只今、体調を崩して自宅で療養中。

体力なくなって寝込むわ、起きたら、吐くわ、お腹緩くなるわで、久しぶりに体調のことでちょっと大変だった。

まぁ、半年に一回ぐらいのペースでこうやって体調崩すんだけど。

で、毎回、健康的な生活しようって思い直して。

でも、結局、有言不実行に終わって…。

と、そんなサイクルをいつも繰り返している。

人間とは、学習する生き物のはずなのだが。

認識論的に理解できても存在論的に改善できないことというのはあるのです。



そんなわけで、布団のなかでうだうだしてるのも暇だから、お腹下す周期の合間に(汚い話でごめんなさい…笑)、最近書き溜めていながらも、最後まで書けなくて下書き保存にしていた記事たちを書き上げてアップしてみました。

カントの「善意志」の問題と、サウンドと精神主義の関係の問題、それと、私の今年度の決意を一気に書き上げてアップしました。

なので、日付けが、書き始めた日付けになっていますが、書き上げたのは、全部、3月4日のAM1:00頃です。



とりあえず、早く体調良くして、修論を進めなければ…。

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ようやく、待ちに待った4月になりました。

ゼミの合宿やら、渋谷La.ma.maでのライブ等で忙しく駆けずり回って、充実した3月だったのですが、悩んだ末に出した、「来年度に修論を書き上げよう」という目標に向けて改めてスタートを切れる4月を、私は心待ちにしていたのです。

一時期は、休学して音楽やるとか、北海道行って農場のボラバイトやるとか、色んな話が持ち上がってきて、いつものことながら、また時間かけて自分の人生について悩んだのですが、ようやく、決意が固まってきて、それに向けて進んでいけそうなので、自分の出した答えを整理するという意味でも、ブログに載せてみようと思います。



思えば、研究というものに興味をもったのは、学部4年の春だった。

自分の中では、かなり、「懐かしい記憶」みたいになってるけど、まだ、約二年前のことだと考えると、わりと最近のことだと思う。

当時の同期の中で、一番、卒研が遅れていた私は、かなりのコンプレックスを抱いていた。

「自分には研究論文を書くなんて無理だ」と、本当に思っていた。

音楽ばかりやっていたから、研究の知識なんかは、皆無だった。

卒論提出まであと一年となって、ようやく、研究に取りかかる糸口ができた4年の春。

それが、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』との出会いだった。

今では、『自由からの逃走』の詳しい内容なんて、ほとんど覚えてないし、今の私の研究が、「フランクフルト学派における云々~」といったものであるわけでもない。

けれど、『自由からの逃走』が、私のはじめて出会った哲学の書であり、その後の姿勢に大きな影響を与えた書であることは間違いない。

とにかく、活字を読むのが嫌いで、ゼミの文献以外はほとんど読まなかった私が、「この本、面白い!」と思って、一人で最後まで読み切ったのだ。

私の尊敬する当時の院生のASNさんには、「本当に読み切ると思わなかった」なんて言われたのを覚えている。

読み切るまで一ヶ月もかかったけれど、その本は、私にとって、とにかく面白かったのだ。

しかし、そのとき、私の前には、第一の試練、卒研合宿が、目の前に立ちはだかっていた。

今でもわりとそうだが、当時は、本当にレジュメがつくれなかった。

文章化するのが下手くそで、レジュメはいつも、枚数が少なかった。

ようやく時間をかけて『自由からの逃走』を読み切ったものの、何をどのようにまとめて、どのように研究を進めればいいのか、全く見当がつかなかった。

それで、当時の留年した5年生のmさんに、必死で相談したところ、ひとまず、一章分のブックレポートを書くことになった。

で、書いたはいいものの、合宿の検討では、色々と言われた。

結論としては、とにかく、まずは、自由論の系譜を追えということだった。

私の研究は、その自由論の系譜を追うというお勉強から始まった。



そこから、話は二転三転あるのだが、結局、最終的には、ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』を題材にして、グローバル化した社会における普遍的な規範理論の探求を研究課題とした、政治哲学の卒業論文を、なんとか書き上げた。

