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A Cheap Log.

Kei

台風一過の土曜は久々の休暇で終日ゆったり過ごせた。

仕事も漸く忙しくなり来週はオフィスビルの施工の後に堺筋の大手企業の自社ビルや介護施設等が続く。
空梅雨の様相の今年は思いの外多忙になり少々バテてきている。
来週でまた一つ歳を重ね体力は年々落ちていく一方だ。

大阪は台風の影響も殆ど無く金曜の夕方には雲も切れ晴れた。分厚い雲の中から見え隠れする陽光は眩しく綺麗だった。




W杯もいよいよ決勝となり24年ぶりの因縁の対決となった。

下馬評はドイツだが予想外なアルゼンチンのディフェンシブな戦術の前に簡単に得点は望めない。

かつてクリンスマンを得点王で花道を飾らせられなかったドイツは今大会で優勝しクローゼの勇退とミュラーの得点王を狙っている筈だが風はメッシに吹いている。

サッカーの神様は同一カード最多の決勝にどちらに微笑むのか…


我が家では大画面液晶テレビでの観戦は今大会が初めてとなった。

臨場感はあるものの悪質なファールも露骨に映し出され辟易する。

ヨーロッパクラブチームでの戦い方がW杯でも常套手段化し華麗なプレーは影を潜め只「負けない」ディフェンシブ主体の戦術が大勢を占め今まで見て来たW杯で最も魅力の無い大会となった。

かつての強豪国が悉く早々に敗れ去り予見されたカラードがどの国も増え勢力図も一変した。
一時期に比し髪を短く刈り込み普通の髪型の選手が増える一方で奇抜な髪形やタトゥーのクラブ遊びの雑魚の様な勘違い野郎も増えた。
大会が進み決勝リーグに入ると予想通りそうした連中の多い国は消えていた。


大会を通じ審判や監督の「資質」というものを考えさせられた。

準決勝のブラジルの大敗は話題になったが今大会のホスト国は歴代の代表と比しても然程強くなかった。

攻守の要を欠き不利ではあったがバックラインのバタつきは尋常ではなかった。
ケンカ馴れした奴が不意に一発喰らい怯んだ隙に数発どつかれ自信を失い一気にボコボコにされる様に酷似していた。

折角の好カードが歴史に残る無残な試合となったのは前試合でネイマールを負傷させた相手ディフェンスではなく主審の責任だ。

試合が始まり暫くすれば主審がどの程度か判る。ジャッジやファールの取り方が適切でフェアか否か等で試合の流れは大きく変わる。

中学の時に大阪市決勝でプレーが中断しウチのGKが手に持っていたボールを目の前にいた相手FWが主審が見ていない隙に手で叩き落としゴールに蹴り込んで得点になった事があった。
皆がその瞬間を見ていたが主審だけ見ていなかった。猛烈な抗議も受け付けられず結局その1点が決勝点となり準優勝に終わった。公式戦でこんな得点が認められた事は希有だろう。


今大会を通じ主審のレフェリングの質低下が顕著だった。

忙しく全試合は見ていないが生放送や帰宅し録画した試合を見る度に首を傾げる様なジャッジが非常に多く見受けられた。

今大会のコロンビアはバルデラマの時代に匹敵する強いチームだったが荒っぽさも相変わらずだった。

試合開始早々に主審が毅然とファールを取り警告を与えていればネイマールは負傷せずに済んでいた。

今大会はゴール前のシミュレーションも殆どない。アルゼンチンのオルテガの様な巧妙さは無いがミスジャッジが多く見受けられる。

裏返せば主審の質低下が今大会を台無しにした元凶だ。ゴールマウスの判定システム導入も不適格な主審の多さの前に埋没する。

ドイツ戦の敗戦後にブラジル代表監督は全責任は自分にあると謝罪した。

色々と思う所は当然ある筈だ。然しながら言い訳をせず自国の選手を庇い労い自らが全てを被る事はなかなか出来ない事だ。

かつて日本でプレーし日本代表の監督となりW杯の敗戦後に母国に逃げ還った「一流選手」は監督の「資質」を持合せていなかった。

仮に自分に責任が全く無くても「申し訳御座いませんでした」と弁解せずに頭を下げる事は時に必要だ。
「日本らしさ」「サムライ」「大和魂」と持て囃されるが如何なものか。


