何だか話が
「最初にメンバーを持ち出したのは誰か」
という方向にずらされてますけど、
そこが論点でしょうか。
発端は、
「自分の記事を読めば、ジミンは
愛情や愛のあるイジリとして喜ぶ」
という主張ですよね。
擬態行為に始まり、
テテペンのアカウントを晒し、
自分の不満や鬱憤を
「メンバー下げで晴らす」と
まで明言してきた
過去の発信の積み重ねが
あるにもかかわらず、
それらを無かったことのようにして
「推しは自分の言葉を喜ぶ」
と語った。
だからこそ、
「なら、あなたの記事に含まれる
テヒョンへの否定的な記述まで含めて、
ジミンは喜ぶということになるけど、
それでいいのか?」という問いが返ってきた。
「あなたの理屈をそのまま適用すると、
そういう人物像になってしまうけど、
それでもその理屈を採用するの?」
という、元の主張に対する帰結を
示しただけです。
「無関係なテヒョンを盾に使った」のでは
なく、既に擬態ブロガーの過去記事に
「テテ下げ発信」は含まれているものです。
Mさんの「だとすれば」以降の言葉は、
グミシパブロガー自身が立てた仮定から
導かれる帰結を確認したものに過ぎません。
つまり、その帰結が「メンバー下げ」
に見えるのであれば、
問題は反証側ではなく、
そのような帰結を導いてしまう
元の仮定にあるということになります。
「本人は喜んでくれる」
「理解してくれる」
と、メンバーの気持ちを勝手に代弁し、
自分の言動の免罪符として利用する
ことの方が、よほど問題ではないですか。
また、
「愛されジミンの記事に
テヒョンは登場していなかった」
問題になっているのはその記事単体ではなく
これまでの発信全体です。
過去のアンチ的発言や
テヒョンへの否定的な記述を
積み重ねてきた人が、
「推しはきっと喜んでくれる」
と言い出したから、
「その過去の発信も含めて?」
という疑問が生じるのは自然な流れでは。
むしろ、擬態ブロガーによる
「もし推しが自分のブログを読んだら」
という仮定に対して、
「くだらない言葉より、
自分の愛やイジリを喜んでくれる」
という結論に、
どれほどのジミンペンが
違和感なく賛同するのでしょうか。
そして一番不思議なのは、
こうした明確なアンチ行為や、
本人の気持ちを勝手に
代弁する行為はスルーしながら、
その理屈の矛盾を示すための反証だけを
「メンバー下げ」
として切り捨てていることです。
問題なのは反証のための仮定でしょうか。
一方に都合の良い仮定だけを認め、
その帰結として現れる
不適切な答えの責任を
反証側が負わされるのは
理不尽ではないのか。
余談にはなると思いますが
気になったので。
「私情を挟まずフラットで見た時」
とおっしゃいますが、
「垢BANされたブロガーは
発端ブロガーの言葉を度々拾っては
なじってたじゃないですか。」
この表現に、あなたのMさんに
対する率直な見解が現れていると感じます。
フラットに見て「なじる」と言う表現は
なかなかないですね。
私怨がないとおっしゃるなら
別の言葉を選ばれた方がよかったですね。
そして先ほど追記を拝見したのですが
「お互い謝罪して終わったじゃないですか」
と仰るその出来事からずっと
(どれくらいか知らんけど)
プロフィールから
勘違いされ、別人扱いされ
壊された使い道が無いブログ
の看板を降ろさずに
今日までいらしたんですか?
ええ…?終わったのに?
それは伝わりづらい…
「言葉狩りはお互い様」
と言うのも
「お互い」と呼べる相手によりますよね。
本来厳しく問われるべきは
「今後もシパ妄想を堂々と表で書きます」と
宣言した擬態グミシパブロガーの言葉であり、
「彼らの仲は現実なので、自分はシパとは
思ってない」と何かを掛け違えたまま
発信を続けているコメント欄の言葉です。
でも「自由」と言う都合の良い
大義名分を盾にされたら
実際には、
他人の言葉を封じることはできません。
結局のところ、長文を尽くして
問題視されたのは反証の仕方であり、
発端となった発信そのものへの言及は
驚くほど少ない。
長々と言葉が綴られる中、
擬態グミシパに向けられたのは
たったの一文、こちらのみですが、
正直な話、発端ブロガーが鍵を掛ければ
良かっただけの話だから。
これは本当に同意です。
聞く気がない相手でも、
鍵をかけるメリットを、
理解して欲しくて
たくさんのブロガーが
何とか思いを伝えたくて
伝え方を考えながら
書いてるんだと思います。