グクがベガスでの1日を
連日VLOGと言う形で
ARMYに共有してくれています。

(インスタ復活して良かった)

朝から始まり、身支度、運動、
ゲームする様子も見せてくれて、
勝手に臨場感が増してます←
ライブ前のメンバーたちの様子も
垣間見れて、ほんとありがたい。

その中の一場面ですが



この時のグクの破顔に対して
グミシパもグテシパも
同じようなコメントつけて
ポストしたりリポストしたり…。

「恋人の登場ってこんな感じ」
「笑顔が違う」


座席が隣になれば
「隠さなくなった」
「定位置がうれしいよね」
逆に離れて座ると会社指示←
「こんなこといつまで続くの」
(確かに撮影で指示があることは
ありましたが毎回かどうかは

分かりません)

これもどっちも書いてます。

そして、グミシパもグテシパも多くが
「見せてくれるもの、
見たままを書いてる」
「捏造はしていない」
「アンチはしていない」
と宣言されています。

…本当にそうなら、
同じ場面で、どうして
「グクが微笑んだ」とされる相手が
人によってバラバラなんですか?
同じもの見てるのに。

先ほどの動画について
見たままを書くとしたら
「グクがメンバーを映していて
思わず笑顔がこぼれた」

ですよね。

これを相手が自分の推しだと
マウントを取るから
同じ場面でも違う表現になる。

捏造と言う表現が適当でないなら

「私見を加味して書いてる」←ですよね。

見たまま書いて違いが生じるのは
書いた人の感情が乗るから。

解釈が加わるから。
写実とは違う何かなのだから
「見たまま」だと言い張るのは

すでに詭弁の域に入る。

同車とか席が隣の理由をこじつけても
内情もわからない人間が
想像したって答えなど出ませんよね。




シパ思想がアンチ集団の活動の
大きな動機づけとなっていることが
明らかならば、なぜそこに
「秘める」

という選択肢が浮かばないのか。

シパ思想そのものを完全否定してる
わけではありません。
ただ、想像や願望を、「見たまま」

「事実ベース」のように
断りを入れた上で

表で語り続ける事に
、やはり危うさが

あると思っています。


そして、その解釈合戦が


アンチや対立の燃料に
なっている現実があるなら、


「秘める」という選択は


ファンとして必須の

配慮の一つではないのか。

対アンチが声を上げることだけが
メンバーを守る唯一の方法ではないはず。

本人たち以上に本人たちを
理解しているかのように振る舞うこと。


想像を事実のように広げてしまうこと。
その境界線については、
もっと慎重で

あってほしいと感じます。


もう一つ、気になること。

もうすでにほとんどのシパ記事を
鍵にしまう方もいらっしゃいますが、
タイトルでもう中身がわかるような
攻撃的な言葉が並ぶものがあります。

記事自体は趣を同じくする
アメンバーさんさえ
読めれば良いのだから、
好きなように書いていらっしゃると思います。

じゃあタイトルは?
誰に向けて?


棲み分け、別界隈。

そうした言葉を使いながらも、
結局は外に向けて牽制し続ける。

鍵記事にしてまで空間を分けるなら、
本来そこには
「余計な対立を広げない」
という意味もあるはずです。


にもかかわらず、
タイトルで外側へ攻撃性を残すなら、
それは本当に「棲み分け」なのか。

想像を語る自由と、
それを事実のように拡散することは別。


そして、対立を避けるための鍵運用と、
外へ向けた挑発は残すこと、
これもまた別だと思います。

だからこそ
「語り方」と「見せ方」の境界線を、
それぞれが考える必要があると
改めて感じています。