かつてのロッシを擁したイタリアにロマーリオを擁したブラジル。どちらも監督は大会寸前まで代表要請しなかったが結果的に優勝を手にした。

誰を代表に選ぶかシステムはどう組むか全ての権限は基本的には監督にある。

選手の特性を把握しゲームで機能させるシステムを構築し選手に潜在能力を十二分に発揮させる事が監督の手腕だ。

采配は難しい。日本もそうだったが僅かな「迷い」が勝敗を分けた国は少なくなかった。

それでも皆がこの世界最大の「スポーツの祭典」を必死に戦おうとしている。

願わくば出来る限り公平にフェアに全力を尽くした戦いを期待したい。


決勝戦は見応えのあるW杯らしい戦いになる様に…









弥涼暮月も下旬に差し掛かり早や一年の折返し。来週は21回目の結婚記念日を迎える。

手術後に無事に帰宅したチビは元気を取り戻した。毎日良く食べ以前同様におおらかに日々過ごしている。家内も「チビはホンマに生命力のある子や」と感心していた。

掛け替えのない家族が我が家に戻り日々平穏に過ごせる事が有難い事をチビに教えて貰った。




今期は年初から珍しく仕事に勤しんでいるが苦戦が続く。繁忙期に差し掛かり多少の焦りもあるが日々粛々と出来る事をやるだけだ。


先週からW杯が始まった。

前回優勝のスペインが予選で消えた。オランダ戦は不運だった。パスサッカーは雨では全く機能しない。オランダのシステム変更をメディアは云々と宣っていたが当たり前の事だ。

戦術は刻々と変化する。俺達がやっていた30年前とは全く違う。システムは「勝つ」為にのみ存する。

初戦を落とした日本をメディアはこぞって予想外の敗北と評していた。思い上がりも甚だしい。

サッカーを多少でも齧った事がある奴なら途中交代でピッチに入って即結果を出す動きが出来る事がどれ程難しいか判る筈だ。グランパスの森山君の様なプレーは誰でも出来るモノじゃない。

サッカーは一人で出来ないが一人の力は試合を変える。名勝負のドイツ-フランス戦も延長に途中出場したルンメニゲのアウトサイドが試合の流れを変えた。

あと数時間でギリシャ戦が始まる。大会に出場した選手達は誰もが国を背負い威信を賭け戦う。

どの国も全力を尽くし皆が自分なりに精一杯戦えばそれで十分だ。

CS放送でアニメ「キャプテン」が最終回を終えた。家内は最初全く興味が無かったが気が付けば毎回泣いて見ていた。

忘れ去られた「日本らしさ」というモノを「キャプテン」は思い出させてくれる。

直向に精一杯。かっこ悪くてもいい。負けてもいい。自分の力を信じ悔いの無い様に堂々と頑張れ。









今年も早や建午月の長期休暇。連休も残り僅かの月曜は前日の快晴から一転し今日は久々に朝から纏った雨が降り続いた。

先月後半は新規開拓で久々に大型物件の引合を掴み連休明けから具体的に話を進める事になり今夏中に話が纏まれば非常に有難い。
ツレに頼まれたスリランカの案件も金額の折り合いが付けば是非進めて欲しいとの要請で一度現地に視察に行く事になるかもしれない。


先月後半にチビが急に元気がなくなり久々に激しいさかりの後に珍しく嘔吐し餌を全く食べず苦しそうに横たわり動かなくなった。




深夜のコンビニに放心状態でポツンと佇んでいたチビを自宅に連れ帰り既に5年が経つ。

最初は痩せ細り衰弱していたが餌を与え風呂で綺麗に洗い看病し回復後は見違える様に立派な体格になり2ヵ月後にユキを産んだ。
その後は親子揃って元気に育ち何の心配も無く家族揃って毎日楽しく暮らして来た。

チビはさかりが激しく発情期は絶叫を繰り返し獣医からは避妊手術を薦められていたが病気一つせず元気だった為いつの間にか手術してやる事を等閑に付してしまった。

連休前の23日金曜日の朝からチビの様子が急変し朝から仕事で出掛けて昼に帰宅し様子を伺ったが手足を投げ出し呼吸も弱くなっていた。

それから数日付きっきりで看病したが日に日に衰弱し家内が探した病院で27日に診察を受けた。
初めての病院だったが血液検査とレントゲンの診察の結果は異状が見つからなかった。

ネットでは腕がいいと評判の獣医だったが診断の「見立て」に疑問を感じた。
以前みぃ子を助けて頂いた獣医の様な細やかさが感じられず漠然とした診察に感じられた。

注射と粉薬を処方され帰宅して嫌がるチビに無理矢理に服用させたが食欲は戻らなかった。
食べさせないと危ないと感じ流動食を買ってきてスポイトで口から流し込み水やミルクも同様に与えた。

