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石田マネジメント事務所

技術やものづくりに関する最近の話題と気づき、ちょっとした備忘録を書いています。

現在の仕事柄、産業・技術動向を鳥の目、虫の目で調査分析する日々を過ごしていて様々な文献図書とか、国の機関が発行した報告書なんかを読んでいます。

 

その一環でこういう本のも目を通しています。近未来に向け、エネルギー、バイオ、モビリティについて記述されていますが、執筆陣は石油化学とか建設系の人が多いので、半導体などは書かれておりませんがそれでも参考にはなる。

 

かつての勢いを失った日本。その原因は一にも二にも ”人” の問題だと思ってきましたが、この書籍でも

 

・日本ではサラリーマン経営者が、市場調査と長時間の

 会議で作り上げた

  「誰がみても作るべきエビデンス」

 の揃った仕様書を子会社に丸投げして、それを下請け

 の劣悪な労働環境におかれたコーダーたちがプログラム

 に落とし込むという形でソフトウェアが作られてきた

 

・10人に聞いて3人が賛成するくらいの時に着手すべし

 10人に聞いて5人が賛成する時点はすでに手遅れ

 

・戦後の団塊世代経営者の時代になると「判断」「抜擢」

 をせず、無風状態の意思決定しかしなくなった

 

というようなことが書かれている。クロネコ宅急便を考え重役会議で審議した時、10名ほどいた役員で賛成した人は1名しかいなかったと当時の社長が言っていましたが、今日では100%無理でしょう。

 

今年になって大手企業で、50代以上の管理職を数千人単位でリストラする動きがあり、半数が黒字企業です。単に世代交代を加速するだけが目的ではなくなんとか現状打破を願ってのことでしょうけれど、その経営陣自身も変われないと危機的状況からの脱却は難しい。

 

満州国のことになると、そもそもここを日本が領有していたこと自体が間違いであり、本来の持ち主である中国、当時風にいえばシナのものを奪った日本が悪いということをいう人もいます。

 

北洋軍閥も、南京政府も皆そう主張していましたが、彼らは欧米列強に国を食い荒らされてきたことに憤慨していたので反米、反英で反日だったのは事実です。

 

ところで満州という地域を日本が得たのはシナから奪ったというのは正しくなく、日露戦争でロシア敗北に伴い得たものです。領土を得たというよりも、鉄道の権益を期限付きで得たというものです。紫禁城の黄昏にも書かれているように、この地はロシアが占有していてシナ人はいかなる抵抗もしなかった。

 

さて、この本は昭和5年に発行されたもので今日では絶版になっています。これにはなんと幕末の頃からの詳細が記されていますが、日露戦争に至ることになった、朝鮮半島が日本にとっていかに危険で厄介な場所であったが克明に書かれているので少しみてみます。

 

「・朝鮮は日本にとって難症の腫物だった。

・ここは日本を狙った短刀のような恰好をしている。

・これがあくまで独立していれば日本にとってそれほど恐ろしい

 担当ではないが、一度他手にわたった暁には脅威となる

・ロシアの戦略家ムラビヨフの東方計略予定計画書にも(朝鮮半

 島領有が)書かれていたのもこの理由からである

・この国土が1876年からアメリカ、ドイツ、英国、イタリア

 、ロシア、フランス、オーストリアの各国に開放されてから、

 各国の間に利権争奪、陰謀が横行した。

・朝鮮の独立を維持しようという日本の主張に対し、我が国を見

 くびりきったシナは朝鮮が日本と衝突するよう仕向けてきた

・シナは日本の抗議を無視し、却って朝鮮における利権分配の

 斡旋をし朝鮮の内政を改革しようとする日本の助力に対しても

 朝鮮に対して拒絶する態度をとらせた

・朝鮮は過去数世紀の間、名は独立国であってもほとんど絶えず

 シナもしくは日本の属庸国で、久しく我が国に隷属後はシナに

 朝貢していた。」

 

この銅像は日比谷公園に立っている、フィリピンの英雄と言われるホセ・リサール氏の銅像です。

 

日系人の親を持ち1888年に来日しました。1571年にスペインが征服されて以来の祖国の独立を願った彼は、1892年に戻り、フィリピン民族同盟を結成しましたが、すぐに逮捕、流刑に処される。

 

彼の協力者は新たな政党を作り、1896年に独立運動を開始しましたが失敗。ホセ・リサールも首謀者としてとらえられ、マニラの広場で公開銃殺されました。

 

1898年、スペイン領キューバで独立運動が発生し、米国は農産物の利権保護のため、スペインとの戦争、米西戦争がはじまります。アメリカ極東艦隊デユーイ提督はフィリピン独立軍を支援すると約束し、スペイン軍を打ち破ります。

 

ところがフィリピン独立軍がマニラに入場しようとすると米国は阻止します。一応フィリピン共和国は成立し、米西戦争の講和会議が開かれたのですが、フィリピンの独立のことになると、アメリカはなんとこれを拒否します。

 

キューバはアメリカ保護領、フィリピンもアメリカ領というのがこの講和会議の結論でした。フィリピンの独立を支援するなど真っ赤な嘘でした。

 

1899年アメリカは本国から8万の軍隊をフィリピンに投入し、独立軍を殲滅します。この時の司令官はアーサー・マッカーサーという人物で、GHQでおなじみのダグラス・マッカーサーの父親です。

 

中国大陸では、アメリカは自由を尊ぶ道徳国を自認し、日本は抑圧好きの卑しい国に分類しましたが、道徳国が聞いてあきれるというものです。こうした二枚舌の大噓つきぶりは筋金入りで、私が社会人人生の中で欧米に対して感じてきたことは正しかったと思う次第です。