さすがSS1の国語の先生!…なのだが
こぐまのクラスの国語の先生のことは以前に記事にしました。
あれからも、なるべく国語はオンライン受講にして私も仕事&家事を並行してこなしつつこぐまをサポートしています(忙しい![]()
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滑舌の良さ、間の使い方、メリハリのつけ方、雑談の挟み方などパーフェクトの一言![]()
。私も普段の仕事で早速マネさせてもらっています(笑
そして、板書授業、教えたいことを本文を使って実演するといった特徴は浜学園講師にとってもおなじみのスタイル。安心してこぐまを任せられます。
…が、一つどうしてもモヤモヤすることが。
なんで「文章」を「教えない」のか?
それは、ここにも書いた、国語を教える際のアプローチの違いです。
たとえば先日の授業。小5予習シリーズ第3回の基本問題で、田中真知の「美しいをさがす旅にでよう」という論説文を扱いました。
認識や知覚といった一見普遍的に見える世界の「見え方」すら、実は遺伝的プログラム、文化や環境といった約束事に左右されているという内容で、言語論や文化論のイントロダクションともいうべき味わい深い文章です。
浜学園講師なら、これは内容理解に重点を置くべき文章として、設問は最悪扱わず、ひたすら中身を語る講師が多いと思います。
というか、私なら絶対そうします。
設問を解いてその解法パターンを覚えるのも大事ですが、この手の認識論、言語論、文化論は入試頻出テーマなのはもちろん、子供たちの思考力の成長=人間的成長に欠かせないものです。その成長を手助けするのが、国語科講師の使命であると私は信じています。
しかし、早稲アカの先生の授業は文章の中身にはほぼ触れず、設問パターンごとの解法と実演ばかり。(小4のときの先生も同様でしたから、これが早稲アカの教え方なのだと思います。)
なんでこんな良い文章を教えへんねん![]()
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!!!読ませへんねん![]()
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!!!
と思わず関西弁でつっこんでしまうくま先生(親塾モードになると昔の血が騒ぎ関西弁になる)。
入試国語は「解読」して解くのか「読解」して解くのか?
早稲アカの国語の教え方は、「読解」というより「解読」です。まず設問の構造を分析(解読)し、解き方を本文に当てはめ、接続語や相当対比表現に注目して機械的に解く方法です。
これに対し浜学園の国語の教え方は、「解読」ではなく「読解」です。まず本文を「読」み、味わった上で問題を「解」きます。(解く際のプロセスは似たようなものです。)
確かに関東の入試は、関西に比べて国語の難易度が高く、長くて難しい問題が多いように見えます。これを限られた試験時間内で攻略するには、読む時間を削り、ひたすら設問を解読して効率的に解く早稲アカ方式の方が理にかなっているのかもしれません。
しかし、それでよいのか?
しかし、本当にそれでよいのでしょうか?
変わるべきはこの先生の授業というより、そのような授業をせざるを得なくなる、ムダに難しすぎる入試国語の方かもしれませんが、こんな解法だけ覚えて点数をとれるようになっても、文章の中身を自分の教養として吸収しないと何の意味もないとくま先生は思うのです。
私が師とあおぐ先生方も、私がなぜ彼らを好きになったかといえば、彼らの分かりやすい解説を通して、筆者(多くは著名な文筆家)の展開する論理の奥深さや、人間の叡智の奥深さを知り、それに感動したことが大きかったと思います。これこそ受験勉強で得られる成長だと思うのです。
こうなったら仕方ない
…とまあ、いくら嘆いても早稲アカの授業スタイルは変わらないでしょうから仕方ありません
。ここはくま先生の親塾でいくしかありません。
幸い論説文についてはしっかり理解できているこぐま。(後日記事にしますが、国語が苦手というより実は物語文が全く読めないだけなのです。)手始めにこちらを一緒に読むことにしました。くま先生が出す問題は最小限にし、とにかく文章を味わうことが目的です。
読むのはこれ。文化論と言語論という入試頻出の重要トピックについて、その関わりまで学べるという古典的名著です。この本自体が自体入試にも繰り返し出されていますね。
一日数ページ程度、たくさん線を引きながら、少しずつこの文章の美しさ、奥深さを味わってもらったらと思っています。
※線を引くべきところはこちらを参照