書き終えた当初は、全然課題が山積みで、失意のどん底にいたけれど、昨日読み返してみたら、冷静に読めば、わりとよく書けてるように思う。

自画自賛するのもなんだが…(^_^;)



そこから、研究への興味と、就職したくないというモラトリアム拡大要求から、修士へ進学。

卒論書き終えてから、修士に進学するまでぐらいは、とにかく、フワフワしてた時期だ。

つい一年前ぐらいのことだが、かなり昔のことに感じる。

認識論哲学と出会って、頭の中が大転換した。

人生初告白と、初フられ体験をしたのも、このときだ。

拘りの強い義務論的性格とキリスト教精神が複合的に絡まり合って、恋愛に対して極度に消極的な人格を形成してきた私は、「女性に告白すること=罪」ぐらいの感覚をもっていたから、認識論哲学による頭の中の大転換がもたらしてくれたこのときの体験は、私にとってかなり貴重なものだ。

まぁ、このときにフられた相手と今でも同じゼミで、まるで何もなかったかのように普通にやってるんだから、私も相手もなかなかすごいもんだと思う。

話が横道に逸れたが、とにかく、そこからは、何でも勉強だった。

哲学の系譜も、自分なりにあれこれ読んで、なんとなく理解した。

速読することと、精読すること、英語文献を読むこと、この一年間では、この三つを練習したように思う。

英語文献の読みに関しては、まだまだ自信がないが、文献から読みとって、自分のなかに落とし込んで、自分の視点で再構成するという作業は、だいぶ上手くなった。

ゼミ新聞のKに色んな個人投稿を送ったし、色んな投稿に、哲学的視点でコメントを書いた。

そうやって、書く能力を鍛えていった。



9月くらいからだっただろうか。

音楽への熱が再び盛り上がってきたのは。

修士に入ってからは、研究の世界という新たな世界に没頭していたから、それまで、音楽は、「余暇」として楽しむ程度でやっていた。

しかし、学部を卒業して、教員免許も無事取得して、「潰しが効く」状態になった今、改めて、昔描いた夢である音楽の道を目指したくなったのである。

高校時代のバンド仲間iに、もう一度一緒に音楽やろうと言い出すのは、勇気が必要だった。

しかし、私がやりたい音楽ができる場所は、他に思いつかなかった。

それで、決意を決めて、連絡をとってみた。

すると、話は好転し、1月からサポートをする話が決まった。

彼と、彼のサポートメンバーからなるバンドは、はじめは、わりと楽しかった。

とりあえず、長いブランクのあった私は、一生懸命、感覚を思い出して、周りに迷惑をかけないよう、二年ぶりぐらいに、本格的な練習を開始した。

「良いライブをやりたい」という一心で、iとともにライブをつくった。

一生懸命ライブをつくったときの、あのライブ後の爽快感には、何にも変えられない感覚がある。

1月のライブは、最高のライブになった。

しかし、2月・3月になっていくにつれて、色々と問題が発生してきた。

私の金銭的事情や、メンバーで練習するうえでの時間の制限の事情、考え方の齟齬的な事情…などなど、色々と挙げられるが、しかし、全ては、私がだんだん慣れてきて、感覚を取り戻してきたことから始まっているような気がする。

最初の段階では、とりあえず、自分の仕事をすることに必死だったから、あまり、周りのことは気にしていなかった。

しかし、慣れてきて、周りの音が細かく耳に入ってくるようになると、バンドの音の「課題」が認識できるようになってきた。

すると、だんだん、バンドサウンドとして成立していないことを問題だと思うようになってきた。

価値観や好みの問題なら、「暫定協定(modus vivendi)」による棲み分けもできよう。

私が妥協したり我慢したりすればいいだけの話だ。

しかし、「私は私」では済まされない全体のバンドサウンドとしての問題が眼前にあるのに、それを認識しながら、価値相対主義的に、「それも一つのサウンドでしょう」なんて、そんなふざけたことは言えるはずもない。

