毎年夏には東北を訪れていますが、今回はクリスマスイベントに合わせて東北に行って来ました。
出掛けたのは東松島市。
クリスマスイベント 「サンタをさがせ!」
街中に百人のサンタが出没。
ビンゴカードを持った子供達がサンタを探してナンバースタンプを押して貰います。
ビンゴになると景品が貰えます。
サンタを探した後はホールに親子が集まってステージショーがあり、そのショーに出演するというのが今回の目的です。
イベントの5日前に出演の依頼があり、急遽他の予定を変更して東松島市に行く事にしました。
その理由は、東松島市は今年の夏にイベントで訪れた事があったので、もう一度行ってみたいと思ったからです。
そして、もう1つの理由は、行ったついでに石巻市北上町の『にっこりサンパーク仮設住宅』に立ち寄ってみたかったからです。
以前に石巻市を訪れた知り合いが付き合ってくれて、2人で出掛ける事にしました。
12/2(金)に岐阜県を出発。
日本海周りで、富山県、新潟県から福島県に入りました。
移動に10時間以上掛かりました。
宿泊は東松島市野蒜地区にある旧野蒜小学校校舎。
ここは津波の被害に遭い、別の場所に新校舎が建ち、現在はボランティアグループの方達の宿泊場所になっていました。
校舎の中を見ると1階の壁に浸水した跡が残っていて、天井近くまで水が浸かった事が分かりました。
震災の日、体育館が避難所になっていて、こども達や地域の方達が体育館に避難されていました。
津波の心配もありましたが、チリ地震の時もここまでは津波が来なかったという経験から体育館に留まっていました。
そこへ、津波がやって来て、急いでギャラリーに上った人達は助かりましたが、フロアに残った人たちは津波の犠牲になって亡くなられました。
校舎は三階建てで、校舎の二階以上に避難していれば津波の被害から逃れる事ができました。
その事で裁判にもなったそうです。
夜は翌日のイベントに備えて仕込みをしました。
12/3(土) イベント 「サンタをさがせ」
12月というのに暖かい陽気になりました。
震災の年から始まり、今回で6回目。
スタッフの方からこんなに暖かい日は初めてという言葉。
いい時に来れて良かったです。
こども達は元気にサンタを探し回っていました。
街の至る所にサンタが百人も居るのです。
サンタを探す時間に私は「ボケモンGO」をやって、こども達と遊びました。
モンスターボールがうまく入ればピカチュウがゲットできます。
こども達は喜んでチャレンジしてくれました。
一緒に写真を撮ってくれるこどもも居ました。
さて、いよいよショータイム。
カメラ男で登場して、ラジオ体操、マジック、サイコロ、なごり雪、心の旅。
お父さんと一緒に「トーマス」で盛り上がりました。
もう一人の芸人さん「ジーニー」さんもご一緒でした。
関西のノリでこども達を盛り上げていました。
まずは関係者と記念写真。
スタッフみんなで記念写真。
最後に電飾の点灯式があり、楽しい一日を過ごす事ができました。
そして、その夜は石巻市のにっこり仮設住宅へ移動。
まだまだ仮設暮らしの方達は大勢いらっしゃいます。
仮設から車で10分程の場所にある「追分温泉」でお湯に浸かった後、仮設住宅の集会所で夕食。
仮設で暮らす北上のシンガーソングライター「渋谷修二」さんとの再会を祝って乾杯。
この仮設に来るのはこれで4回目。
居心地の良い場所になりました。
12/4(日) 石巻市北上町で一日のんびりと
10時におばあちゃん達が毎日ラジオ体操をしているので、ラジオ体操の後にパフォーマンスをしました。
前日と同じく暖かい日で、表でベンチに座って見て貰いました。
以前にも出会った方達も居て、何回も来る事でお互いの距離が近付いて行くのを感じました。
その後は近くのスーパーへ買い物に出掛けたり、コインランドリーで洗濯をしたり、こども達と遊んだり、昼寝をしたりと、旅先で日常の生活を楽しみました。
こうした事ができるのも仮設住宅に何回も来ているからです。
夜は追分温泉に行き、温泉に浸かった後、休憩所でパフォーマンス。
修ちゃん(渋谷修二さん)の歌と私の芸を温泉客の方達に楽しんで頂きました。
修ちゃんは建築設計士で追分温泉の建物を設計しました。
そのお蔭で追分温泉とは深い関わりがあります。
温泉でパフォーマンスができるのも修ちゃんのお蔭です。
修ちゃんのお蔭で楽しい一日を過ごす事ができました。
追分温泉のお風呂場。
楽しんでくれた家族の皆さんと記念写真。
こうして追分温泉に行けるのも石巻に来る楽しみの一つです。
12/5(月) 仮設住宅を出発。
岐阜県に戻る為に、朝、修ちゃん家族に別れを告げて仮設住宅を出ました。
仮設から車で5分程走った所に旧大川小学校があります。
帰路に着く前に大川小学校に立ち寄りました。
仮設を訪れた時は大川小に立ち寄って手を合わせるようにしています。
建物は1階建てです。
地震の後、学校に留まって多くの命が亡くなりました。
学校は海岸からは離れていますが、北上川のすぐそばです。
津波が川を上って来て、堤防を越えて襲って来ました。
大川小は北上川の右岸にあります。
海岸から同じような距離に、左岸にも別の学校がありましたが、左岸は被害が少なくて済みました。学校のすぐ裏が山です。山に登っていれば津波から逃れる事はできました。
学校の避難の仕方について裁判になりました。
震災当日、校長先生は出張でした。
チリ地震で津波が来なかったので、ここまでは津波は来ないだろうという判断がありました。
生徒だけでなく、地域の方達も大勢亡くなられました。
学校の周りの建物は全て取り壊され、校舎だけ当時のままポツンと残されています。
校舎を残すか、取り壊すか。意見も分かれていますが、しばらくは現状のままです。
大川小学校を後にして、帰路に着きました。
帰りは関東経由で栃木県、群馬県を通って長野県に入り、安房トンネルを通って岐阜県に戻って来ました。
夜10時に自宅到着。
三泊四日の東北の旅。
走行距離は1477キロ。