な眼差しのジョニー役がはまり役ですね。
なんとなく暗く、何もない田舎の町で希望もなく生きる人たちの鬱積の中で、本物の愛を戸惑いながら探し続けるジョニー。
自分が勤めるカフェに、ごみ回収の仕事後、寄ってきたドライバーのクラスキーにまさかの一目惚れですよ。
幸い、後ろ姿だけだと少年に見えちゃうのだけれど…。
二人の間での話は弾みます。ただ、彼が同性しか愛せないと分かったジョニーは、さてどのように気持ちの整理をつけていくのでしょうか?
今以上に当時はもっとあからさまに型にはまらない価値観を許さない傾向が強かったですもの。
同性愛者もそのひとつ。
そういった鬱屈した気持ちも、クラスキー、そしてクラスキーの相手であり仕事仲間のパドヴァンも常に悩まされていたの。
ストーリー展開の最後の大きなうねりはこのパドヴァンが起こしたもの。
自分の大好きなクラスキーがよりによって女性に奪われるのではないか?これから一緒に仕事を続けられないのではないか?
もう自分に彼ほど理解を示してくれる人間が出てくるのだろうか?
そして、許されない行動に出るのですが、さて、どのようなエンディングを迎えるのでしょうね!?
70年代のある意味、青春映画でもあるので、今や重鎮となった役者たちも登場しちいて、その若さに改めてびっくり。
時の経過を実感せずにはいられないですね。
例えば、カメオ出演だったジェラール・デパルデュ。なぜか印象的な白馬に乗る男として登場
まだ髪が生えていたミシェル・ブランも、弱っちいのに神経質でイヤミな青年として登場していました。
こちらがオフィシャル・トレーラーです。
今まで素晴らしく印象的な作品を数々残してくださってありがとうございます。
天国でようやく愛し合ったセルジュとも再会していることでしょう。
お悔やみを申し上げます。
いつも拙ブログにお越しくださりありがとうございます。