学芸会として楽しむための音楽ならまだしも、エンターテイメントとして魅せるための音楽で、そんなことをするのは、私にとっては、犯罪的行為にも等しいように思えるのだ。

それで、3月のライブ前のリハでは、全体のサウンドに気を配りながら、プライドの高い「ミュージシャン」たちに気を遣いつつ、上手く舵をとって、成立したサウンドになるようつとめた。

3月24日のライブは、大成功のもとに無事終了した。

サウンド的な課題はもちろんあったが、とにかく楽しくて、素敵なイベントだった。

しかし、私からすれば成立しない音楽を平気でやってのけるその「ミュージシャン」たちと一緒に音楽をやっていくことは不可能だった。

それで、3月のライブを最後に、一緒に音楽するのをやめることにした。

ここで、同時に激しく再燃した音楽への熱も少し冷めた。

もっとレベルの高いところで自分を試したいという欲求が湧いた半面もあるのだが、音楽への熱が冷めたというよりかは、音楽を仕事にするということへの熱が冷めた。

以前は、それを、プロになれないことへの「負け惜しみ」のように感じていたが、今では、その区分がはっきりとできる。

音楽を探求することと、音楽を仕事にすることは、本質的には無関係だ。

プロミュージシャンじゃなくても、良い音楽を奏でる人は良いミュージシャンだし、プロミュージシャンでも、いい加減なことをやりながら金もらってる人間はいる。

プロとしてやっていくには、絶対的な音楽性を身につけるか、もしくは、「ウケる」か、そのどっちかだ。

絶対的な音楽性をもつ人間というのは、要は、完全にその世界で生きているような人間のことだ。

幼少時代から音楽一本で育ち、業界の第一線で活躍するような人間だ。

この地位につける人間は、ごく一部の限られた人間だ。

そこは、私のような人間が競争する土俵ではない。

となると、私のようないわゆる普通の人間が、音楽でプロになれるかどうかは、「ウケる」かどうかにかかっているわけだが、そんなものは、半分運だ。

音楽的に成立してるだのしてないだのに拘っている人間が、結局は運だなんて言ったら、矛盾のように感じられるかもしれない。

しかし、私のいう運だというのは、完全に100%が運だというのではなくて、基礎的(foundamental)な部分は、必須(must)な部分としてあって、あとは、その部分を満たした人間のうちで、どの人がプロになれるかは運だという意味である。

だから、基礎的な部分を満たしていない人間がプロとしてやっていける可能性はないが、だからといって、それを満たした人間が皆プロとしてやっていけるとは限らないのだ。

そう考えると、音楽の探求は、自分なりに自分のやりたいように続けていくという方向性を確保しながら、生活の基盤は違うところに求めるという姿勢が自分には好ましいような気がしてきた。

「音楽は、『余暇』の部分で探求していく」

これが、悩んだ末に自分の出した答えだ。

これは、自分にとっては、諦めの姿勢ではない。

バンドを離れたからといって、音楽の探求は終わるわけではない。

もし、チャンスがあれば、その道で食っていけるようになるということがあってもいいと思っている。

積極的に人生の目標をその道一本に絞って、目的をそこに定めたライフプランをやめるだけだ。

こうして、自分の音楽との向き合い方に、とりあえずの決着をつけた。



音楽を仕事とすることを目標にしなくなったことには、当然、研究者になりたいという思いが強まったことが深く結びついている。

修士一年の間は、自分に研究者ができるのか、と不安になることも多かった。

今だって、こんなに知識の乏しくて、本当に研究の力があるのかどうかも分からない私が、将来、研究者ができるのか不安になることは多々ある。

しかし、研究者になれるかどうかというのは、音楽と同様、運もあるが、大事なことは、二つのことだと思っている。

一つは、研究に情熱を持ち続けることができるかどうか。

人間誰しも、自分の興味の湧かないことにずっと拘り続けることなんてできない。

その意味で、研究者がつとまるかどうかは、頭が切れるかどうかも大事だが、それよりも、モチベーションが続くかどうかが大事な稼業だといえる。

もう一つは、30代になるまで安定した生活ができないということに耐えられるかどうかである。

研究者への道は、博士課程をストレートで卒業しても、27歳。

そのまま研究のポストが確約されるわけではないから、オーバードクターやら、非常勤やら、いわゆる「空き待ち」の状態が続くことを考えると、就職は30歳過ぎと考えておいた方がいい。

