「スフィランシャ、お風呂が空きましたわよ。」
「はーい、姉様。」と返しながら、私は読んでいた本を閉じた。
うつ伏せに転がっていたベッドの縁に腰掛けると「んー・・・!」と、背伸びをしてから立ち上がる。
やっぱ恋愛小説は良いわ。
想いが通じ合う瞬間も好きだけど、私はお互いにヤキモキしてる辺りが結構好き。
まぁ、それはいいや。
明日もガッコだし、お風呂にさっさと入ってしまおう。
お風呂シーンだよ。サービス要素だと思った人、残念。
流石にこの歳になって姉様と一緒に入る事はない!
しょっぱい私のソロ入浴シーンだよ。
私のお風呂の入り方なんかどうでも良いので割愛。
髪を結い上げて湯船に浸かる。ふぃー・・・。
紐を引っ張ると泳ぐカエルの玩具を湯船に浮かべる。
私の周りをゲコゲコ言いながら泳ぐそれを見ながらバストアップ体操だ。
目指せ!姉様の様なナイスバディ!
今朝、姉様が「またサイズが合わなくなってしまいましたわね・・・」とため息を付きながら、サイズが小さく不要になったソレを処分してたのは知ってる。
べ、別に、う、うらやましくないし!全然うらやましくないし!
湯船には流星の如く涙が一つ零れた。
お風呂から上がると胸囲の格差社会に付いて非常に厳しい思考を巡らせながら、さっさとパジャマに着替える。
それにしてもあっついなぁ、ホント。
冷蔵庫を覗くと、いつも飲んでいるレモンフレーバーの炭酸水のストックを切らしている。
あぁ、しまったなぁ、と思いつつ。
お風呂上りに夜風に当たるのもたまには良いかもね。
コンビニに行ったら飲み物と一緒にアイスも買うんだ。
取り敢えず自室に戻ると、今着たばかりのパジャマを乱雑に脱ぎ捨て、外出が出来そうな服をクローゼットから引っ張り出す。
着替えるとケータイを無造作にポケットに突っ込んで、自室から出る。
何味のアイスにしようかなぁ、とか考えながら靴を履いていると背後から声を掛けられる。
「ストラーフお嬢様、お出かけになるのでしたらお車をまわして参りますが。」
「あー、良い良い。コンビニまで行くだけだから。
それに夜風に当たりたいから『お使い』も良いよ。」
「左様で御座いますか。それではどうかお気をつけて行ってらっしゃいませ。」
執事さんは深々と礼をする。
普通ならここは何を言っても譲って貰えないのだろうが、この家の人間はみんな私の力をよく理解している。
暴漢だろうが暴れ牛だろうが私が本気でデコピンすれば一発だしね。
私は執事さんの言葉に「ん。」とだけ返すと、玄関の扉を開いてさっさと出て行く。
ホント、何で私この家で暮らしてるんだろうってしみじみ思う程の上流家庭。
いや、両親が頑張っているんだろうけど、小さい頃からまともに顔合わせたこと無い人達だからなんともかんとも。
玄関出てから噴水の在る広い庭を抜け、ようやく門まで辿り着く。
門の脇に立っている守衛さんに「開けてください。」とお願いすると、私一人が出ていくには広すぎるくらい門が開く。
守衛さんに軽くお礼を言って門の外に出てから、大きく背伸び。
ようやく自分に戻れた気がする。
みんな良くしてくれるし、生活に不満があるわけでも無い。
だけどなんとなく、この家に居ると少しだけ窮屈な気分を感じるんだ。
コンビニに向かって歩き始めると、たっぷり夜気を含んだ風が吹く。
あぁ、やっぱり送迎はお願いしなくて良かった。
乾かしたばかりの髪に風を通してやりながら歩く。
空を見上げると夏の夜を彩る星座が瞬いている。
フフン!今、私はこの世界のヒロインね!などと一人で浸っていると顔面目掛けて何かがぶち当たる。
「あいたっ!・・・もう、なんなのホント」
私に当たって地面に落下したそれを拾い上げると、かなり大きなクワガタだった。
背中を私に押さえられ飛ぶ事も出来ず、ワサワサと足をばたつかせて抗議してるんだろうか?
