いつも思うことだけれど、私の思考は、いつも内省的だ。
そういう意味で、昔から、かなりの観念論者だ。
だから、自分の思考と照らし合わせて他人と共感するという方法で他者理解をするのは得意だけれど、自分の思考にない他者の感覚に合わせさせられるのは苦手。
何事にも意味とか理由を求めてしまうから、意味や理由が見つからないと身体が動かない。
自分のアイデンティティとか、意味づけには、たぶん、今までに膨大な時間を費やしてる。
椎名林檎の「あおぞら」という曲に、「堅苦しい言葉懐かしくて 貴方は小さなモンテスキュー」なんていう歌詞があるけれど、昔の私は、「小さなモンテスキュー」だったなぁと思う。
じゃあ、今は、立派なモンテスキューに大成したかといえば、全然そんな気はしないのだけれど…笑
そんなことを考えながら、ふと、久しぶりに高校時代を振り返っていたら、なんだか、当時思っていたことを書いてみたくなった。
長くなるかもしれないが、書いてみようと思う。
しかし、もうあまり覚えていないことも多い。
当時の自分や友人が言った言葉とか、何か大きなことがあったときの日付けとか、そういう細かいことに関しては、ほとんど覚えていない。
楽しかったとか、つらかったとか、あのときはあんなことを考えてたということとか、そういう記憶は、わりと覚えているけれど。
自分が何を考えていたかは、一日単位では思い出せないけれど、一年単位、三年単位で思い出せば、よく思い出せる。
高校生活は、大嫌いだった中学校から脱却できたことの安堵感と、全く新しい環境に身を置くことの不安感で始まった。
中学校時代の私は、家庭でも学校でも「問題」を抱えた「問題児」だった。
当時は認めたくなくて強がっていたけれど、今思えば、「問題」はたくさんあった。
家庭内では兄からの暴力をたくさん受けたし、学校では集団に上手く溶け込めなかった。
とにかく頑固で、自分で何かを決めたら、誰が何と言おうと絶対に動かない子だったから、人間関係は、どこに行ってもなかなか上手くいかなかった。
今でも、わりと頑固なところはあるけれど、人と対話ができるようになってからは(まともに対話ができるようになったのは、わりと最近なのかもしれない)、人間関係で困るということはない。
家族関係のしがらみからとりあえずは解放されたことや、余計なプライドを捨てることができたこと、物事を何でも悲観的にみる癖を克服できたこと、そんなことも関係しているように思う。
今だからこそ、こうして俯瞰的にみれるけれど、中学生のときには、そんな視点でみれたはずもなくて、とにかく、目の前の現実と格闘して、苦しみながら、悩みながら、過ごしていた。
だから、高校生活の初めは、色んなコンプレックスを抱えていた。
自分では、強がって絶対に認めようとしなかったけれど、当時の自分は、かなり弱っていたし、屈折していたし、偏っていたし、自信もなかった。
そんな状態から高校生活は始まった。
けれど、高校一年生のときのクラスは、良いクラスだった。
周囲の人が自分を認めてくれた気がして、嬉しかった。
おまけに、中学三年生のときから頑張り始めた「勉強」に芽が出て来て、良い成績がとれるようになった。
中学校時代に、勉強はできても人間的にロクデモナイと思うような人間をたくさんみてきたから、周りの友人よりも「勉強」ができるからといって自分は優れた人間だなんて思いたくはなかったし、思ってもいなかったけれど、でも、「頭良い」と言われて悪い気はしなかった。
副室長という役職をしたことも、大きかったように思う。
一年生のときは、楽しかった思い出が多い。
とにかく、クラスのみんなが良い人だったから。
でも、自分のことを思い出してみると、後悔も多い。
当時の自分はキリスト教信仰をもっていたが、笑われたり、馬鹿にされたりしたかつての経験から、そのことはずっと隠していた。
「敬虔な」クリスチャンだったから、徹底してキリスト教道徳を守っていた。
「かつてはクリスチャンだった」と、他人に語れるようになったのは最近のことだ。
クリスチャンだったときは、とても、教会の外で、「自分はクリスチャンです」と公表することができなかった。
大学生になって、教会に通うのをやめてからも、キリスト教関係のことは、口に出さないようにしていた。
今では、こうして、かつてクリスチャンであったことを語れるが、こうなるまでには、かなりの時間がかかった。(しかし、教会でお世話になった方々の前で、「自分はクリスチャンではない」と言うことは、今でもできないと思う…。)
高校生の頃のことで一番後悔していることは、恋愛のことだ。
昔から惚れやすい人間だから、すぐに女の子のことが好きになった。
けれど、キリスト教道徳は、男女関係に厳しい。
今思えば、キリスト教道徳をどう解釈するかで、“どこまでで線引き”するかは難しい問題だが、当時の自分は、恋愛もダメだと思っていた。
自分は人を「好きになってはいけない」ぐらいに思っていた。
だから、女の子を好きになってしまうと、ただ苦しかった。
キリスト教道徳というのは、マゾヒズム的なところがあるから、その苦しみに耐えることが自分の成長につながるみたいなことを、本気で信じていた。
今思えばアホな話なのだけれど、当時は、そんなキリスト教道徳と自分の気持ちとの狭間で、ずっと一人で格闘していた。
元々、モテる顔やパーソナリティではなくて、さらに、今でもわりとそうだが、当時からファッションには全然興味がなかったから、恋愛にコンプレックスも感じていた。
そして、学校では、「良い子」してたから(後に書くように、二年生以降の学校の出席率の低さは「不良」レベルだったけれど…笑)、「不純異性交遊」する勇気もなかったし(今では、「不純異性交遊」ほど奇妙な規制もないと思っているが…)、クラスの周りの目とかもかなり気にしていたから、なおさらダメだった。
