『クララとお日さま』を読んだ

タイトルからは 優しい童話の世界の香りがした

でも 違った

 

クララは 人間の子供の友人としての役割を持つ AI ロボット

AF(Artificial Friend)と呼ばれている

いつの時代の物語なのか はっきりとはわからない

でも そう遠い未来ではないだろう

なぜなら 今既に AI などを生み出す技術革新が進んでおり

このような社会を 予想できる時代になっているから

 

物語は そのクララという AF の目を通して描写され

彼女の心の動きによって 広がってゆく

最初は役目として ジョジーという少女の元に来たのだが

クララの鋭い観察力、記憶力、そしてジョジーを守ろうとするピュアな心で

本当に「人間らしい」感覚を持ち 誠実に行動する

もしかしたら AI であるからこそ「人間らしく」できるのではないかとさえ

思えてしまう

 

ジョジーは、世の中でより賢く有利に生きていけるように

「向上処置」と呼ばれる 優生学的な遺伝子編集処置を受けている

親は 愛する子供のためにその処置を受けさせるのだろうが

その処置の弊害により 一定の割合で身体に不都合なことも起こる

そしてまた それは 

その処置を受けない人々との間の格差を生み出していく

 

「遺伝子編集」については 色々と考えさせられる

この物語が コロナ禍が始まってから後に書かれたことは

作者のイシグロ氏が このパンデミック内の現象において

何らかの思いを持っていたのではないだろうかと 思えてならない

 

現代 技術の進歩には すさまじいものがある

AI などの言葉は もう珍しい言葉ではなくなった

でも 技術革新が進むにつれて 

それらを操作する人間の精神性の豊かさが 非常に重要になってくる

もしも操作する側が 自分たちのためのエゴによって作り出すならば

それによって創り出される世界は 恐怖の世界に繋がるとしか思えない

 

これまでの歴史を振り返っても

技術革新がもたらした幸せも多いが それによる弊害も見落とせない

 

クララの 本当に人間に劣らない ジョジーへの献身的な愛

その場面に触れた私は いつの間にか 彼女が AI であることを忘れてしまい

共に 心を動かしている

 

そうしてすっかりクララを愛しいと思ってしまったあとに知るラストは

何とも言えない やり切れなさが 残ってしまう

献身的にジョジーを愛し みごとに役割を果たしたという

AF としての「成功」を認めるクララの満足感は理解できても

「廃品」として処理されてしまう現実は 分かっていても辛い

 

人間とは 社会とは いったい何なのか?

もう一度 考え込んでしまう 物語だった