クワガタ君をブローチの様に服に貼り付けるとまた歩き出す。
飛んで行きたくなれば飛んでいけば良いよ。
って思ってたのに結局コンビニに到着してもまるで飛んでいく気配が無い。
別に体表から樹液なんか出したりしてないんだけどなぁ。
さっさと用事を済ませる為にコンビニの店内に入る。
適度に空調が効いていてなんだかホッとしながら、飲み物のコーナーを目指す。
と、通りがかりの雑誌コーナーでよく見知った後ろ姿を見かける。
「れりりん?あれ、こんな所でどうしたんですか?」
振り返るとやっぱりれりりんで、だけどその表情はいつも知っているモノじゃない。
目には涙を一杯に溜め、今にも泣き出してしまいそうな。
私は思わず慌ててしまう。状況次第だけど姉様にも連絡をして来てもらおうか。
頭の中で思考が高速回転しながら、先ずは現状の把握に努めよう。
「れ、れりりん!どうしたんですか?!」
慌てた様子で掛けられる言葉に、キョトンとした表情を浮かべると「あぁ」と理解したように呟く。
「コレコレ、今日発売の少女マンガの雑誌なんだけどさ。
やっとヒロインの女の子が好きな男の子と想いが通じ合ったんだよぉー!」
なんだもう・・・
安堵と呆れが入り混じった溜息を吐きながら、「取り敢えず何事も無くて良かったです・・・」とだけ返した。
「ごめんねぇ」と笑いながら言うれりりんは、今日も恐ろしい程の可愛さを溢れ出させている。
こんな笑顔で謝られたら「今すぐ死んで?」って言われても許してしまうんだろうなぁ。
馬鹿な事を考えながら、最初の質問へと戻す。
「れりりん、こんな時間にこんな所でどうしたんですか?」
「いやー、家に帰ってお風呂入ってる時に今日この雑誌の発売日だった事を思い出してさ!
続きがずーーーっと気になってたからついつい立ち読みしに来ちゃった!」
「アハハ」って笑いながらアッケラカンと言う。
さすがにJKが一人で出歩く時間じゃない。
私もカテゴリ的にはそうだけど、色々規格外だから良い。
れりりんは怪力でも無ければ容姿も「超」が付くレベルの美少女だ。
心配するなと言うのが無理な相談だよ。
「じゃあ、帰りは私が送って行きますね。
『近いから大丈夫』とか『迎えに来て貰うから大丈夫』は無しですよ?
さっきの話から察するに家人に黙って、こっそり抜け出してきてますよね?」
私がそこまで捲し立てると、れりりんは「ぐぬぬ・・・!」と唸っている。
やがて諦めたように「はぁい・・・」と言うと、パッと表情を変えて今度はこちらに質問を返してくる。
「らーふちゃんはどうしたの?お買い物だよね?」
「はい、私は飲み物を切らしていたので、夜風に当たるついでに自分で買いに来ました。」
「よくあの家のセキュリティ突破して抜け出せたね!」
「いや、私はちゃんと出かけるって伝えてから出てきてますよ!」
「止められなかったの?」っていう質問が飛んでくると、怪力に関して説明しないといけなくなる。
もちろんいつかは言う事になるんだけど、知らないで済んでいるうちは、出来れば知らないで欲しい。
普通は引くしね、怪力とか。
「とりあえず買い物を済ませてしまうので、少し待っていてくださいね。」
と、話を切り上げ、いつも飲んでいる炭酸水を手に取ると、さっさとレジに行く。
人の良さそうなおじさんが立っているレジで、手早く会計を済ませるとれりりんを探す。
・・・お菓子選んでる・・・
でも、なんだか無邪気にお菓子をチョイスしている姿はとても愛らしい。
マイペースを叱るような気分でもなく、ついつい微笑ましく見守ってしまった。
会計を終えたれりりんは、ホクホク顔で私の元へやってくる。
「よし、では行きますか。」
「うんうん、レッツゴーだね!」
私は彼女の横、ほんの少し前に立って歩き始める。
れりりんはいつの間にか私の背中側に回っていたクワガタに気が付くと「うわー!!」って大きな声を上げて。
「ねぇねぇらーふちゃん!このクワガタどうしたの?っていうかおっきいな!」
「コンビニに来る途中、顔にぶつかって来たのです。
いつ飛んでいっても良いように服に張り付かせてあげたのですが、何故か懐かれて(?)しまって・・・」
「あはははっ!すごいね。ホントに大きいなぁ、このクワガタ。飼うの?」
「いえ、ちょうどいい木でもあれば放してやるつもりです。」
「あ、じゃあこっちに良さそうな公園があるよ。」
れりりんは先を指差しながら、公園へと先導し始める。
いい加減このクワガタ君も放してあげないとなぁ、って考えてた私もその後に続く。
5分程歩いた先で辿り着いた公園は、広そうなのだが時間が遅いために街頭が全て消灯されている。
「適当にこの辺の木にはなしてあげよう!」
言われた通り、クワガタ君を服から引き剥がすと木にしがみつかせる。
うん、これで大丈夫、かな?
