アニメーション映画「我々は宇宙人」エンドロール中に叫びたくなり、誰もいなくなるまでメソメソ泣いた
ずっと楽しみに待っていた日本の長篇アニメーション映画「我々は宇宙人」を、公開初日に観に行ってきました。
エンドロール中に、立ち上がって「じゃーね!」と叫びたくなりました。
だけど、そんなことができるはずもなく、誰もいなくなってもずっとメソメソと泣くことだけしかできない、ぼくは情けない「人間」でした。
新宿マルイアネックス館(バルト9の入っている館)の7Fで、特別展示も開催されており、企画書や絵コンテやビデオコンテなどなどを見ることができる大変貴重な勉強になる展示なので必見です。
企画書に大きく掲げられていた言葉がすごく印象的で、心に残っています。
それは「全ての人類の人生を肯定する」でした。
<ここからネタバレを少し含みます>
傘をひっくり返したり、それに失敗して傘を壊して叱られたり、部屋の蛍光灯の長い紐をフーっと吹いたり、扇風機に向かって喋って変な声を出したり、もう忘れかけていた子供の頃の記憶が鮮明に蘇り、それは楽しかった記憶だけじゃなく、思い出したくない最悪の記憶の数々もスクリーンに映し出され、それが数分とかなら耐えられもしますが、2時間近く延々と強制的に見せられるという拷問にかけられ、発狂しそうになりました。
そして、「チルド」や「VOID」といった、ホラーとアニメーションの「NOTHING NEW」の作品だったことを思い出しました。
イノセントでエモーショナルであるということが、こんなにも過酷で、こんなにも残酷だとは・・・
小学生のあの時、友達だったのに、突然唐突に、無表情で、いきなりドッジボールを至近距離でおもいっきり顔面にぶつけてきた平〇くんは、今どうしているんだろう・・・
おかげで今でもずっと、よく鼻血がでるよ。
本当にまるで「宇宙人」のようで、彼のことが何もわからなかった。
好きだったあの子のことを、いつまでも引きずる心のわだかまりに決別をするべきだと、僕も「じゃーね!」と叫びたかった。
そんな、心の深い闇をスクリーンに映し出し、ものすごく不器用に、魂の解放を手助けしようとしてくれている映画でした。
だけど、ものすごく不器用だから、おそらくほとんどの人は解放されないでしょう・・・
露わにされてしまった傷口をむき出しのままオロオロとしたり、あるいはメソメソと座席から立たなければならないでしょう・・・子供時代の、あの頃のように・・・
あとは、自分の力で切り開くしかないです。映画館の重たい出口の扉を、自分の手で開いて・・・
本当は観客全員が、エンドロール中に立ち上がって「じゃーね!」とみんなで叫ぶべきなんだと思います・・・
でも僕らは、互いを分かり合うことのできない「宇宙人」だから、一人で心の中で叫ぶしかないんです・・・
じゃーね・・・

