福島 | The passenger of life

The passenger of life

人生という小さな小舟に乗りこんだたった一人の乗客。行き先を決めて進むのは自分。僕は人生をどこに向かわせるのか。流れにまかせるのか必死に舵をきるのか。さあ、どうなる?自分。

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今日から水曜日まで、仕事で福島に滞在します。

本来なら、仕事をしている場合ではないのですが、今回はどうしてもこの地に足を踏み入れたかった理由があります。



3月の地震発生以来、被災地における様々な状況をテレビや新聞を通し、目にし、耳にしてきました。

著名人の方が直接被災地で、または間接的に、献身的にボランティアに参加してることや、善意ある市民の方たちによる無償の活動です。

これは福島に限ったことではなく、茨城を含め、東北地方全体に渡って行われていることです。



まず大前提にこれがあります。



次に、夏にはあれだけ節電で盛り上がり、我先にと善意を振りかざした人たちが、夏よりも消費電力のピーク幅が大きい冬の今、ほとんどいなくなりました。

どういうことでしょうか?



おそらく「電力が安定供給されるようになったんだから、別に節電しなくていいよね」という感じの人たちが多いんじゃないでしょうか。

もしくは、節電するという行為が、意識から消えてしまったのかもしれません。



もちろん、都心でも小さな地震が起きると、あの日のことを鮮烈に思い出すだろうし、己の身にふりかかる地震への恐怖は、今も強く残っていると思います。



どんなに正義を語っても、善意を振りかざしていても、時間が経てば熱は薄れていくものです。

そして、恐怖を感じる気持ちは、自分を守るための本能です。



人間は、どんな状況下でも生きていけるように、そんな風にできているのだと思います。

だから仕方がないことなのだとも思います。



ここからはボクの思いです。



しかし、だからといって自分の生活のことだけを考えながら生きていていいのか…。

自分の生活を省みずに、復興活動をしている方たちがたくさんいるのに…。

と、どうしても思ってしまいます。



我々は生きていかなきゃならないし、ボクは今の人生を精一杯生きたいと思っています。

そして、同じ国の土の上で起きていることを、他人事とは思いたくないと思っています。



だけど、テレビや新聞だけを通した茨城や東北地方は、どこか遠い国の出来事のように感じてしまう。

マスコミを通した被害の甚大だった沿岸の被災地の様子は、とてつもなく非日常で、これが現実だとわかっていながらも、現実として理解ができない…そんな状態でした。



復興に助力したいけど、自分の生活を投げ捨てることはできない、自分にできるわずかなことをするしかない。

でも、そのわずかなことに意識を注ぐことでさえ、気持ちのどこかが疑問を持っているんです。

こんなのでいいのか?って。



それが嫌で嫌で仕方がありませんでした。

福島の野菜を見つけたら「がんばれ福島!!」となにも考えないで購入したいんです。

次元の低い話かもしれないけど、ストレートにただそれがしたいだけなんです。



そんな思いを抱きながら、今日福島にやってきました。