国家安全保障上の秘密・・・欧米全土のモルゲロン被害者 | 電磁波攻撃、電磁波を使った拷問・人体実験、モルゲロン、ナノチップによる脳の完全支配、「マインドコントロール」などについて

電磁波攻撃、電磁波を使った拷問・人体実験、モルゲロン、ナノチップによる脳の完全支配、「マインドコントロール」などについて

「集団ストーカー」は、人工衛星を使って人を遠隔操作する軍事技術によって行われています。一旦、ケムトレイルで撒かれているナノチップを体内に取り込んでしまえば、その人は脳の機能を乗っ取られ、無意識のうちに体を動かされて「集団ストーカー加害者」にされます。

国家安全保障上の秘密  欧米全土のモルゲロン被害者
(『気まぐれです。』というサイト(http://bilininfojp.blogspot.jp/)の、2013年9月22日日曜日の記事より転載。なお、このサイトは、恐らく加害犯罪者達にとって知られたくない情報がたくさん書かれていたために、2014年9月頃に削除されました。)

http://bilininfojp.blogspot.jp/2013/09/blog-post_22.html



Hank P. Albarelli Jr.(米国フロリダ州に住む調査報道ジャーナリスト) , Zoe Martell

原文:http://www.voltairenet.org/article165822.html

2010年6月12日 ヴォルテール・ネットワーク(マイアミ)



過去10年間で、欧米の10万人以上が「モルゲロン」として知られる奇妙でひどい皮膚病の被害を訴えてきた。医療界はそれを精神疾患としてしりぞける側と、さらなる研究がされて当然な新種の病とみなす側とに分断されている。この問題は、通常なら科学的な医学ジャーナルの中にとどまっていたはずだ・・・国防総省と連邦「法執行」諸機関とが公的な隠蔽にこんなに積極的に関わっていなかったら。最高秘密体制による新兵器実験に直接結びついているこの問題について、Hank Albarelli が調査の第一部を伝える。


私たちは3週間前、世界でもごくわずかな数の人々しか何も知らない、「モルゲロン」と呼ばれる「疾患」について書いた(http://www.voltairenet.org/article165450.html)。「疾患」にかぎ括弧をつけた理由はただひとつ、大量の医師がモルゲロンを医学的問題として扱うことを拒否しているからだ。一部の医師は、それに苦しむ患者の診察を拒んでさえいる。

モルゲロンに苦しむ老若男女を文字通り面と向かって笑い飛ばし、精神科医への紹介状を書こうとした医師たちについて、私たちは延々と続く証言を聞いてきた。驚くべきことに、モルゲロンのことを訴えたり書いたりする人々を笑いものにし、攻撃するサイトを立ち上げた医師までいる。一部の医師は「寄生虫病の妄想」というあだ名をつけた。すべては患者の頭の中にあるという意味である。さらに morgellonswatch.com というサイトは “モルゲロン病と名づけられている主張の調査をし、’病んだ人々が、自分にはひどい病気があると考えることを’防止する”目的だという。おかしなことに、このサイトには公式な個人または団体賛同者の記載が全くない。

「医療界」の一般的なスタンスはこうだが、例外も明らかにいる。モルゲロンを「研究とリサーチを当然必要とする深刻な新しい感染症」とみなす医師は、米国のほぼ全州と欧州の国々に少なくとも数人ずつはいる。メリーランド州ジャーマンタウンのクロンゲン研究所所長アハマド・キラニ医師は述べる。「私個人、この疾患の症状について詳しい話を聞きました。何らかの手が打たれなければなりません」。

現在、ジョージア州アトランタにある感染症コントロールセンターが、カイザー・パーマナンテの北カリフォルニア研究部門と協力してモルゲロンの研究をおこなっている。研究は2008年1月に公式発表・開始された。研究目標として掲げられているのは「モルゲロンとして知られる説明されていない皮膚の状況について知ること」だった。この研究は、CDC広報官によれば、「完了までに12ヶ月ないしはそれ以上」かかるとみられていた。研究の主任調査員CDCのミシェル・ピアソン博士は、「それに苦しむ人々の生活に影響を与えている、この謎の病について、我々は心からもっと知りたいと思っています。苦しんでいる人々は疑問を持っておられますので、我々はお手伝いしたいのです」と述べた。

