「大阪北ヤード」から「うめきた」への変遷 | A Cheap Log.

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Kei

今年も既に1/3が経過し早皐月、GWも前半が終了した。

先週予定していた東京行きは風邪が一向に回復せず断念した。
3月末の約束の際も東京ドームの野球観戦と飲み会の段取りしてくれたが先の交渉が長引き急遽中止となった。
親しき仲にも何とやら。電話で平謝りで詫びた。
「度々でホンマに申し訳無い、ゴメンな…」
新年度で皆忙しい中、迷惑を掛けてしまった。自己の体調管理の杜撰さを反省した。

先週は禁煙治療で御世話になった先生に二度点滴注射と処方箋薬を頂き安静にする事に徹し日曜に漸く少し楽になった。

年の半分以上を出張で国内外跳び回った30代の勤めに戻った頃は近隣のご高齢の先生に頻繁にニンニク注射を打って貰い凌いでいた。即効性があり多忙だった当時は助かっていた。

四十代後半に入り体力低下が著しい。禁煙後に体重が85kgを超え少々運動しても簡単にウェイトが落ちない。

心掛けて日頃の不摂生から脱却しないと状況は改善できない。


漸く体調も回復した日曜に昼からカミさんと「うめきた」へ出掛けた。


10年程前「大阪北ヤード」の名称で始動した日本最後の大都市中心部の大規模再開発計画。

再開発開始当時は関係者から様々な話を頻繁に聞かされた。

定例飲み会で開発絡みの外郭団体のエライさんの見通しの甘いヌルイ絵空事にキレて罵声を浴びせた事もあった。

多少なりとも建設業に携わっていたから様々な話をあちこちから聞いた。
今度しくじれば大阪は本当に終わる。

花博で空前の好景気に沸き後のバブル崩壊や震災、ベイエリア開発の大失策、オリンピック招致の決定的敗北等で貯金は使い果たし財政再建団体寸前まで落ちた。

大阪発祥の大手企業も多数が東京本社になり商都大阪は今や単なる国内の地方都市となった。甘い汁は全て首都に吸い尽くされた。

開発当初に関係者から入手した計画書に愕然とした事を今も覚えている。求心力が皆無となった関西政財界がこの大開発を持余していた実情を計画書が如実に物語っていた。

様々な紆余曲折を経て「大阪北ヤード」は「うめきた」として漸く開業の運びとなった。

グランフロント大阪は汐留再開発を想起させる極めて「大阪的ではない」商業施設となった。

かつての大阪は70年の大阪万博で驚異的に飛躍し昭和末期の花博では誰もが失敗すると予測したにも関わらず空前の動員を記録し大規模都市博を二度とも成功させた。

然しながら永続的な求心力のある都市開発に関しては永らく失策を繰り返した。

今回の一期開発はグランフロント開業から3日で100万人を突破し順調な滑り出しとなった。

館内は近年の大阪に見られなかった活気に溢れ猛烈な混雑だった。30歳以下の世代はかつての大阪の活気に溢れる本当の賑わいを知らない。


結果的には当初計画から商業施設が大幅に拡充し現時点では予想以上の来場者となったが、今後の二期工事の西側開発がどうなるか?
ここまで練り込まれ良い形に進化した大阪駅前に最も必要なコンテンツは何か?

新幹線を直結させないと意味がない。リニアを新大阪に繋げる話が早々に公表されたが或る種の力が働いているのは明白だ。

再開発も漸く一段落し一昔前に比べ飛躍的に伸びた東京駅。

大阪駅に新幹線を通す計画は大昔に実在し地下に通す構想で路線確保も完了していたのに新大阪に計画変更された。

新幹線が中心部に直結しなかった都市は結果的に没落した。大阪、神戸、岐阜…

大阪の復権を本気で考え今後の若い世代に我らの街を託す為に新幹線を通す事から逃げてはいけない。

想像以上の再開発に昇華した大阪中心街が更なる発展を可能にする為この最大の懸案事項と真っ向から対峙しないと真の発展は有り得ない。

ひかり/こだまを新大阪駅停車、のぞみを大阪駅停車とし、途中下車可能にする等の施策で人の流れは劇的に変えられる。

非常に長いスパンで考えれば費用対効果が最も高くなる事は間違いない筈だ。

自分が死ぬ迄にJRや阪急の間を新幹線が駆け抜ける大阪駅を見てみたい。東京に行く時の有楽町に差掛る辺りのダイナミズムが大阪中心部で実現すれば一変する。


そんな期待を抱かせる「うめきた」…大阪の逆襲の牽引となる事を切に願う。




http://www.grandfront-osaka.jp/