昨夜、オーストラリア大使館主催の映画鑑賞会に参加してみました乙女のトキメキ

 

まぁ、このご時世ですから、大使館までのこのこと出かけたりしておりませんキョロキョロ


オーストラリアのみならず世界中から評価の高い自国映画の遠隔での上映会という素敵な企画だったのパー

 

この映画、学生のときにTSUTAYAで借りて観たことをとてもよく覚えていますウインク

謎めいていて、最後まで不思議なリズムで進む作品でしたねウインク

 

壮大なオーストラリアの自然を見事なカメラワークと心地よいけれどよく考えるとやや不気味な音楽がマッチしています。

最初から最後までまるで絵画を見ているような気分にもなるんですよね乙女のトキメキ

ときに水彩画、時に印象派、とくにルノワールのようなタッチとでも言いましょうか。

 

当時から既に評判が高く、ピーター・ウィアー監督がハリウッドに来る前、まだオーストラリアにいたときに撮影したものでした。

 

1975年製作

 

Picnic at Hanging Rock

 

邦題は『ピクニックatハンギング・ロック』(←なんでATだけそのままにしたんだろう??)

 

画像はお借りしました。

 

 

原作はオーストラリアでは有名な芸術一家リンジー家の一人、ジョン・リンジーです。

 

あらすじはBOOKデータベースからコピペします。

 

あの日は絶好のピクニック日和だった。

アップルヤード学院の生徒たちは、馬車でハンギングロックの麓に向けて出発した。

だが、楽しいはずのピクニックは暗転。

巨礫を近くで見ようと足をのばした4人の少女と、教師ひとりが消えてしまったのだ。

何があったのかもわからぬまま、事件を契機に、学院ではすべての歯車が狂いはじめる。

 

この作品の設定がまず巧いのが、オーストラリアのまだ開拓中の地域に良家の子女たちを教育する寄宿舎に設定したところ。

俗世と切り離された少女たちはあくまで純真で清らかであり、子供と大人のちょうど過渡期にある微妙に揺れる時期です。

 

特別な環境にいるのがよくわかるのが話されている言葉でした。

 

最初は

 

え?オーストラリアの映画だよね?

英国、しかもかなりポッシュな英語じゃん…

 

と聞いていたら、監督の意識的な采配でしょうね。

この学院で話されている言葉は英国で話されている英語であり、時に普通にフランス語の教師もおり、ところどころフランス語でも日常会話で話しているの。

 

しかし、一方、街の人たちの英語は思いっきりオーストラリアのアクセントが強く、無学で粗野な要素を言葉でその違いを出したんですねぇ。

 

さて、学院生活はまるで作り物のような美しさニコニコ

学生たちも可愛らしいですねグッ

 

とりわけ、その中でも教師をして「ボティッチェリの天使のよう」と言わしめた少女ミランダは格別の美しさのでした。

 

演じているのはアン・ランバートさんです。

監督のピーター・ウィアーがCMに出ていた彼女を見かけて、ミランダにはアンさんしかいない!!と決めたのだとかパー

 

今回、再びこの映画を観ましたが、圧倒的な美しさというのは、時代や流行りとは関係ないのねチュー

雰囲気が綺麗とか、感じがいいとかいうレベルではありませんパー

 

映画上の美少女コンテストがあったら、必ずトップ10入りするでしょうね。

彼女の微笑みはティーンとは思えないほどの余裕というか、母性のような優しさがほとばしっているのも素敵でしょイエローハーツ

 

 

そんなある種、隔離されていた少女たちが遠出して、ハンギング・ロックに遠足に行きます走る人

そこでハンギング・ロックに探検に行った少女たちと監督役の先生が失踪する事件が勃発するのです。

 

至るところで不思議な現象が起こるのびっくり

複数人の時計がピッタリ12時で止まってしまったり、いきなり皆が眠たくなってしまったり…。

 

でも、近年にあるようなおどろおどろしい演出は一切なしですパー

ただ、いろいろなメタファーが登場しますねぇ。

 

1週間も消息を絶っていた学生の一人が救出されたけれど、ほとんど怪我はなく、状態としては悪くはなかったこと。

だけど、見つかったときにはコルセットがありませんでしたガーン

しかし、医師の診断だと暴力は受けていないとのこと。

もちろん意識を取り戻したけれど、まったく当時の記憶はありません。

 

彼女は結局、学院を去り、ヨーロッパの学校へ転校することになるのだけれど、その時の装いがこの学院の制服ともいえる、真っ白なコットン地のワンピではなく、目が覚めるような真っ赤な装いで最後、皆に別れを告げにくるのね。

 

これは未だ少女っぽさが残る同級生と異なり、事件により、精神的にもう子供ではない!ということ。

彼女は大人の女性、レディとしてこれからは生きていく象徴だったのだと思います。

 

同級生は別れを惜しむでもなく、むしろ、事件で何があったのか話せ!と悪意に満ちたまなざしが印象的だった。

もう自分たちと同じグループでなくなったことが感覚でわかるのね。

その焦りからくる、自分たちでも制御のつかないいじわるだったのかしら!?

 

この映画って、オーストラリアでありながら、アボリジニーやその要素が全くゼロなのもまだ70年台だったから?

白人しか出てきません。

学院の中も、開拓中の町中も。

 

ですが、原住民たちの存在感は、むしろ姿かたちとしては登場はしないけれど、圧倒的な、時に不思議な力を持つと言われる自然にその要素を絡ませたのかなとも思う。

 

一方的によそからオーストラリアの地に来て、勝手に植民を始めた白人たち。

開拓を進める中で、自分たちよりも前にこの地に定着していたアボリジニーに、そして自然に復讐されるのではないか?と実は恐れおののいていることを暗示しているのでしょう。

 

上映会の後にちょっとしたセッションが企画されておりました。

その際にこういう発言があって、なぜか納得してしまった。

 

世界でも「神隠し」をテーマにした映画や文学作品は多いですよねパー

日本でも『千と千尋の神隠し』がそう。

 

オーストラリアでも壮大な自然に対する畏怖の念がとりわけ強いので、この映画だけではなく、自然=妖精など人間には考えられないような何かによって失踪=神隠しを比較的すんなりと受け入れる傾向があるとのこと。

 

なるほど、生活環境の中で、自然との距離の取り方が国によって異なるのは通説ですが、更に深堀していくと、そういう日常における社会観も見えてくるのが面白いって思いません?

 

CGや最新の技術を活用した映画が多い中、優れた原作を優れた監督が見事な自然の中で作り上げるとこんな素晴らしい作品に仕上がるんだぁって実感しました。

伝説的美少女の存在も大きいけどね。

エンディングはまさに悲劇の連続なのですが、その見せ方、終わらせ方もいいんですよ。

機会があったら、ぜひご覧になった方が良い名作です拍手

 

こちらがオフィシャル・トレーラーです。長めバージョンを発見キョロキョロ

 

 

 

おそらく初の企画だったに違いない今回のイベント。

コロナ禍でも自国の名作を遠隔上映し、その後のトーク・セッションも参加者から活発な意見や質問があり、とても興味深かったです。

オーストラリア大使館の関係者の方々、本当に準備が大変だったと思います。

心から楽しめました。お疲れ様でした。

 

今までいろいろな国に住み、旅もしていますが、オセアニアと南米と南極は行ったことがないのね。

この映画で初めてオーストラリアに行ってみたいなぁ。

ハンギング・ロックを自分の目で観てみたいって思いました乙女のトキメキ

 

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