フランスのテロに思う
私は非暴力主義なので暴力は否定する。
しかし暴力を使わざるを得なかった人の存在は全否定しない。
それを全否定してしまうと、暴力を用いるに至った理由が不可視になるからだ。
今回のテロ事件に際し、2005年のパリのシテを中心に起こった「フランス暴動」を連想した人は少なくないはずだ。
今回の暴力とあの時の暴力について、「マイノリティー」という共通点があると思える。
植民地、移民、貧困、異教徒、非コーカソイドなどの「マイノリティー」だ。
例えば、イエスを風刺したものがあった場合、フランスのキリスト教徒はこのような過激な行動はとらない。
なぜなら、マジョリティーだからだ。
全く無視することができるし、逆に笑うことができる。
「マイノリティー」は宗教的信奉を唯一の拠り所にしている人たちがいる。
そこにアイデンティーティーを見出し、「マイノリティー」生活を耐える支えにしている場合がある。
その人たちは、宗教的シンボルが風刺された場合無視したり、笑ったりできない場合がある。
ルサンチマンと言う言い方もできるかもしれない。
フランス共和国はアフリカに植民地を持ち、軍事攻撃で独立を阻止しようとした経緯があるし、現在有志連合でイラクを空爆している。
フランスがそういった国であることを前提に論じるべきだと思う。
私は表現は自由であるべきだと思う。
しかしヘイトスピーチが許せないのと同様に、宗教的シンボルに対する風刺は慎重であるべきだ。
特にマイノリティーの人たちが心を寄せるものに対する風刺は人種差別の一歩手前だ。