CDCの発表から2年以上が過ぎたが、いつ研究が完了・発表されるのか不明のようだ。研究はワシントンDCにある米軍病理研究所に完全に引き継がれたという未確認情報が、およそひと月ほど前にあった。米軍病理研究所は2008年にCDCが研究パートナーとして挙げた機関である。


○モルゲロンの症状

モルゲロン患者の初期症状は、昆虫が肌にのぼってきてかみつく/刺すときのような不快な刺激を経験するというものだ。この刺激から肌に傷口が出来るのだが、それはマイルド~重いにきびの事例にかなり似て見える。傷口は患者の体のどこにでも出現しうる。そして繊維のような撚り糸・繊維質の素材が入っていることが多い。繊維はモルゲロンの最も困惑させる視覚的特徴である。繊維を除去または抽出する試みがなされる場合、しばしばその素材は抵抗して、引っ込むか、使われる機材が何であれそれから逃げるという行動をとる。




モルゲロン病に苦しむ人々を悩ます繊維の存在について、懐疑論者は様々な説明を出してきた。それらの繊維は、たまたま洋服など日用品の繊維が傷口のかさぶたに付着しただけだろうと言われたりしている。懐疑論者は、体から繊維が生成されたというのは苦しんでいる人々の間違った思い込みだと主張する。

その他の説明はもっと不親切である。傷口じたい「神経症剥離」という精神的症状が生み出したものだと言う人々がたくさんいる。患者が肌をかきむしりすぎてそこに傷口ができる、もしくは自分は病気であると他人を納得させるために、患者がわざと傷口を作った、など。これらの繊維は、病気の症状が存在するという「証拠」を作るために、本人たちが体と離れた場所から集めてきたものだと懐疑論者は言う。

この身体の標本について、精神医学界はずっと妄想神経症などの精神的/架空の健康状態とむすびつけてきた。事実、これらの標本を集める行為そのものが、「マッチ箱サイン」とよばれる精神疾患の症状とみなされている。この名前は、繊維などの素材がマッチ箱などの小さな入れ物に入れて提出されることが多いことを指している。 その結果、集められた標本はしばしば医療ケア提供者から完全に無視されており、身体の健康状態が考慮される代わりに精神的原因のせいと仮定されている。

だが繊維ーおよび患者たちーが実際に検査されたとき、これらの主張はすみやかに崩れる。精密に検査すると、モルゲロン繊維は常に自動蛍光性を持ってあらわれる。それは紫外線のライトの下で光って見えるという意味である。特定の海の有機体、たとえば特定のタイプのくらげなどにも、やはり自動蛍光性の性質がある。「緑色蛍光タンパク質」として知られる蛍光タンパク質は、近年遺伝子発現研究のマーカーとして広範に研究されてきたもので、数々のバクテリアやカビ、さらには魚、昆虫、そして人の細胞への導入が成功している。遺伝子改変または染料のかたちでの蛍光マーカーは、環境中の微生物の存在を追跡することにもしばしば使われている。例えば石油を摂取する微生物には、監視目的で蛍光染料によるマーキングがされている。

産業毒物学者かつ統合医学の医師であるヒルデガルデ・スタニンジャー博士による、民間資金での研究から、繊維は華氏1700度(927º C)までは耐火性があるし、溶けないということが分かった。また、繊維の外のさやが、高密度のポリエチレン繊維で構成されているらしきことも、結果から示唆された。それは、光ファイバーケーブル製造でよく使われている産業素材である。興味深いことに、この素材はウイルス性のタンパク質エンベロープを包む化合物として、バイオナノテクノロジーという新興分野でも使われている。スタニンジャー博士はさらに、金の先端を見せる青い繊維を見つけたと報告した。これらは特定の機能を果たすようにプログラムすることが可能なナノ機材の一形態であると博士は考えている。

