A Cheap Log. -33ページ目

A Cheap Log.

Kei

先程帰宅、パソコン立ち上げたら小生のブログが久々に多数の方見に来て頂いた様でおおきにです。


今日は以前に「繁盛亭」で綴った月例会に行って来て結構いい気分のへべれけでブログを綴ろうかと…


今日の定例会の講師は、NHK大阪の横にある大阪歴史博物館に約30年いらっしゃる方のお話でした。


大阪の人やったら分るでしょうが、博物館の形が結構変わっとります。これには意味がありまして…

簡単にいうと、博物館を大阪城に向かって進む「船」に見立てた帆が建物で、NHK大阪は船尾という事だそうな。

因みに管轄は大阪市で府ではありません。お間違えのないように…


更に面白い事を聞きました。実はこの開発の中で、NHK大阪は旧跡地から横に移転したのですが、移転に際し、新たに建設するホールで実は「紅白歌合戦」をする計画があったそうです。

残念ながら処処の事由によって、ホールのキャパが制限された為にこの計画は頓挫してしまった様ですが、冗談抜きで実現させたかったと話を聞いてつくづく感じました。


若い方は分らんかもしれんけど、元々はメディアは関西が主流やったんで(ドラマにしろバラエティにしろ)今みたいに東京メディアセンターに在阪の局のスタッフが丁稚に行かされて番組制作するようなぶっさいくな事は皆目なかった。幼稚園の頃東京から大阪に来てほんまにビックリしたんは、横山プリンさんみたいな怪物は東京では見た事がなかった事。何から何まで自己完結しとって金持っとって高笑いしてるスゴイ都市やと子供ながらに感じた。ヤングオーオーや最後はダウンタウンの「四時ですよーだ」まで、ほんまに内輪受けで十分おもろい空気が大阪にはあった…

これがなくなったんっは前にも書いたけどアメリカ村再開発の頃に遡る。翻れば「イタカジ」が大阪の最後の若者文化の情報発信になってしまった。ほんまに残念ながら、今の大阪の若い子は大阪弁を捨てにかかってる…


さっき書いた例会には、大阪21世紀協会の方や関西プレスクラブ等の具体的に大阪の将来の為に頑張ってはる方がいらっしゃる。こうした方々の頑張りを聞いとると、ほんまに役所の連中の他人事の様な振舞いが無性に腹が立つ。


以前この会に大阪のある議員がいらっしゃり、役所の労組の陰湿さを真剣に話されていた。伊達にええ学校行ってないから隠蔽が巧妙で尻尾を掴ませないと地団太踏んでいた矢先、関西のメディアでこの問題を取り上げて一週間で動き出した…「こうした方々の子供らが学校で同級生に色々言われたのがきっかけでした。私らが三年かかって追及した事が、テレビで一週間で動かされたんです」との事…


現大阪知事にたてついたある週刊誌では「ジャンヌダルク」呼ばわりされとる女性職員、あれが大阪府の労組の病巣なんですわ。彼らは何も分ってない。テレビで誰かも言うとったけど、民間やったらどこの阿呆が社長に対してあんな口の聞き方するんや?それが怖くないんは裏に社長よりも強い「労組」があるからと自ら言うてる事すら分っとらん頭の悪さ…


少々酔いが回って過ぎる発言があればご容赦を。私らの地元「ザ・ビッグ・オー」を愛しての言葉と思って下さい…



昨日は快晴やったけど今日は少し曇り。それでもだいぶんと暖かくなった。


今日はいつもお世話になってる理髪店に行って散発して貰った。マスターは大相撲のタニマチさんで、夕方から忙しなると嬉しそうにバタついてはった。

家に帰って久々にオフのバイクをいじった。だいぶガタがきてる。春には何とかエンジンに火が入るよう頑張って直したい。


バイクいじり終わってから、録画しとった「たかじんの委員会」を見た。

番組の後半で「いまどきの若者」を話しとった。


誰もが昔は「いまどきの若い奴」やった筈やのに、年経ると自分は若い時からちゃんとしとったように錯覚して自分より若い人間を見下したがる。最初から出来てる奴なんかほんまにごく僅かの筈やのに、自分はそんな事ないと、都合のええように解釈し社会に出て身につけた通り一片の「常識」で片づけようとする…