そんなわけで、全然、恋愛できなかった。
本当にアホだけれど、私は、ずっと、一人で葛藤に苛まれながら、日々を過ごしていた。
だから、人に相談することの大事さは、大学に入ってから学んだ。
クリスチャン家庭に育って内面化したキリスト教道徳の影響は、なんだかんだで、大学4年ぐらいまで引きずってたから、大学でも、素直に恋愛できなかった。
そんなこんなで今まできてしまったから、恋愛面は、全然ダメに育ってしまった。
高校二年生になると、いきなり人間関係がうまくいかなくなった。
というより、クラスが好きになれなかった。
楽しくなかった。
学校も、休みがちになった。
というより、基本的に、私は、中学校まで、まともに学校に通えたことがなかったから、どちらかというと、高校一年生のときに、毎日学校に通えたことの方が、レアなことだったのだけれど。(それだけ、一年生のときのクラスは楽しかったっていうことなのかな。)
二年生のときのことは、正直、それくらいしか覚えていない。
とにかく、早く時が流れてほしいと思っていた。
この一年間が早く終わってほしいと、そればかり思っていた。
時間が長く感じだ。
このつまらない時間は無限に続くのではないかと思った。
無断欠席して、何度も先生に怒られた。
何で無断欠席だったかというと、当時は、こんな理由、恥ずかしくて言えなかったのだが、毎回、休む電話を入れる度に嫌な対応をされるのが怖かったからだ。
実際のところどう思われていたかは分からないから、もしかしたら、被害妄想かもしれないのだが、学校事務の電話対応の人に、あからさまに嫌そうな対応をされて、それが、当時の自分には、とにかく怖かった。
それで、いつも、次の日に学校に行くと、担任に怒られた。
とりあえず、毎日は、その繰り返しだった。
一年生の頃の私を知っている人は、いわゆる「優等生」だった私が、いきなり「半不登校状態」(といえるほど休んだかどうかは定かではないが)になったから、驚いただろう。
一年生の頃にお世話になった担任の先生には、「お前の評価は地に落ちた~」なんて言われた。
まあ、私としては、一年生の頃の方が例外的で、またそれまでの生活に逆戻りという感じだったから、そう言われてもなぁ…という感じだったのだが。
なぜ、休みが多かったかといえば、それは、単純に「朝起きれない」からなのだが。
「朝起きれない」人間の存在というのは、一般的にはなかなか理解してもらえない。
低血圧なのか、何なのか、自分でもよく分かっていないのだが、とにかく、文字通り、「朝起きることができない」のだ。
原因も分からないし、その状態を言葉で表すこともできないから、それ以上の説明ができない。
それを、自分のなかでは、「サボり」ではないと思っているのだが、世間一般からみると、「朝起きれない」ことで学校を休むことは、「サボり」なのだ。
それで、説明もできないから、学校には電話できなくて、ただ、「どうしよう、どうしよう」と戸惑って一日が過ぎていくという日が何度もあった。
とにかく、高校二年生の一年間は、早く終わってほしかった。
つまんなかったから、体感としては、かなり長い一年間だった。
高校三年生になると、受験勉強を始めた。
すると、人間関係なんてどうでもよくなった。
それで、逆に気が楽になった。
だから、教育学部にいると、「受験戦争」の弊害みたいなことを言う言説によく出会うのだけれど、自分には、一概に受け入れられない面がある。
自分にとっては、「受験勉強」が、煩わしい悩みから解放してくれたという一面があるからだ。
この実感が、だいぶ歪んだ解釈であることは、自分でも分かっているが。
高校三年生は、初めてライブをした年でもある。
当時の歌の先生の開いているお店で、ライブをさせてもらった。
まぁ、エリート音楽教育を受けたわけでもない高校三年生が、自分たちでつくった曲を披露したわけで、内容としては、かなりひどいものだったのだが…。
とりあえず、かなり緊張したことを覚えている。
何にせよ、良い思い出だ。
あの頃と比べれば、大学で音楽サークルに入って、レッスンの先生にもついて、自分の音楽もだいぶ上達したように思う。
ともに苦悩した友人や、懇切丁寧に教えてくれたレッスンの先生のおかげだ。
ライブが終わってからは、ひたすら勉強の日々だった。
受験勉強のことは、なんとなく覚えている。
長期休暇の楽しい古典特訓(S先生チョイスの「キワドイ」古典を読んだ記憶が懐かしい…)、初めて日本史が面白いと感じたM先生の選択日本史、塾でお世話になった英語・現代文・数学、Y先生がよく面倒みてくれたけど、本当は、O先生の説明の方が分かりやすくて、いつもO先生狙いで質問に行った生物、センターまであと一ヶ月になってからY先生のところに駆け込んで質問しまくってたくさん迷惑かけた現代社会、そして、センター後のN先生にみてもらった英語…全部、今となっては良い思い出。
というより、ずっと学校嫌いで、自分は塾との出会いで変わったという自己認識をもっていることから、自分には学校蔑視感情が根付いてしまっているのだが、こうして改めてみてみると、私はかなり学校にお世話になったんだなと感じる。
自分は、そんな高校時代の三年間を送ったと思っている。
もうこんなに書いたから、気づいたら朝9時…もう寝よう。
久々に思い出して、つい長々と語ってしまった。
それにしても…普段から活字に慣れてない人にとっては、このブログ、完全に読む気失せるレベルの文字数だよな。
最後まで読んでくれた人、いたら、ありがとう。
おわり。
…これも、過去のブログ発掘。
なかなかすごいこと書いてんな。
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