もしこれがとんでもなくありえない話に聞こえるなら、U.S. News and World Reportの2004年の記事の次の情報を考慮してみてほしい。マサチューセッツ工科大学ホワイトヘッド・バイオ医学研究所所長スーザン・リンドクヴィストは、プリオンと呼ばれるこの種のタンパク質を使ってまさにそれをやってのけた。記事によれば「彼女は連鎖反応の引き金をひいた。イーストプリオンが、長い耐久性のある繊維へと自らを加工した」。それからリンドクヴィストは、金銀のナノ粒子と結合できるよう、これらの繊維質のプリオンを遺伝子操作した。昨年の春に彼女が報告しているように、その結果、希少鉱物につつまれたプリオン繊維が出来たーいつかナノサイズの回路の周辺で電子を輸送できる、超精細な伝道性ワイヤーである”。

同じ記事の次の情報も考慮してみてほしい。“昨年[2003]8月、米軍は共同研究バイオテクノロジー研究所を5000万ドルで(創設すると)発表した。そこには諸大学・諸企業からバイオテクノロジーとバイオエンジニアリングの技術を集結させるのだと。そして先月初めにブッシュ大統領が「21世紀のナノテクノロジー研究開発法」に署名し、5年間で37億ドルが承認された。— その大部分はバイオナノテクノロジーに当てられる.”


○フォート・デトリック&モルゲロン

モルゲロン病に苦しむ人の数が世界中で増えていることは疑いもない。10万人という推測まである。報告事例が増えると同時に、疾患の奇妙な進行例も報告され、そしてまた、この疾患を軍の様々な研究機関・組織と関連付ける報告も増えている。世界中、モルゲロンでは何が起きているのだろうか?

メリーランド州フオード・デリックにある米軍の生物戦闘研究施設が、モルゲロンに酷似した、研究所でつくりだされた疾患の実験をしてきたという報告が、この数年、恒常的に・信憑性をもって出てきている。

名前の公表をこばんだ一人の元フオート・デトリック微生物学者がこう述べた。“それに似た何かについての研究を覚えていますー特定の名前は覚えていませんーそれは1970年の防衛予算ができて間もないころに始まりました…その当時に始まったのです …当時、ありとあらゆる事が研究されていました。すべてを追跡し続けるのは大変でした」。ちょうどその頃、米国国防省から米国議会に対して衝撃的な予算請求を出されていることからして、1970年の防衛予算についてのこの発言は重大である。

1969年7月1日に、国防総省・生物戦闘担当の幹部であるドナルド・マッカーサー博士が、米国下院・国防省予算副委員会にて答弁をおこなった。「[フォート・デトリックその他の軍の研究員による]分子生物学における劇的な進歩は、この科学分野の生物戦闘における関連性の調査に[軍を]導きました」。

「この問題を検討した専門家の小集団は、以下の所見を提供しました。

(1)現時点までの全ての生物学的エージェント(兵器薬剤)は、自然発生の疾患をあらわすものであるため、世界中の科学者には良く知られている。これらは、攻撃目的であれ防御目的であれ、資格をもった科学者が容易に入手し研究できる。

(2)次の5ー10年以内に、新しい感染性微生物を作ることがおそらく可能になる。それは特定の重要な要素において、既知のいかなる「疾患を発生させる」有機体とも異なる可能性がある。最も重要な点として、感染性疾患から人間が身を守るために依存する免疫性・治療上のプロセスに対して、抵抗性をもちうるかもしれない。

マッカーサー博士の証言はさらに続いた。そのような疾患の開発可能性を探求する研究プログラム、「合成生物学的エージェント、自然界には存在せず、自然の免疫性はまったく入手できないエージェント」、を完成させるにはわずか5年しかかからない、そしてコストは1000万ドル、と博士は副委員会に伝えた。

