ヘルマン・ヘッセ翻訳の謎『クヌルプ』 雀焼き?
スワン(遍歴職人)であるクヌルプが同業の友人宅を訪ね、歓待されるシーンがあるが、その時の料理が問題なのだ。なんと「雀焼き」なのだ。クヌルプもご馳走であることを認めている。
私も昨今やっている店が減ってしまったが「寒雀」は好きである。(よく食したのは銀座の「鳥繁」)
ただし、これはあくまでも旬の酒の友であり、食事にはならない。まして歓待料理のメインディッシュにはなりえないものである。
植村敏夫訳を見てみよう
(ルートフースの奥さん)「雀焼きが手に入ったのよ」
(クヌルプ)「雀焼きの一皿ときたら、僕にとっては素晴らしい御馳走です」
各訳を年代順に見てみよう。
植村敏夫訳 雀焼きが手にはひったのよ 1933年
相良守峯訳 今日私たちはレーバー・シュパッツェンを戴きますのよ 1938年
芳賀壇訳 レバー添への「雀焼うどん」(シュパッツェンのルビ)のご馳走があるの 1950年
高橋健二訳 きょうはレバーの団子揚げが出るんですもの 1970年
日本ヘルマン・ヘッセ友の会研究会全集 今日はレバーのパスタをいただくんです 2005年
相良守峯訳のレーバー・シュパッツェンという逃げの姿勢は論外としても、芳賀壇訳の「雀焼うどん」とは何なのか想像もつかない。
高橋健二訳の「レバーの団子揚げ」はゼンメンクネートルを連想させるも雀はどこへ行ったのか?これがホントの「抜け雀」(ちなみに落語の演目)。
全集の「レバーのパスタ」は芳訳の「うどん」の救済になっているような気もする。しかしこれも「抜け雀」である。雀と麺の関係を問う作業に迫られる。
原文を見てみよう。
Nämlich wir kriegen heut Leberspatzen,
まさしくレーバァシュパッツェンである。
レーバァは肝臓であるが、問題はシュパッツェンである。
Spatzは確かに「雀」(あるいは「小さい」)という意味で、Spatzen,Spatzesと表記される。
「雀の肝」と訳すと少なくとも世界三大珍味のチャンピオンだろう。
しかし絶対に違うだろう。
「うどん」「パスタ」に救いを求めると Spätzle (スペッツェレ)という語に行き当たる。これは南ドイツシュヴァーベン地方の食物である平たい(フィットチーネタイプ)ざらざらしたショートパスタだということである。よって「レバーのパスタ」が最も穏当な訳かもしれない。植村敏夫訳ではレバーが抜けているし、大御所高橋先生訳の「団子揚げ」はラビオリみたいなもの、あるいはパスタとしての「すいとん」それらの「揚げ物」と思ったのかもしれない。これはこれで美味そう。
また、ロートフースの奥さんはクヌルプを「特別扱いしている」ことを示そうとして、レバーを余分にあげよう(揚げようではない)と
(vielleicht könnte ich)ein Stück Leber für Sie extra braten と言う。ここではあきらかに、もう一つ余分にレバーをロースト(braten)してあげましょうか?となっていて、Leberspatzenを訳する上でのヒントになったと思うのだが、この部分の訳も不思議で植村敏夫訳は「余分にお焼きしませうね」と雀焼の追加になっている。
レーバー・シュパッツェンと逃げた相良守峯訳は「特別にレーバーを焙って上げようかと」と整合性を見せる。
シュパッツェンを調べてみると、麺を作る機械が発明される以前、手やスプーンで生地をちぎって成形していた。そのため形がハウス・シュパッツHaus-SpatzまたはシュパーリングSperlingと呼ばれるスズメ、すなわちシュパッツェンSpatzenに似ていた。
余談だが南イタリアの地域料理でしかなかった麺状パスタが普及したのは製麺機(無論人力の押し出し機)ができてから。但し、普及はアメリカ合州国が先。
つまりLeberspatzenとはレバーの入ったパスタのことなのである。
すると日本ヘルマン・ヘッセ友の会研究会全集の訳が最も適当となる。
スイスではその形からクネプフレKno:pfleと言い「ボタン」の意味。
藤沢周平の小説に出てくる料理の再現本が出ているが、日本ヘルマン・ヘッセ友の会研究会全集が出る前だったら「クヌルプ」ではとんでもないことになっていたかもしれない。
例えば東京の下町を舞台にした小説で
―週に2、3回来る「おしんこ細工」を楽しみにしていた―
とでてきたらどう独(英)訳するのか?と思うと誤訳を責める気にはなれない。