徳川家14代将軍家茂公と、皇女和宮親子内親王様の純愛。
勝海舟は「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれぬ。武勇にも優れていた人物であった」と賞賛し、訃報に接した際は悲嘆のあまり、日記に「徳川家、今日滅ぶ」と記したほどであった。晩年は家茂の名を聞いただけで、激動の時代に重責を背負わされた家茂の生涯に「お気の毒の人なりし」と言って目に涙を浮かべたという。
家茂公は名君だったんだねぇ。
そして、、、勝海舟かぁ♪
幼少の頃は風流を好み、池の魚や籠の鳥を可愛がるのを楽しみとしていたが、13歳で将軍として元服してからは、文武両道を修めるように努めた。ささやかな楽しみすら捨て、良い将軍であろうと心がけていた姿は幕臣達を没後も感激させたという。
くぅ。
泣かせるねぇ。
和宮とは政略結婚ではあったが、二人の関係は良好であったという。家茂は和宮以外の女性を傍に置こうとしなかったため、側室は一人もいなかった。家茂は和宮を心から愛していたのもあって、少しでも時間ができれば和宮と雑談を交わし、かんざしや金魚などを贈っていた。和宮も家茂が好きな茶菓子をよく差し入れたりと細やかな気配りを欠かさなかった。その夫婦関係の良さは、和宮の側近が仲睦まじい二人のことを日記に記していたほどであった。
いい話だなぁ(涙)
今宵はお二人の御霊に盃を捧げよう。
絵師の1人として、お二人を描かせていただくこととなったこと、より多くの大衆に、お二人の素晴らしさを広めるお役にたちたいと、どうぞ岐阜の銘酒をお飲みくださいと祈らせていただきました。
政府は葬儀を神式で行う予定であったが、和宮の「家茂の側に葬って欲しい」との遺言を尊重する形で、仏式で行われた。墓所は家茂と同じ東京都港区の増上寺。
くぅ(涙)
増上寺にお参りに行きたいなぁ。。。