むしろ、20代後半で非常勤でもできれば良い方で、最悪の場合、バイト生活を覚悟しなければいけない。

それに耐えられるかどうかが、研究者になれるかどうかの分かれ目だ。

このことを踏まえて、私は、最近になってようやく覚悟を決めつつある。



同期で集まれば、「学生は気楽でいいな」みたいなことを未だにいわれる。

わざわざ一から説明して、研究者を目指すことの覚悟を伝えるのも面倒だから、聞き流してはいるが、本当は、学校の先生に「落ち着いた」人間にそんな皮肉を言われたくはない。

そういうことをいってくる奴には、「じゃあ、お前には、今すぐにでもその『安定した職業』をやめて、いつ就職できるかも分からない世界に飛び出す覚悟があるのか」と問いたい。

それに、私だって、何もしないで大学院にいるわけではない。

それなりに試験対策をして、それなりに結果を出して(まぁ、院試では色々アクシデントはあったが…)、今ここにいるのだ。

教採を通って教員やってるのと、何が違うのか。

むしろ、金もらって「教師」という仕事をやってる人間よりも、金払って、「研究」という仕事をしている私たちの方が、「搾取」されているのではないか。

だから、「学生は気楽でいいな」なんていうことは、本当は言われたくない。

しかし、多忙な教員生活をしていれば、そんな愚痴が出てくるのも仕方ないのかもしれない。

きっと、そんな皮肉をも全て受け入れることを覚悟できるということが、研究者を目指すということなのだ。

教員がそうやって愚痴をこぼすなら、私は、こうやってブログでつぶやくだけだ。


しかし、私にとって、そこらへんの悩みが整理されて、「教育原理の探求とその周辺問題の解決」という目的を掲げて、研究を仕事にしていくという目標を定めることができたことは大きい。

一時期は、頭の中がグチャグチャで、研究者もミュージシャンも目指して、あれもこれもやって…でも、時間もないから、一旦は研究を休んで…みたいなことで、ひたすらグダグダと考え続けていた。

新聞奨学生しながら音楽学校に行くなんていうことも考えて、音楽学校に見学に行ったり、新聞屋さんに見学に行ったりもした。

色んな研究会には、積極的に参加するようにしている。

そうした体験から導き出した答えが、研究者を目指して、進学して研究を続けようという答えだった。

今回の決断は、大学進学前に、周囲に反対されて音楽学校を諦めたときとは大きな違いがある。

それは、自分で調べ、自分で考え、自分で決断したということである。

色んな人から情報を集めて、色んな事情を考慮しながら、自分なりに考えて、決断したから、後悔とか余計なわだかまりがない。

だから、自信をもって進んでいける。

そういう意味で、3月に色んなところに駆けずり回った経験は、かなり意味があったように思う。

旅行とか遊びもいいけど、私には、3月の“学校・職場めぐり”は、旅行や遊びよりもかなり価値のある経験になった。


このように書くと、音楽の道を目指すのをやめたから研究者を目指すことにしたという消極的な選択のように聞こえるかもしれないが、自分にとって、研究者の道は、そういったものではない。

確かに、相対的にそういう部分はあるが、研究職は、自分にとって、適職だと思っている。

一つのことに拘って、探求していく姿勢の求められる研究者の職業は、物事をテンポ良く作業としてササッとこなしていくことが得意なタイプの人間には不向きである。

それより、その物事の本質と向き合い、じっくりと考え、粘り強く真理を探求していくことが好きな人間に向いた職業である。

私というのは、典型的な後者なわけで、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』を読んで、自分にその可能性を見出したからこそ、研究者を志望しているのである。