ARBの「トラブル中毒」が出たんは僕が高校の時やった。中学の頃親父が消えて、お袋と弟の3人で必死に暮らしとった頃、ARBは唯一の救いやった。貸しレコード屋でLP借りてツレの家でカセットに録らしてもうたテープを、ほんまに擦り切れる位聞いた。絶望ばっかしやった中高の間、僕に生きる力を一杯与えてくれた。


録画見てから久々に「トラブルド・キッズ」を聞いた。ほんの20年前やのに、こんなにこの国は変わってしもたんやと感じた。


一時に比し日本の国力は弱まったとはいえ、それでもまだまだ幸せな国の筈やのに自殺や鬱は多い。

人に対する思いやりもすごく薄くなっとるように感じる。みんな自分の事ばっかしお金の事ばっかし…

どの国も子供達はその国の「映し鏡」。アジアの貧しい国の子供達が、それでも笑顔で頑張って生きてるのにと思うと物凄く辛くなる。


ARBを聞いた事無い人は、よかったら一度聞いてみて下さい。役者でないロックボーカリストの石橋凌の歌を。ほんまに暖かい人です。

   


ARB トラブル中毒

三寒四温のこの数日、また雪が降った。バイクのメンテはまた先送りになった。


午前中ニュース見とったら、何か見た事ある中年男性が出てた。三浦和義さんやった。随分年とらはった。「ミウラカズヨシ」…キングカズと同じ名前…


カズに会ったのはロス疑惑で巷を騒がせていた三浦和義さんの事件の後、当時高校生やったから25年程前やったと思う。


確か靱公園グランド(数少ない芝のグランドやったが今はない)やった。芝は万博とここ位で、公式戦は万博が新人戦決勝、靭が大阪私学大会決勝でどっちも負けて丸坊主になった。


その時カズがなんでおったか殆ど覚えてないしなんで試合してたんかも分らんけど名前を聞いて「あのロス疑惑のミウラか~?」とか言うた記憶はある。

「あのミウラっちゅう奴のフェイント凄いで」皆が言うてた。僕は自分がウィングやったからカズがシザースを4回5回かけてサイドから抜くんは凄いとは思たけどパッと抜いてセンタリングでええのに派手好きなんやと思った。


チームの連中は部活のバッグにサイン貰って喜んどったけど僕は貰わんかった。おんなじサッカー選手やねんから今はライバルやないかと。カッコつけとって得体が知れんかったけど、他の子らと全然違う何か遠くを見てる目をしとった。


社会人の最初に百貨店で服の販売してた頃、隣の売り場の冬の全国大会出てた同い年の子が煙草休憩の時「○○ヤン、サッカープロ出来るみたいやで~」と言いおったんで「またどうせぽしゃんのちゃうか」等と言ってたらしばらくしてほんまにJリーグが出来た。

やってた者からしたら最初はプロリーグは半信半疑やったけど、読売と日産の試合はかじりついて見ていた。初めてこんだけのお客さんの前で試合できる嬉しさで頑張ってんのが見ててよく分かった。タッチラインに逃げる場面が殆んど無くがむしゃらにボールひらいに行ってた。見ててすごく羨ましかった。


当時テレビでカズを初めて見た時はほんまにビックリした。「あ、あいつや!」…

あれからずっと現役のほんまもんのプロサッカー選手。これからもずっと頑張って生涯現役通して欲しい。

北京オリンピックを控えた旧正月直前、起こるべく不祥事が発覚した。


テレビや新聞はこぞってつつきまくっている。大変な問題である事は間違いない。




然し…中国の人々が自分達が買って食べる野菜を農薬を落とす洗剤で洗って食べるニュースを見て日本の人々はどう感じるのか。中国の家電メーカーの成功話で、洗濯機を改良し農作物を洗えるようにして爆発的に売れた事をどのように思うだろう…




5年程前に一年ほど仕事で中国に行っていた。上海空港は昔の名残を残し黄砂にまみれ日本の地方空港のようなのんびりした風情があった。今の新空港は物凄くきれいやけど上海から遠くなってしまい不便に感じる。