「よし、それでは送って行きますね。」
「えー・・・せっかくだし、ここで少しお喋りしていこうよ。」
「駄目です。帰ってからケータイで、とかならちゃんとお付き合いするので、今は先ず帰りましょう。」
キッパリと却下する。
夜の公園だし、良くない手合いがたむろしていてもなんら不思議はない。
私一人なら別に構わない。
その程度の有象無象、文字通り指一本でどうとでも出来る。
だけどれりりんに怪我をさせるわけにはいかない。
たとえ本人が気にしなくても、私が気にする。
あの綺麗な顔に傷でも付けられたら、正気で居られる自信が無い。
この怪力が本気で暴走すれば、人殺しはまず免れないと思う。
あの綺麗な顔に傷でも付けられたら、正気で居られる自信が無い。
この怪力が本気で暴走すれば、人殺しはまず免れないと思う。
「ぶー!じゃあらーふちゃんがお家に帰ったら、かななん先輩も一緒に、三人でお喋りしよう!」
「はい、もちろんお付き合いします。」
れりりんは満足そうに頷くと、「うちはこっちだよ!」とさっきのように案内をしてくれる。
私は彼女のあとに続いてゆっくり歩き始めた。
到着したれりりんのおうちはまるで高層ビルだった。
お、おぉぅ、なるほど。
うちとはまた別のベクトルで上流家庭だ。
うちとはまた別のベクトルで上流家庭だ。
古風なうちとは対照的にとても現代的な。
「ハーブティー淹れるから、上がってって!」と言うコトバを「今日は遅いのでまた後日に」と断ると、れりりんはそこに捨てられる子猫の様な寂しそうな表情を浮かべる。
か、可愛い・・・し、可哀想だけど、流石に時間が時間だし、家人に対してご迷惑だろうと慮る。
私は精一杯の笑顔をこの上なくぎこちなく浮かべると
「また明日!」
と言った。
れりりんはちょっと驚いた顔を見せたけど、すぐに可愛い笑顔に戻ると
「うん、また明日ね!」
と返した。
その場で振り返って歩き出す。
少し歩いてから振り向くと、まだれりりんはそこで手を振ってる。
私も手を振り返すとまた歩き出す。
夜空を見上げると、中天に浮かぶ丸い月に暈がかかっていた。
れりりんのおうちからは少し離れた帰路の途中、突然ケータイが鳴る。
確認するとれりりんからのメールを受信。
From:れりりん
Sub:送ってくれてありがとね!
-------------
らーふちゃんも気を付けて帰る
んだよ!
今日、二人でお喋りしてて思った
んだけど・・・
んだけど・・・
僕とお喋りする時は、敬語じゃな
くても大丈夫だよ!
くても大丈夫だよ!
うん。むしろ普通に話してくれた
方が僕は嬉しいな!
方が僕は嬉しいな!
今日は本当にありがとね!
転んだりしないように、気を付け
るんだよ!
るんだよ!
-------------
子供じゃないんだからって苦笑いしながら「これから少しずつ普通に話せるように努力してみます。」っていう内容のメールを返信。
帰りにもう一度あのコンビニに寄って、今度こそアイスを買おう。
可愛いあの子みたいなバニラにしよう。そうしよう。
家の玄関を開くと、そこに姉が立っている。
「随分と遅かったのですね?
『コンビニに行くと言って出て行った』と聞いていましたのに、何時までも戻らないので心配しておりましたのよ?」
「ごめんなさい、姉様。
コンビニでれりりんと偶然会ったので、お送りして来ました。
夜道を一人で帰すのがとても心配だったので・・・。」
姉は「まぁ」と少し驚いた表情を見せると、
「それはお疲れ様でしたわね。」と、少し嬉しそうに笑った。
「姉様、アイスを食べませんか?バニラのアイス。」
「ハーゲンダッツですの?」
「勿論です、姉様」
約束していた通り、早速れりりんにコールする。
繋がったらハンズフリーモードに切り替え。
私の部屋で買ってきたアイスを食べながら三人で話していると、あっという間に夜が更けていく。
あぁ、今度は本当に三人一緒に過ごしたいな。
きっとそれはとても楽しいんだろうなぁ。
お泊り会の計画を頭でたてながら(コミュ障気味の私に実行出来るかどうかは置いといて)
早く明日にならないかな、って思った。
早く明日にならないかな、って思った。