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The passenger of life

人生という小さな小舟に乗りこんだたった一人の乗客。行き先を決めて進むのは自分。僕は人生をどこに向かわせるのか。流れにまかせるのか必死に舵をきるのか。さあ、どうなる?自分。

全然ブログの更新をしていないことに気づきました。

いやはや、もう7月も終わっちゃうよ。

なんか書きたいなあ・・・と思ったけど、何を書いていいやら。

なので、思い付くまま書こうと思います。



最近、思うことがありまして。

それは、少し成長したなと思った次の瞬間にはまたまだダメだなぁと感じるということが多いということ。

まあ、当然といえば当然のことではある。



考え方が変わって、少しは配慮の行き届いた対応ができるようになったと思えば、その対応がまったくダメダメだったりとか。

なにが正しいとかではないけど、考え方が変わったくらいでは足りないんだなと思うんだ。

もっと根本的な部分で変革が必要で、それは変化じゃなくて変革なんだということ。



例えば、空の絵を描いていて、憂いや哀愁を表現したかったら青空を描いてちゃ足りないよね。

どんなにそこにアイテムを追加しても、結局伝わらない。

根本的なところを変える必要がある。

だから、夕空にすればいいんだけど、青空を書いていると、なぜかそれに気づけなかったりする。

そこには意地とかプライドがあるのかもしれないけど、とにかく青空にこだわってしまう。

あとは夕空を描くという技術を持っていないからという理由もあるかも。

どちらも根本的な部分、スタートの時点からベクトルが間違っているんだよな。



なんかね、こういうことが多いなと思うんだ。

経験とか、知識とかも必要だけど、最初の一歩をどこに踏み出すかの判断が大切なんだろうなと。

それには最小限の準備だけで済むはずで、複雑なロジックだとか、豊富な経験とかは要らない。

たどりつくところ、シンプルに思考ができるかどうか。

それに尽きる。



日常をいかにシンプルに捉えるか。

それを可能にするには日常に変化を与えるとか、考え方を変えるとかじゃちょっと物足りないのかも。

意識に変革というか、ざっくりと大胆なものが必要なのかもしれない。

それが具体的にどういうものなのかはわからないんだけどね・・・。




でも、そういうものを探していたり、チャレンジしたりしながら生きているのと、面倒っちいからなんもしないのとでは、得られるものに雲泥の差があるのではないかと思う。

やはり、薄く生きるよりは濃く生きたい。

どうすればいいのかはわからないけど、色々と試しながらがんばってみようと思う。



と、書き終わるころには日付が変わっているという・・・。

あ、さらにもう8月ではないか。




実は一昨日から仕事の休憩中にこの記事を書いていました。

今は帰りの電車の中。

ようやく書きあがりました。



まとまってないし、文章の構成もめちゃくちゃだけど、やはり文章を書くのは楽しいです。

なるべくブログは頻繁に更新したいと思います。
すごく久しぶりにブログを書きます。

まずはご報告からかな。



7月7日に司法書士試験を受験してきました。

自己採点の結果は合格ラインには及ばずでした。

やはり甘くないですね。

わかってはいることだけど難しい。



昨年は全てを注いで試験に臨みました。

今回は普通に生活しながらの受験。

勉強時間は足りなかったけど、それでも成長を実感できました。

簡単には合格できないことを痛感しつつも、合格は不可能ではないことも感じることができました。



今回の試験に限らずだけど、続けること、重ねることは確実に力になるのだと思います。

努力を実らせなければ意味はないけど、努力をしなければ絶対に実らない。

これからも積み重ねていくしかありません。



それと最近、時間と年齢の感じ方が変わってきました。

先日までは35歳までには結果を出さなければ・・・と、受験だけではなく様々なことに対する区切りみたいなものを作っていました。

これは必要なものだったのかもしれないし、気にするものでもなかったのかもしれません。



今思うのは、その区切りの向こうにも、今と変わらない可能性がまだまだあるということです。

そこを越えたら全てが終わるわけではないんですよね。

ただ、目標に向かう覚悟としては区切りを決めるのは間違ってなかったと思います。



考え方が変わったのは、その覚悟は一生続くものだということに気づいたからです。

自分の目標は試験に合格することではなくて、その後に続く人生のあり方であることに意識が向きました。



試験には必ず合格してみせます。

それは絶対です。

でもそれは入口なんだなと。



夢見る少年ではいられないけど、希望や目標をたくさん抱きながら生きることは、いたって普通なんじゃないか。

そう思うのです。



自分がいかに今までたくさんのことに諦めてきたのかを感じています。

それはある意味、怠惰だったり、勇気が無かったり、単なる逃げだったり。

区切りをつけるということも、こんなに苦しい毎日はもううんざりだ・・・という気持ちが無かったわけではないです。

どこか逃げの姿勢があった気がします。



自分の能力に限界を感じるけど、のびしろがあることも感じる。

やればできる。

要はやるのかやらないのか。



時間に限りはあるけど、そこで何をするかということを制限するものはない。

年齢は確実に重なっていくけど、何かを諦める理由にはまったくならない。



ここにきて、ようやくそんな風に思えるようになり、気持ちがふわっと軽くなった気がします。

自分を縛るものは多くても、すごく自由であることを感じています。





今年の試験日は7月7日です。

昨年の勉強時間に比べると、量的な部分で少なくなってしまった面は否めません。

そして質的な面においても、自信があるという段階には到達できていません。



受験に臨む際に、自信に溢れていることなんて、ほとんどありえないわけですが、なんとかなるかもしれないという希望にすべてをかけるわけです。

今回の試験も、その「なんとかなるかもしれない」だけはあります。

その気持ちだけはしっかりと持つことができています。



今の僕の職場は司法書士事務所です。

先ほども最前線で働く書士さんと話をしてきました。

その方もかなり苦労して試験に合格されたそうです。

4度目の試験で合格されたとのことでした。



試験を受けた回数がすべてではないけど、僕はまだ実質2回目です。

なんだかね、そう考えると少し肩の力が抜ける気がしてきます。

そしてね、それだけ難しいものなんだと思い直しました。

でも、だからこそ人生をかけて挑戦できるのだと思います。



残りわずかな時間。

出来ることを出来るだけやっていこうと思います。



やっぱりね、エゴとかキレイゴトなのかもしれないけど、人の役に立ててるって実感がないと、生きてるって気がしないんだ。

だから、この挑戦は自分自身ためにしてるんだと思う。

誰かの役に立ちたい。

人生最大のワガママだ。