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軽きに泣きて三歩歩まずのこころ

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高山正之さんの「変見自在 朝日は今日も腹黒い」(新潮社、2016年)の中に
『“あの国”で金儲けを企むのはお止めなさい』という見出しの一文がある(p. 91)。
私はこの文章を読んで、あり得ないことがなされたことに目や耳を塞ぎたくなり、
その場で本を閉じてしまった。それでも激しい動揺が残り、とても落ち着いて
いられなくなった。怒りで血が頭に上り、ある対象に限りない嫌悪感を抱いたのである。

その部分を冒頭から引用しよう。

<引用開始>

 弘法大師が高野山に密教道場を開いてから今年が1200年目に当たる。

 一日、南海電車からケーブルカーに乗り換え、伽藍を巡り、奥の院を訪ねた。細道の両側には戦国の英雄たちの墓標が並んで、さながら講談本の世界だった。

 その日は当地で一、ニを競う宿坊のお世話になった。応接の間には骨太の見事な筆になる般若心経の額がかかっていた。落款は「登紀子」とあった。

 聞けば、あの「日本と聞くと腐臭を覚える」とか言った加藤登紀子本人の筆だった。その筆運びを見ると彼女も何とか真人間に戻ったことが判る。

 宿坊の佇まいも素晴らしかった。とくに鬱蒼とした森を背景に千古を香らせる庭がいい。外人には評判という足立美術館のそれとはゆかしさが違う。

 宿坊もそれを意識して一ころ外人客を入れましたと女将が語って、涙ぐんだ。

 外人客に中国人が混じっていた。早立ちした彼らを見送って部屋の片づけに行って「卒倒しました。」トイレの中から客室の壁、床の間の掛け軸から夜具に至るまで人糞がべっとりと擦り付けられていた。

 壁を塗り替え、布団は全部焼却して、以後、中国人は「すべてお断りしています」とのことだった。

<引用終わり>

ここまで読んで私は読み続けることができなくなってしまったのである。
こうした行為のあまりの汚さ、あまりの穢らわしさに本を読み続ける冷静さをしばらく失ってしまったのだ。これではまるで、遠藤誉の「卡子」と同じではないか、と思った。そうしたら、思いは同じであったのか、実は高山さんも次の文章でそのことに
言及していた。

<引用開始>

 この話は遠藤誉の『卡子(チャーズ)』の一場面を思い出させる。彼女の父は満州の新京で製薬会社をやっていた。終戦後、八路(パーロ)がこの近代都市になだれ込んできた。「中国人」の上に「共産党員」だ。街はたちまち破壊され、廃墟になっていった。

 彼女の家にもぼろを着た八路が来て泊まっていった。翌朝、彼らは家人の服に勝手に着替え、食べ物を浚っていった。

 彼らが寝た「緞子の布団は大便で汚され、姉の琴もわざわざ壊していった」。

<引用終わり>

遠藤誉の「卡子」には、高山さんが紹介するのに憚ったとさえ思われるような
言語に絶する汚穢の限りを尽くした人民解放軍の行状が記されている。
彼女の母や家族が泣きながら汚物の始末をするのだが、読んでいて憤懣やる方ない
部分である。中国人とは、高野山における悪辣な汚穢所業が特別なものではなく、
そういう根性が民族全体にあまねく染み付いている人種だと言うしかない。
高山さんは「美しいものは汚さねば気が済まない民族性による」と断じているが、
私にはそれくらいでは済まされない高野山にまつわる思い出がある。その思い出は
取り返しのつかない切ないものだっただけに、このようなことを平気でやりのけて、
しかもこそこそと逃げていった中国人を私は決して許すことができない。

人によっては、この卑劣で汚穢な行為は特別な中国人がやったことで、
中国人一般が悪いわけではない、と弁解するかもしれないが、それならこの事件
に対して中国人一般が、あるいは国が代表して謝罪すればよい。そういうことは
一切しないし、報道で取り上げられることもない。こういうことをする民族を

呼ぶのに、中国人という名前は立派すぎるような気がする。支那人が、と言った

ほうがしっくりくるように思う。私は、このような支那人が決して許せない。