映画「落下音」感想。 人生の中で、一番好きな映画かもしれません。
カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した
マーシャ・シリンスキ監督のドイツ映画『落下音』を、映画館で鑑賞してきました。
人生の中で、一番好きな映画かもしれません。
以下は、感想レビューとなります。
言われるように難解な映画だとは僕は思いませんでした。
東ドイツの歴史だとか、人物相関図だとか一切知っておく必要もなく、考えるのではなく、感じるままに観れば良い、必見の映画です。
自然光を活かしたり、ピンホールカメラを使用したり、人物配置の構図や長回しなど、こだわりぬいた映像美はレンブラント絵画のようでもあり、かと言ってキューブリックの「バリー・リンドン」ほど様式的でもなく、タルコフスキーの「ノスタルジア」ほど詩的でもなく、生っぽい視線がまとわりついてくる、言葉で形容しがたい監督独自の感性が瑞々しく冴えわたっています。
音の感性も、とても心の奥底に響き、鑑賞後も残響として感覚が残り続けています。
台詞は少なく、その1つ1つが忘れられない、示唆に富んだものでした。
映画の中の「労災」という言葉が指し示すように、言葉はカテゴライズして安心を得るためのものでしかなく、1つ1つの事案ごとにしっかりと見つめないといけない。
聞きたくない言葉、見たくない人の暗部、少女たちの視線を借りて突きつけられるようです。
「記録」ではなく「記憶」を映像化する監督のこだわりは、心の想いを大切にされている優しさだと感じました。
私はこの映画を観て、自分自身が心に蓋をしていた、子供の頃の記憶がいくつも蘇りました。
わざと立ち止まって、母とお友達がいつまで自分に気がつかないで、楽しくお喋りして歩いていってしまうかを試し、ずっと遠くなるまで気がつかれなくて辛くなったことや、死のうと思って何度も死ぬことを想像したこと。
可愛い女の子の服はサイズが合わなくて、横たわった身体の上にのせられて、心が辛くなって歌っていたら黙っているように言われ、嫌われたくないから従って。
高い声で喋るのを気に入られ、ずっとその声を出すように言われ、好かれたいから従って。
それは1910年代でなくても、東ドイツでなくても、少女でなくても、どの時代のどこの場所でも起こっている子供の頃の記憶の数々です。
そうしたことを見つめなおさせてくれて、優しく包み込んでくれて、乗り越えさせてくれる映画でした。
ラストシーンには解放感を感じました。
ずっと観ていたい、これからも何度も観たい映画です。
マーシャ・シリンスキ監督が、
「落下音」を作る上で影響を受けた映画はなく、
フランチェスカ・ウッドマンに影響を受けたとインタビューで語られていて、
とても気になり手に入れた次第です。
アメリカの写真界の草分け、
フランチェスカ・ウッドマン。
ひじょうに強い感銘を受けました。
もっと早く、若い頃に知っておきたかったとさえ思いました。
「落下音」を気に入った方はぜひ、
フランチェスカ・ウッドマンの写真もご覧になられることをお薦めいたします。