流動食等は受け容れたが薬は苦しい様で嫌がった。目に涙を溜めて吐き戻そうとした。

数日看病の後に漸く自ら食べ物や水を摂るまでに回復し少しは動きまわる様になったが本来の元気なチビには戻らなかった。食べている割に排泄が少ない。腹が張って固い部分がある。

チビの生命の危険を感じ以前にみぃ子を助けてくれた病院に連れて行った。

別の病院で診察時の血液検査の結果を渡し経緯を説明しチビの状態を診て最初は先生も然程悪いと思われなかった様だったが再度血液検査とレントゲンを撮り直した後に顔色が変わった。
「血液の結果が1週間前と全く違い非常に悪くなっています。レントゲン結果も子宮と思われる部分が異常に膨張し今すぐエコーで検査したいのですが」と仰られ即検査を依頼し診て頂いた。

「間違いなく子宮の病気で非常に危ない状態です。出来れば今すぐにでも手術しないと間に合わないかもしれませんが如何でしょうか」

考えるまでも無い。即答でお願いした。先生の様子からチビの命の危険を咄嗟に感じた。

夕方には手術は終わるので後程電話で連絡しますと約束頂き家内と共にチビを預け一旦病院を後にした。

「何でもっと早く気付いてやれなかったんだ」
後悔の念で一杯だった。帰りに近隣で食事したが二人とも口数少なく元気がなく項垂れていた。

帰宅し病院からの連絡を待ったが一向に電話がならず夜半になった。最悪の事態が頭を過ったが待つしかない。

夜も11時を過ぎ突然電話が鳴った。

「大変遅くなりました。手術は成功しました。予想以上に危険な状態で大変な手術になりましたが出血もおさまり現在は何とか持ち堪えています。」

先生に御礼を伝え電話を切った途端に堰を切った様に声を上げて泣いた。家内も泣き崩れた。


翌日にチビの見舞いと先生の話を聞きに再度病院に行った。

チビはゲージの中で腹と右手に包帯を巻かれ点滴を受けながら朦朧とした状態で蹲っていた。

家内と二人で名前を呼び続けているうちに意識がハッキリしてきたのか点滴を繋いでいる右手をバンバン床に叩きつけ必死に起き上がろうとした。

先生が現れ摘出した子宮に家内と二人で驚愕した。




「手術前にお伝えした通り子宮蓄膿症で非常に危ない状態でした。お腹を開いた途端に細菌の酷い臭いが充満し子宮と膀胱が一部癒着していて出来る限り綺麗に洗浄して子宮を摘出しました。暫くは予断を許さない状態ですが何とか間に合って本当に良かったと思います。」

チビの病状は一見しただけでは殆ど分からない特殊なものだった様で最初に診察して貰った病院に再び行っていたら或いはチビは命を落としていたかもしれない。

「チビよう頑張ったねぇ」
血液の状態が悪く麻酔が殆ど使えない状態でチビは必死に痛みに耐えていた。
目に涙を浮かべ家内はチビに声を掛け続けた。暫くの間チビの傍らで見守っていた。


長期休暇の間で本当に助かった。明日も見舞いに行くが少しでも元気になっている事を願い我が家に全快で還る日が再び来る様に…




第1四半期も残り僅かの春間近となった。

先月は再び風邪を拗らせ熱も久々に38℃を越えた。医者に行った時は平熱に戻っていたが「多分インフルエンザなってはった思います」との事だった。

15日には淀屋橋のツレの店で予定通り今年一発目の小学校の同窓会で集まった。
「トイチ来たんか~、メッチャ久しぶりやなぁ」
一部上場の製薬会社の取締役でアメリカ駐在から漸く戻り34年ぶりだったがガキの頃と全く変わってなかった。
今年もあと数回集まって飲む事になりそうだ。



年初から粛々と仕事に励んだが懸案の大型案件が先方の次年度計画で見送りとなった。

年始挨拶の際「ここまで来て計画中止はほぼ有り得ないので予定通りに5月中で施工完了お願いします」の筈だった。
先日訪問時に担当者は継続案件として次年度予算に盛り込むと弁明されたがここまで来るのに3年かかった。次年度で確実に発注となるか否かは今は何とも云えない。