そうでなければ、たとえ、プロミュージシャンへの道を目指すことをやめたからといって、研究者を目指すことにはならない。

自分史的な綴り方になった関係上、研究者を目指すことへの積極的意義についてあまり深く書けなかったが、何はともあれ、そんなわけで、今年度は、修論を仕上げて、博士課程への進学を目指すことに決めた。

長くなったが、これが私のここ数年の葛藤の総括だ。

新学期、頑張っていこうと思う。

おわり。

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どんなに嫌な奴でも、楽器の上手い奴は上手い。

その上手いの質には、色んな要素があるけれど、何にせよ、音楽というのは、屈折した性格の人間にはできない技ではない。

時として、音から人間性や感情を読み取ることができるという意味では、完全に相関性がないわけではないが、人間的な感性が欠落しているからといって、音楽的な感性までもが欠落しているとは限らない。



乃木坂太郎の漫画『医龍』に登場する麻酔医の荒瀬が、腕の立つ麻酔医として患者にしこたま医療費を積ませて、その金で夜な夜な飲み散らしていたように(後に更生して、医局を背負う麻酔医に成長するというハッピーエンドがあるのだが…)、道徳的に善良と言い難く、不真面目な人間が、卓越した才能を発揮して社会的に成功を収めるということは多分にしてあり得ることだ。

ジャズのサックス奏者スタン・ゲッツにしても、幻想的な楽器の音色とは裏腹に、ドラッグ、酒、武装強盗未遂事件といった音楽的業績に泥を塗るような非行を繰り返している。

トランペッターのマイルス・デイビスだって、ジャズ界の帝王と呼ばれるほどの名奏者だが、彼特有の我の強さから人間的な善良性を汲み取ることは難しい。(音楽に対する熱い信念は、『マイルス・デイビス自叙伝』から読み取ることができるが。)



しかし、私が、最近にして思うことは、音楽に向ける情熱の傾け方という尺度すらも、サウンドの良し悪しとは、本質的に無関係なものであるということである。

もちろん、音楽に対する情熱をもっていることが、音楽的成長に結びつき、結果として高い音楽性を身につけるに至らせるということは大いにあり得る。

しかし、それは、完全な因果性を保証するものではない。

ましてや、自然科学の因果性と比べれば、てんで不確かなものである。

そこに、人間科学の難しさはあり、総合的な人間学としての教育学の面白さがあるのだが。



このように言うと、ガッカリする人もいるかもしれないが、私見では、「勤勉に一生懸命練習すること」と、「音楽が上手いこと」には、直接の因果関係はない。

「音楽が上手い」かどうかは、良いサウンドを認識できる耳をもっているかどうかにかかっている。

その上で、その良いサウンドのイメージに自分の音を近づけていく作業が、練習という行為にほかならない。

だから、一生懸命かどうかという基準よりも、頭の中に、良いサウンドのイメージがあるかどうかという基準の方が上位の基準なのである。

良いサウンドのイメージがないままに一生懸命に練習したとしても、残念ながら、「音楽が上手く」はならない。

良くないサウンドが洗練されるだけだ。



ところが、日本の精神主義的な風土の中では、そのような理屈がなかなか通じない。

とりあえず、「頑張ることが良いこと」だからだ。

その内容や基準は吟味されない。

たとえ、一日に数十分しか楽器の練習をしなくても、認識を鍛え続けていけば、その人が良い演奏家になる可能性は十分にあり得るように思う。

反対に、良いサウンドのイメージがないままに、毎日何十時間も練習しても、時間の無駄だ。



だから、私は、「ちゃんと練習しろ」という指摘が嫌いだ。

それは、その「ちゃんと」が、精神主義的な意味しかもたないからだ。



音楽の良し悪しは、良いサウンドを認識できるかどうかの感性によって決まる。

少なくとも、私は、そう考えている。

おわり。

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