むろんのことだが、マッカーサーがこの記憶に残る発言をして以来、彼が言っていた病が厳密になんのことなのかについて、あらゆる憶測がとびかってきた。同時期の軍の報告書で機密解除になったものは、興味深い。研究所で操作された疾患についての軍の最も秘密の実験は、モルゲロンが多くみられる州でもある、テキサス、フロリダ、カリフォルニアで行われていたことが明白に読めるからである。

マッカーサー博士は議会に告げた。「[新しい生物兵器の確立]は非常に論議を呼ぶ問題である。またしても大量殺戮手段になるようなことがあってはならないから、そのようなリサーチはおこなわれるべきでないと考える人も多い。いっぽう、そのような兵器が可能であるという科学的な知識と、その方法についての理解がなくては、ほとんど何の防衛手段も考案できないだろう。敵がそれを開発しようものなら、適切なリサーチプログラムがなければ、潜在的には軍の技術的劣性を招きうる重要な分野である」。


○話すなと警告される患者たち

前回ここに私たちの記事を発表して以来、確証済みのモルゲロン被害の事例が非常に深刻な数、報告されてきた。多数の事例において、感染した人々がメディアには「語るな」とか、「この病気については口を閉じておけ」と警告されている。これらの警告は、「諜報機関」や「法執行」当局の代表/職員と称する人々から発せられている。警告された人々のうち幾人かは、奇妙な「繊維のような」「蜘蛛の巣のような」素材が疾患にかかる前に空から落ちてきた、とそれ以前に報告していた。

ギリシャ・キプロスで代替医療のセラピストをしているキャロライン・カーター(50)は、2007年8月に英国の彼女の庭が「非常に奇妙な蜘蛛の巣のような物質に被われていた」のを発見した後、モルゲロン病にかかった。彼女がさらに見てみると、 近所の庭や垣根も同じ物質に被われていた。その物質に接触した葉の全ては、約1日以内にしおれて枯れ始めた。

カーターはこの蜘蛛の巣のような物質を集め始め、そして左の上の腕に刺された感じを覚えた。「それは鋭くつんとしていましたが、目に見える跡はありませんでした」。だが、その日の終わりまでに彼女の腕は「非常に癪に障るものになっていました。刺されてまもなく始まったしつこいかゆみは、何をしても止めることができませんでした」。その日以来、かゆみは一度も消えていない。

2008年に、カーターはキプロスに移住した。約1年後に、腸の菌の過剰繁殖およびB12欠乏症との診断を受けた。治療に専念したが、発疹も悪化した。発疹は重い火傷とかゆみを生みだし、体全体に広がり続けた。と同時にカーターは「体中に数多くの傷口ができて、かさぶたになっていた。モルゲロンが自分の痛みの原因とは考えなかった」。この疾患のことを彼女は知っていたが、それまでに見た情報はすべて、モルゲロンの傷口は「かさぶたが出来たり治ったりはしない」という内容だった。

しかしカーターは、肌の一片を顕微鏡の下においてみて、問題がモルゲロンであることに気づいた。「腹の中まで気味悪くなりました…私の肌のサンプルにからまっていたのは間違いなく、鮮明な赤、青、黒の繊維でした」。「別の肌サンプルにもまったく同じ繊維が見つかりました。今回は肌サンプルをH202(過酸化水素)の溶液に入れました。サンプルを12時間漬けておいてから、もう一度顕微鏡に載せました。繊維の色は失われていませんでした」。



その次の数週間でカーターの発疹は激化し、彼女は極度の痛みに襲われた。「私の肌には、破裂してはまた作られる火脹れができました。割れたガラスや火のついたタバコが肌を内側から攻撃してくるような感じでした」。