前日に大手ドラッグチェーンから当社への発注ペンディングの通達が入り大手に10店舗発注したとの事で青天の霹靂だった。

約3,000万の発注が水泡に帰した。今回は流石に堪え暫くは何もする気になれなかった。


20日木曜日朝から雨で仕事を早々に切り上げフェスに向かった。家内と肥後橋の改札で待ち合わせライブ開演まで地下のブリティッシュパブで酒を喰らいフェスに入った。

新生フェスティバルホールは昔の面影を残しコンクールで演奏後に発表を待った中段辺りの客席を眺めながら満席の会場でライブの開始を待った。


開演時刻を過ぎチンドン屋さんの行列が暫し会場を涌かせライブが始まった。

一昨年10月の故島田さんの急逝で二度と「憂歌団」のライブは見る事はないと思っていた。

20数年ぶりだったが桁外れに良かった。

前から3列目で花岡サンは目の前だった。

昔と違いオリジナル以外にブルースの名曲も多数散りばめ勘太郎はボトルネックのスライドで骨太な音を響かせた。枚方パークのジャパンブルースカーニバルでのアルバートコリンズさながらのPowerBluesは圧巻だった。

木村は昔みたいに数曲で汗が噴き出す様な感じは無かった。相変わらず弦をよく切った。大昔どこかの学祭で見た時も4本切って残り2本で弾いていた。

花岡さんも変わらず寡黙にリズムを刻んでいた。昔の恰幅の良かった頃とは別人の様に痩せてスリムだった。

元RCの新井田さんは島田さんのスネアを踏襲しつつ時にパワフルなドラミングで勘太郎とのグルーヴには鳥肌が立った。ライブ終了後の舞台袖へ引上げ時の他の3人との距離感が多少気になった。ケニージョーンズを迎えた頃のWHOが頭を過った。

耳に手を当てダンボ状態で堪能した。音の聞こえ方が劇的に変わる。横浜のロックオデッセイでWHOを見ていた時ツレに「変やで」と言われたが人の勝手だ。

3曲目の「10$の恋」はライブで聴くのは初めてだった。「シカゴバウンド」も抜群に良かった。

今の俺の心境そのままの「嫌んなった」は特に刺さった。


いつまでも引き摺り落ち込んでいる訳にはいかない。明日から反撃あるのみだ。






慌しく時間に追われ気が付けば建卯月。今年は年初から多忙な日々が続く。

先週は初回取引の建設会社の施工も恙無く完了し早々に追加要請となった。
懸案の大型案件も近日中には結果が出るだろう。今は日々淡々と仕事を進めていくだけだ。

昨日は今年に入り初めてツレと飲みに行った。流石に疲れが溜って来ていたが久々の息抜きで楽しい一時だった。

今日は昼までユックリ寝てから片付けと洗濯を済ませ久々に車を出し家内を連れ京都に出掛けた。

天気予報は雨だったが予想外の好天で気温も17℃まで上がりGジャンにダウンベストの軽装で寒さは全く感じない異常な暖かさだった。

高速で一気に京都に入り以前から家内と約束していた五条の親父さんの会社の近所の饂飩屋に行ったが満席で一時間以上待った。家内は山菜で俺は久々にきつねを食した。


東大路を走り学生の頃住んでいた聖護院近隣のパーキングに駐車し吉田神社まで歩いた。

二年近く住んだが節分祭に行った事は無かった。京大正門前を通るのは20年前の100周年工事で3ヵ月近く現場管理していた時以来だ。悪夢の大震災が竣工検査直前に発生し俺の人生が大きく変わった頃だった。

今日は前日祭だが夜半にも関わらず大勢の人で賑わっていた。


本宮を参拝してから菓祖神社もお参りし茶と菓子を頂いた。


参道は多数の露店が立ち並び京名物の漬物や八ツ橋、様々な店で賑わっていた。質も高く美味そうな露店が並んでいた。たこ焼きを一舟頂き帰りの車中で家内と食した。予想外に美味かった。

夜半までブラつき帰りは下道で帰った。夜の京都は久々だった。ライトアップされた東寺は綺麗だった。


今年に入り漸くユックリ過ごす事が出来た。車中はJAMのベストを流し気分良く走った。

昔から秋になるとJAMはよく聴いた。ネオモッズだが初期のストレートパンクから絶頂期に突然解散したラストのGIFTまで文句なくカッコいいブリティッシュビートバンドだった。SMITH以降は正当なブリティッシュロックは俺の中では完全に消滅した。

来月は久々の憂歌団のライブ。今年は気に入ったライブに少しは足を運びたい。