誰かの痛み | The passenger of life

The passenger of life

人生という小さな小舟に乗りこんだたった一人の乗客。行き先を決めて進むのは自分。僕は人生をどこに向かわせるのか。流れにまかせるのか必死に舵をきるのか。さあ、どうなる?自分。

$どうでもいいですよ(前向き)


いい迷惑なのかもしれないけど、大切に想っている人が傷ついたり、少し下を向いてしまっていると、その心を探ってしまう。

どんな気持ちでいるのか、なにがあってそうなったのか。



それを考えたからと言って、僕になにができるわけでもない。



手放しで、ただ「大丈夫だよ!!」とは言えない。

抱えいるものの重さも違えば、目指すものの方向が自分の価値観とは違うときもある。

思いを掛け違えてしまえば、放つ言葉も逆の意味を持ってしまう。



これまでも何度もそんな経験をしてきた。

たくさんの人を傷つけてきた。

子供のころから、今までずっと。



それなのに誰かの痛みを理解して、ちゃんと添うことが、いつになってもできない。

当然ではある。

人の心はそんなに簡単にわかるものじゃないと思うから。



でも、そうなってしまっても、相手の心を考えることをやめたくない。

添うことはできないかもしれないけど、それをやめてしまったら相手を想えない。

想えない人間関係なんて、あってないようなもの。



ただ単に、僕自身に思慮が足りないだけだということはわかっている。

一方的なものだから、相手からすれば迷惑なときがあることもわかっている。



おせっかいにはなりたくない。

出過ぎた真似はしたくない。

自分の器以上のことはできない。



こんな風に並べると、僕はほとんどなにもできない。

でも、想う相手に一瞬でも顔を合わせたそのときに、それまで考えていた時間が愛しさになっていく。

そうやって大切な友人ができたり、人を好きになっていくのだと思う。



そして、人にとって大事な部分は、こんなところでしか成長しないんじゃないかと思う。

豊かに生きている人は、想いやりに溢れている。