それに引き続く週は、カーターにとって苦痛そのものだった。「唯一、効いた薬は鎮静剤でした。経口および静脈注射です」。最終的には「私は周波数ヒーリング[電磁波にもとづく代替ヒーリング]を試してみることに決めました。それは本当によくなりました」。「変化は直ちにありました。私の左右の脳が逆になっていたことや、本来陽性であるべきものが全て陰性に出たことなどを私が土曜日に訪ねたセラピストが発見しました。また私は、放射線を発していました。胸線のあたりから、2メートルほどです。胸腺は常に火がついたようになっていました。皮膚の下に小さな金属粒子があるのがわかりました」。

通常の仕事のルーチンを再開できるようになってまもなく、カーターはモルゲロン病についてどっさり情報をまとめた。その一つは繊維の写真やビデオが入ったCDで、一部は繊維が実際に動いているところのだった。彼女はそれを、この病気についての濃密な調査を助けてくれるかもしれないと思った地元の政治家に渡した。仕事を再開したカーターは、彼女の患者の一部も、子どもを含め、モルゲロン病の結果とみられる健康問題を抱えていたことに気づいて危機感を覚えた。

約1週間後に、キプロス諜報機関の者と称する男が連絡してきた。カーターは言う。「私の情報については何もしないはずだから、政治家とは距離をおくべきだと言われました。キプロスで何かが起きていることに我々は気づいている、と言っていました。彼は私の助けを求めていました。EUのエアフィルター監視システムにひっかかった奇妙な物質について、一人の科学者が権限を越えて情報をくれたと言っていました」。男はカーターに「問題のもとになるから、見つけたことについては今のところ静かにしておくように」と頼んだ。そして別れる前、あなたの電話とメールはびっちり監視されていると告げた。

カーターは説明する。「思うに問題は、私がこれらの繊維の一つを生やしたことに加え、この問題を抱えている人の多さに気づいたことだったのでしょう。生え方からして、’人工的な生物’のはずです。培養されたのではなく生えたと言っているのは、そうだったからです。私は、発疹ができて以来とっておいた自分の肌の一片を、やや薄めたH202の小滴と共にスライドの上に置いてみました。すると9分以内に、バクテリアタイプのインキュベーターが長い繊維を生やし始めました。映画”エイリアン”の実写版のようでした」。

キャロライン・カーターの話がユニークなわけではない。モルゲロンに関する最初の記事を発表して以来、12人近くの人が私たちに連絡をしてきた。全員モルゲロン患者で、過去7年間に「連邦エージェント」、州の法執行局、「軍の諜報職員」と名乗る人々から警告されていた。中西部のある女性は、「これについては誰にも話さないことがあなたと家族のためになります」と告げられていた。警告され私たちに連絡をしてきた患者は、全員、自分と家族の健康を不安に思っている女性だった。この記事で自分の名前を出すのも恐れる方が多かった。

コネチカット州のモルゲロン被害者バーブ・メットカーフさんはプラム・アイランドにある米軍の最高機密研究施設からわずか30マイルのところに住んでおり、違う感じ方をされた。その体験談は驚異的である。こちらにご自身の言葉で書かれた回想がある。

“それは1998年12月8日、コネチカット州マンチェスター、72F°、美しい冬の一日でした。 それまでは最高におかしな天気で、雪や、厳しい氷結がありましたが、この日は春の一日のようでした。私は屋外のパーティー会場の、大きな樫の木の下に立っていました。シャツの中に何かを感じました。それがダニだったとは思いません。あの冬を生き延びていたはずがないからです。 その夜、シャツを脱いでみると、背中が少なくとも8箇所以上、咬まれていました。 足が一本残っていたので、調べるために袋に入れておきました。翌日になると、ひどいアレルギー発作が起きて、呼吸困難寸前になりました。 医者に行きました。ですが、ノミであることを示す明白な兆候はなかったのにもかかわらず、ライム病の検査以上のことはしてもらえませんでした。

