憂  歌  ~ BLUES ~ | A Cheap Log.

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Kei

第1四半期も残り僅かの春間近となった。

先月は再び風邪を拗らせ熱も久々に38℃を越えた。医者に行った時は平熱に戻っていたが「多分インフルエンザなってはった思います」との事だった。

15日には淀屋橋のツレの店で予定通り今年一発目の小学校の同窓会で集まった。
「トイチ来たんか~、メッチャ久しぶりやなぁ」
一部上場の製薬会社の取締役でアメリカ駐在から漸く戻り34年ぶりだったがガキの頃と全く変わってなかった。
今年もあと数回集まって飲む事になりそうだ。



年初から粛々と仕事に励んだが懸案の大型案件が先方の次年度計画で見送りとなった。

年始挨拶の際「ここまで来て計画中止はほぼ有り得ないので予定通りに5月中で施工完了お願いします」の筈だった。
先日訪問時に担当者は継続案件として次年度予算に盛り込むと弁明されたがここまで来るのに3年かかった。次年度で確実に発注となるか否かは今は何とも云えない。

前日に大手ドラッグチェーンから当社への発注ペンディングの通達が入り大手に10店舗発注したとの事で青天の霹靂だった。

約3,000万の発注が水泡に帰した。今回は流石に堪え暫くは何もする気になれなかった。


20日木曜日朝から雨で仕事を早々に切り上げフェスに向かった。家内と肥後橋の改札で待ち合わせライブ開演まで地下のブリティッシュパブで酒を喰らいフェスに入った。

新生フェスティバルホールは昔の面影を残しコンクールで演奏後に発表を待った中段辺りの客席を眺めながら満席の会場でライブの開始を待った。


開演時刻を過ぎチンドン屋さんの行列が暫し会場を涌かせライブが始まった。

一昨年10月の故島田さんの急逝で二度と「憂歌団」のライブは見る事はないと思っていた。

20数年ぶりだったが桁外れに良かった。

前から3列目で花岡サンは目の前だった。

昔と違いオリジナル以外にブルースの名曲も多数散りばめ勘太郎はボトルネックのスライドで骨太な音を響かせた。枚方パークのジャパンブルースカーニバルでのアルバートコリンズさながらのPowerBluesは圧巻だった。

木村は昔みたいに数曲で汗が噴き出す様な感じは無かった。相変わらず弦をよく切った。大昔どこかの学祭で見た時も4本切って残り2本で弾いていた。

花岡さんも変わらず寡黙にリズムを刻んでいた。昔の恰幅の良かった頃とは別人の様に痩せてスリムだった。

元RCの新井田さんは島田さんのスネアを踏襲しつつ時にパワフルなドラミングで勘太郎とのグルーヴには鳥肌が立った。ライブ終了後の舞台袖へ引上げ時の他の3人との距離感が多少気になった。ケニージョーンズを迎えた頃のWHOが頭を過った。

耳に手を当てダンボ状態で堪能した。音の聞こえ方が劇的に変わる。横浜のロックオデッセイでWHOを見ていた時ツレに「変やで」と言われたが人の勝手だ。

3曲目の「10$の恋」はライブで聴くのは初めてだった。「シカゴバウンド」も抜群に良かった。

今の俺の心境そのままの「嫌んなった」は特に刺さった。


いつまでも引き摺り落ち込んでいる訳にはいかない。明日から反撃あるのみだ。