上海から2時間弱の蘇州にある子会社の管理(といっても然程仕事はある訳ではなかったが)と上海事務所でたまに打ち合わせするだけで、夜になれば時間をもてあまし飲みに行っちゃ女の子らとボーリングに行く怠惰な日々やった。




蘇州の工場では毎日昼はみんなとほか弁を食べた。弁当の中の肉類は現地の子らも「何の肉か分らないよ」等と言っていたが僕は全部残さず食べていた。全体的に油まみれ…烏龍茶で脂を落とす意味もよく判る…




食べ終わったら皆が白いスチロールのケースに箸を突き立て穴を開ける。「そんな子供みたいな事するもんじゃない」と言ったら責任者の男性が「こうしないとまた洗ってこれ使うから駄目よ」と一言…




中国は日本の戦後の急成長を遥かに凌ぐスピードで今日に至っている。上海のハイウェイの真下には靴も履けない人々がまだいる。身持ちの良い子供達は遅くとも30代で社長になって高級マンションに住みBMWを乗り回し更にステップアップをという夢に執り憑かれ資本主義経済を享受している。




1993年頃、アパレルの仕事をしていた頃、当時の僕の部署の課長が中国で縫製させた中綿コートのサンプルを持ってきて「どや、まぁまぁやろ?」と得意げに言っとった。当時はまだ韓国に出す比率が高かったがこの後に急激にシフトが始まった。赤字続きやったミシンメーカーも中国に救われた。日本の人々も安く良い商品を手に入れられるようになったが国内に留まった会社はかなり無くなった…




「民度」の違いというものは経済の成長と同じ速度で埋められるものじゃない。生活感の違いは日本国内でも格差が広がったが中国とは比べ物にはならない。今でもこの国は自由主義経済の国ではない…




彼らはそれなりに頑張っている。今まで経験してこなかった経済社会の中で生きている。お金を稼ぐと豊かになる事も多少分かりつつあるがその弊害はまだ理解できていない。日本が高度成長期に重工業の公害問題で人々が危険に晒された時代はどうやったのか?彼らはその本質を一部の人間を除きまだ理解出来ていない。




今回の事件はそうした歪みを象徴した問題やとは思う。それでも推し進めたのは誰でもない「日本側」であった事はよく考えんといかんと思う。僕ごときがむこうに行ってて感じる事を日本の監督官庁やメーカーの賢い人間がその危険性を理解できん訳がない。工業製品や衣料品と食糧品は全く違うカテゴリーなんやから…




親が共産党の裕福な現地統括責任者の男の子が日本に研修に来ていた時、最後の土日で買い物するからお店を教えてと頼まれ色々教えた。「宵越しの金は持たない」等と今の日本の若い子も知らない言葉をよう知ってる賢い子が翌日ふてくされた顔で「メードインジャパンはどこに行ったら売ってるよ?中国製は要らないよ」と怒った…はっと思い知らされた。これが日本の現実なんやと…

年末に録画しとった格闘技をやっと見た。


大晦日になんでなんやと今でも思うが商売になるんやろう。現に知り合いのSP会社もTシャツやらグッズで大儲けしとるし…

船木が桜庭と闘ってた。必死に闘ってた。ついつい見入ってしまった。


随分昔、八年位おった会社で九州に仕事で月1~2で行ってた。福岡が圧倒的に多かったが全域廻ってた。


仕事終わってから大概夜飲んで先方の社長の家に代行で連行監禁、社長が潰れた後は奥さんに飲まされ続け明け方までが多かった。九州男児は嘘や、ここは女性が仕切っとると思い知らされた…

結構しんどかったけど今となっては楽しい日々やった。


その日は鹿児島。社長が仕事の話終わったら「格闘技は好きか」と唐突に聞いてきた。なんでやろと思ったが

「まーボチボチ見ますけど」

「船木って知ってるか?」

「そりゃ知ってますよ。有名でっせ」

「実はうちの娘の旦那でね…」


ビックリした。切り抜きやらいろいろ出してきはった。娘さんが東京で仕事してはった時に知り合ってそうなったらしい。強い人ですよと言ったら社長は嬉しそうやった。身内でもリングサイドは簡単に入られへんと言っとった。もう7~8年前になる。


船木はほぼ同世代。ただ直向に闘ってた。自分もまだまだ頑張らなあかんと励まされた。