“私はその足をコネチカット大学の昆虫学者のところへ持っていきました。節足動物の足という認定が下りました。その足と口のサイズからしてノミでないことは確実だとしながらも、その先生には、バグの厳密なタイプの判別はつきませんでした。ここに住んでいると、昆虫に咬まれたかチェックしてみるだけの理由は存分にあります。コネチカットのオールド・ライムの渡り鳥の経路のすぐそばだし、世界中のあらゆる感染症の溜まり場であるプラム・アイランドからたった12マイルですので。

(中略)

“その日から3ヶ月経って、私はもう一度体中を咬まれたように感じました!私は恐怖と痛みで叫びまくっていましたが、自分をアタックしているものの姿が何も見えませんでした。夫が慎重にしらべた後、私の背中からクリスタルが突き出しているのを見つけました! いくつか毛抜きで抜いてくれました。どれも似ていました。三角形で、一辺はギザギザ、二辺はかなりまっすぐ、そしてどれも真ん中に黒または赤の点がありました。クリスタルを取り除くと、痛みはすぐに止みました。クリスタルといっしょに黒いかけらも出てきました。後から、それは昆虫の足の一部だったことがわかりました。このサイクルがタイマーでもかかったかのようにきっかり3ヶ月毎に起きました。その後には、白いおできのような跡、赤い縞々の線、赤い点が残り、肌がふにゃふにゃになりました。

“感染症の専門家に診てもらいに行くというのは最高に骨折り損のずぶ濡れ儲けでした。あの人たちはサンプルを見ようともせず、私の具合が悪くなった経緯を聞こうともしませんでした。それから他の症状が現れてきました。下腹部の膨満とひどい痛み、upper right quadrantの痛みと腫れ、ものを飲み込む時の困難、頭痛、筋肉痛。体の上には、それらの線と赤い点のほかには、はっきりとした傷口やマークはありませんでした。ライム病の検査結果はどちらとも陰性でした。

“私はEPAで働く微生物学者と結婚しており、夫と一緒に研究所で働いて、同じ研究をしたこともありました。だから、自分を襲ってきたのはなんだろう、なぜなんだろうという疑問を抱きました。古い顕微鏡をひっぱりだしてきてみて、どうもただごとではないのがわかりました。昆虫のカケラはクリスタルのように見えました。切り離してみると、たいそう興味深いものでした。新しい機材に投資するべき時期でした。100ドルぐらいの子供のおもちゃ、「デジタル・ブルー」というデジタル顕微鏡により、すみやかに問題が解決されました。 その日以降、私は自分の体から出てくる変なものをすべて記録していきました。

私は、30万枚以上のデジタル顕微鏡カラー写真を集めました。日付と、それが出てきた体の部位・・・口、鼻の穴、頭、その他の部位、大便・・・などで整理しました。自分の体から出て来た微生物のビデオや、さまざまなバクテリアの見本も入っていました。

“時間が経つにつれ、私の体調は悪化していきました。この病気が何なのか突き止めるのを助けてください、と自分のリューマチの先生に文字通り懇願しました。検査を受けてみると、驚異的な結果が出ました。比較的健康で、活動的な54歳のキャリアウーマンだった私が、次のことに陽性だったのです。線維筋痛症、糖尿病、慢性疲労症候群、IBS、リューマチ関節症。すべてたった数ヶ月で!

“体から、バグ、毛虫、でかくて奇妙なものが出てくるようになった時には、どの医者も私と関わりを持ちたがりませんでした。はなから信用してもらえませんでした! 精神科医の診察を受けるように言われて底なしのショックでした。私は気狂いでもなく妄想しているのでもありませんでした。妄想は写真撮影できませんから。
“なにか似ている見本はないかと思ってインターネットで何時間もかけて医学と獣医学の全分野の写真を探しましたが、無駄なあがきでした。体調は悪くなる一方でした。不眠症になり、痛すぎて杖がなければ歩けないほどになり、家の中の簡単な家事をしたり自分の体を維持するのにも家族の助けが必要でした。

“私は医学的で科学的なマインドセットの持ち主なので、絶対に何らかの回答があるはずだということを知っていました。しかし似たようなことを何も見つけ出せないまま数年が経ち、イライラを越えた状態になりました。私は科学者の友人・知人たちに助けを乞いました。みんなも私の容姿の変貌に驚いていました。私は3ヶ月で50ポンド以上痩せていました・・・一日数時間以上は眠れませんでした。睡眠を取らないと、体は健康なシステムの修復と維持に必要なセロトニンを製造できません。

“2005年に、自宅のスイミングプールの水を入れ替えなければいけませんでした。配達をお願いして、水がどこから来るのか尋ねました。地元の貯水池でした。最初にプールに入った時、水面上に小さなカタツムリが何百匹もいるのに気がつきました。今までそんなもん見たことありませんでした。それから大きなナメクジが見受けられるようになりました。大きいのは長さ4ー5インチもありました。 私としたことが、これらの数百匹のカタツムリを処分しようとして素手で拾ってしまいました。

“2006年4月に、息子一家を訪ねてフロリダに行きましたが、到着してたった3日目に具合が悪くなり始め、早々に引き上げました。そしてコネチカットに帰ってきて一日以内に極度に悪化しました。嘔吐、下痢(毛虫のようなものが出て来たのでこんど観察しようと思って取っておきました)、それから二日以内に104F°の熱が出ました。倒れて地元の病院のICUに担ぎ込まれました。ありとあらゆる専門家が呼ばれてきました。感染症、循環器、免疫、肺、皮膚病。高熱が8日間続いていたあいだ、未知の原因による両側の肺炎と診断された以外にも何も特定されませんでした。退院しても病気は悪化する一方でした。特に下腹部の腫れと痛み、下痢、嘔吐。

毛虫のサンプルや、その他、未発達の昆虫のように見えた謎の見本を専門家達のところに持っていきましたが、彼らは見ようともせずに放り出しました。「あなた、それらとおさらばできますか?」と聞かれました。私は、路上に野放しにされている脳たりんみたいな扱いを受けました。「憤慨した」程度じゃ済みません!

“それから、取っておいた数百点のサンプルを違う州の大学の微生物学部に持っていきました。微生物学、寄生虫学、昆虫学、生物学、海洋生物学、ウイルス学の博士号を持つ専門家たちに見てもらいました。一つのあきらかな卵の見本が選ばれました。それがマンソン住血吸虫の卵だということに、全員が同意していました。染色で検査されました。 そいつは普通の反応を見せませんでした。別のでもやはり同じ結果でした。学者たちは少なくとも驚いていました。どうしてこんなことになったのかと思うか、と学部長が尋ねると、答えは「遺伝子が改変されています」でした。

“「遺伝子の改変」は現時点では過小評価に思えます。・・・2008年9月のある朝、ブールデッキと屋根の上が一面にベージュ色/カーキ色の繊維で覆われていました。どこから来たのか見当もつきませんでした。捨てるために素手で拾って袋に入れました。不思議に思いつつ、そのあたりに掃除機をかけました。それから好奇心にかられて一つを顕微鏡で見てみました。するとまたしてもショックを受けるだけでした。これらのファイバーは、ちっとも普通の繊維ではなくて、ねじれていたり編み込まれていたりする形状でした。それらのパターンの内側に、さまざまなタイプの生命体が、文字通り、編み込まれていました。一番ショックを受けたのは、一部が私の体から出て来たのと同じだったことです。写真をダブルチェックしてみて、自分が間違ってないことを確信しました。私は間違っていませんでした。 翌日、また同じことが起きました。もっと繊維が落ちていないか、近所の通りを歩いて見てみましたが、見当たりませんでした。

(続きは未翻訳です)




関連:

・モルゲロン被害者ジャン・スミスさんのホームページ
 http://www.morgellonsexposed.com/

・クリフォード・カーニコムさんの研究論文
 http://www.carnicominstitute.org/html/articles_by_date.html